”the brilliant green”や”Tommy February(通称:トミー)”のボーカリストして00年代にブレイクを果たした川瀬智子さん。
作品の評価が高かっただけでなく、00年代の若い女性たちのファッションアイコンとしても注目を集めました。
一時期は名前を聞かない時期がありましたが、平成リバイバルの一環で、当時の川瀬智子さんが生み出した世界観が再評価されています。
今日は若い頃の川瀬智子さんのカリスマ性と、ブーム後の彼女について書いてみたいと思います。
結婚した奥田俊作さんとの関係や、子供の有無についても触れてみたいと思います。
川瀬智子のTommy february6時代。若い頃のカリスマ性は圧倒的!
京都府出身の彼女は、子供の頃からおしゃれが好きで、高校生の頃にはアパレルショップでバイトし卒業した後は18歳にして店長を任されました。
20歳の頃にたまたま歌ったクラブで、後に同じバンドを組み結婚することとなる奥田俊作さんに声を掛けられ”the brilliant green”を結成。
下積み時代から他バンドとは違う洗練を魅せていた川瀬智子さんはすぐに人気者となり、所属していた”the brilliant green”は1997年にメジャーデビューを果たしています。
当時22歳だった川瀬智子さんは体重37キロの極端な痩せ型で、当時流行していたアイテムを自分なりのカラーに落とし込み、圧倒的なセンスの良さを見せつけていました。
1998年に「There will be love there -愛のある場所-」をヒットせると、HEY!HEY!HEY!など大手音楽番組にも登場するようになり、知名度は全国区となりました。
芸名 | 川瀬智子・Tommy february6/Tommy heavenly6 |
本名 | 奥田智子 |
愛称 | Tommy |
生年月日 | 1975年2月6日 |
出身地 | 京都府京都市 |
血液型 | B型 |
身長 | 161センチ |
体重 | 38キロ(デビュー当時) |
出身高校 | 明徳商業高等学校卒業 |
2000年代にTommy february6としてメガネファッションでブレイク
川瀬智子さんは1999年から2000年代前半までにファッション雑誌「Olive」や「zipper」「CUTiE」など原宿を中心とするファッション雑誌で表紙を飾るようになりました。
当日、日本に上陸する前だった無名の「パワーパフガールズ」にいち早く注目し、海外からグッズを大量に取り寄せるなど先見の明を見せつけました。
2001年7月25日、ソロプロジェクトTommy february6を立ち上げると、”the brilliant green”とは違ったポップで可愛い色使いが話題となりました。
ファーストシングルの「EVERYDAY AT THE BUS STOP」は今では一般的であるCD+DVDのセット販売が音楽業界で初めて行われた作品でした。
トレードマークとされたメガネは若い女性の間で大流行しました。
川瀬さんはメガネを選ぶ際は、撮影時の光反射を考慮して探し、東京都内中心部のメガネショップを3軒歩き回り、イメージ通りの伊達メガネを必死に探したそうです。
セカンドシングル「♥KISS♥ ONE MORE TIME」では、当時の最新型電子ペットであった”AIBO”をバックダンサーに抜擢。
AIBOをコントロールするための周波数の音を収録してAIBOの前で曲を再生するとAIBOがそれを受信し曲に合わせて踊る仕掛けを組み入れ話題となりました。
2002年2月6日にアルバム『Tommy february6』をリリースすると、オリコンアルバムチャート初登場1位で2週連続1位を獲得するなど、ミュージシャンとしても存在感を示しました。
正反対の世界観”Tommy heavenly6”でもカリスマ的人気
2003年にはTommy february6のダークサイドキャラクターとしてTommy heavenly6も始動させ、多彩なセンスでファンを楽しませました。
数年後に流行する小悪魔メイクにゴシック&パンク要素を取り入れたスタイルに、メタル調ロックでTommy february6と正反対になる世界観を表現。
日本映画史に残る名作「下妻物語」の主題歌を担当すると、映画のヒットと付随して川瀬さんの作った世界観が受け入れられました。
2006年には当時は日本ではコンテンツ力が弱かった海外のハロウィン文化に目を付け、ハロウィンに特化した作品を発表。
以降もTommy february6とTommy heavenly6の同時クレジットでハロウィンアルバムを2枚リリース。
2012年にHYDEさんが結成された”HALLOWEEN JUNKY ORCHESTRA”にもTommy february6とTommy heavenly6の一人二役で参加しました。
音楽業界では「日本にハロウィンを持ち込んだのはトミー」と囁かれるほど、後の日本の音楽業界に影響を与えました。
全盛期の28歳で結婚。旦那は20歳で出会ったメンバーの奥田俊作
トミフェブで大ブレイクを果たした川瀬智子さん。
全盛期であった2003年11月22日に結婚。
当時の川瀬智子さんの結婚は衝撃的でしたが、2003年は28歳と結婚適年齢でもありました。
結婚相手は同じ”the brilliant green”に所属するベーシストである奥田俊作さんでした。
奥田俊作さんは川瀬智子さんよりも4歳年上で、結婚当時は32歳でした。
名前 | 奥田俊作 |
生年月日 | 1971年7月11日 |
担当 | ベース。作曲・編曲。ギター、シンセサイザー。 |
出身高校 | 京都市立紫野高等学校 |
奥田俊作との出会いはクラブでのライブ後に熱心にスカウトされたこと
奥田俊作さんといえば、クラブで当時20歳だった川瀬智子さんを発見し、松井亮さんと共に熱心にスカウトされた方です。
川瀬さんにとっては業界に入る入り口であった恩人であり、共に歩んできた仕事のパートナーでもあります。
自分の運命を変えた相手と、一番良い時に結婚したと考えると感銘深いです。
ちなみに川瀬智子さんは2003年の全盛期に、28歳で結婚したことについて、
なんとなくずっと、28歳で結婚するような気がしていたので、とても自然な感じで
とコメントしており、本人の中で特別な意識はなく自然な形だったようです。
二人が結婚した2003年11月当時は妊娠の発表などはありませんでした。
現在の川瀬智子に子供はいる?謎多き結婚生活
2003年11月22日に同じthe brilliant greenのベース・奥田俊作さんと結婚した川瀬智子さん。
結婚を発表した時には妊娠などの報告はなく、デキ婚ではありませんでした。
28歳だったということで、早期での出産も視野に入れていると思われましたが、結婚の翌年2004年から数年は活動を休止することもなく、子供を産んだと思われる期間がありませんでした。
少なくとも川瀬智子さんの活動が活発だった2000年代には子供は生まれていないと思われます。
川瀬智子は子供を産んでいない?露出減少後の私生活がミステリアス
川瀬智子さんの活動の全盛期は2000年代前半から中頃まででした。
旦那との「the brilliant green」は2007年頃に再結成するなど動きがあり、夫婦揃って多忙でした。
その後に活動が落ち着いてからは、近況がわかりづらい状況になりました。
2010年代から長く表舞台に出てきてない期間があり、この時期に”子供が産まれてお母さんをしてるのでは?”という憶測もあります。
2018年に配信限定シングル、february6の「CUPCAKE ANGELS」とheavenly6の「ICE CREAM DEVILS」をリリース後はSNSの動きも鈍くなり、私生活は謎です。
それでも2022年11月に発売したメジャーデビューしたアイドルグループ「ukka(うっか)」のミニアルバムにTommy february6が作詞提供をしているなど、音楽への関わりは絶っていないようです。
現在、あまりにもメディア露出がないことから、子供が生まれてお母さんをしてる可能性も0ではないとされてます。