皆川おさむの現在。黒猫タンゴから天才子役へ!若い頃の逮捕で転落も復活

皆川おさむさんといえば、童謡歌手であり、ひばり児童合唱団の代表として知られています。

実は芸能界デビューが3歳と早く、子役として活躍していた時代もあります。

天才子役として始まったキャリアですが、大人になった後に逮捕され転落も経験。

しかし、その後にヒット曲の連発で奇跡の復活を遂げるなど、ドラマのような人生を歩んでいます。

今日は皆川おさむさんの子役時代や、逮捕された事件の詳細、そして童話歌手としての復活劇を書いてみたいと思います。

皆川おさむの経歴。”黒ネコのタンゴ”で大ヒットし天才子役。

皆川おさむさんは1963年1月22日に東京都に生まれました。

伯母の皆川和子さんは1943年に東京杉並区荻窪を本拠地に、3歳から高校3年生まで構成する”ひばり児童合唱団”を設立し、皆川おさむさんも3歳から在籍。

皆川さんは3歳のとき『ヤン坊マー坊天気予報』や「火星編」のCMソングをレコーディングするなど子供ながらも歌い手として活躍。

6歳のときに出した日本語訳の「黒ネコのタンゴ」は日本の音楽史に残る大ヒットを記録しました。

1969年の6歳の頃に映画「チンチン55号!出発進行」で子役デビューすると、1970年にも「こちら55号応答せよ!危機百発」や「恋の大冒険」など俳優としても活躍されました。

名前 皆川理(おさむ)
生年月日 1963年1月22日
出身地 東京都
出身大学 洗足学園音楽大学

皆川おさむの代表作”黒猫のタンゴ”とは?子供歌手ブームの火付け役になる

皆川おさむさんの代名詞とも言われている「黒猫タンゴ」。

日本の曲だと思われることが多いですが、実際は違います。

黒猫のタンゴは、1969年イタリアの童謡「Volevo un gatto nero」がベースになっています。

同曲は「第11回ゼッキーノ・ドーロ」で第3位に入賞し各国の多くの歌手によってカバーされ、日本では皆川おさむさんが早々に日本語バージョンをリリースしました。

「黒猫のタンゴは」シングル盤で発売されるとオリコンで14週連続の1位という記録しました。

当時6歳10か月の皆川おさむさんがミリオン歌手になったことから、多くのレコード会社がビジネスになると目論み、「子供歌手ブーム」が起こります。

森あきよ、斉藤浩子、ジミー・オズモンド、キャロライン洋子、ベイビー・ブラザーズ、ロッキー&マリらが同じ頃に活躍されました。

ちなみに同曲のヒットは日本だけに留まらず、皆川おさむ版の「黒猫のタンゴ」はアメリカやオランダでも販売。

また、イタリア語・英語・ドイツ語・フランス語など世界6か国で歌詞を吹き込みました。この皆川おさむ版は全世界で400万枚も売れています。

フィンランドなどの一部の国では、「黒猫のタンゴ」は日本の歌と誤解してる人が多いなど、日本版は世界的に楽曲の象徴的存在となっています。

皆川おさむは大学1年の21歳の頃に窃盗罪で逮捕。前科5犯で執行猶予判決

少年時代は子供歌手として活躍した皆川おさむさん。

青年期に入ると声変わりしてしまい、歌での勝負は諦め、ドラムに打ち込むようになります。

21歳にして洗足学園音楽大学に入学し、打楽器を専攻し岡田知之氏に師事しました。

ドラマーとしての新たな人生をスタートさせようとしてました。

しかし、入学したばかりの1984年4月14日、皆川おさむさんは窃盗の罪で逮捕されてしまいます。

事件の詳細は、当時22歳だった会社員と2人で共謀し、東京都世田谷区の車の部品販売店「ナミテツ商事」に侵入し、車の部品やタイヤ14本など総額で118万円相当を盗み出したとのこと。

逮捕後、1984年6月22日に執行猶予付きの有罪判決を受けました。

その後に今回の窃盗以外にも前科が5件もあることが判明。

前科の手口は同様で被害総額200万円相当だとわかり、犯行の動機に関しては、

「自分のカー用品のお店を開くために窃盗を繰り返した」

とのことでした。

子供歌手としてのキャリアが続かなくなった不安、セカンドキャリアへの焦りから、そのようなことに手を染めてしまったということです。

逮捕後は音楽の世界を離れ母の”ひばり児童合唱団”の運営の仕事。グラフィックデザイナーはガセネタ

1984年に逮捕されてしまった皆川おさむさん。

その後は音楽関連の活動は一切行わず、近況は不明でした。

ネットではグラフィックデザイナー(工業デザイナー)に転身との情報がありましたが、2014年のインタビューで、皆川さん本人が”一度もやったことがない”と否定しています。

 「私のプロフィルにグラフィックデザイナーと書かれているけど、一度もやったことないのに、なんでかなあ」

 おさむ君はネット情報のいい加減さをひとくさり。近況を語った。

合唱団のプロフィールでは造形デザインの仕事に従事する”とありますので、造形デザインの仕事をしていたようです。

また、皆川さんは2004年に伯母・皆川和子さんが設立した”ひばり児童合唱団”の代表に就任していますが、代表になる前から運営にしっかりと関わっていたようです。

逮捕後から復活するまでの空白の時間は、主にひばり児童合唱団の運営の仕事をしていたのでは?と思われます。

36歳で「だんご3兄弟」で復活。その他にも「ケロロ軍曹」のED「ケロ猫タンゴ」など

表舞台から姿を消していた皆川さんですが、1999年に「だんご3兄弟」のカバーの吹き込みをレコード会社からオファーされます。

当初、皆川さんは、すでに現役の歌手でないことを理由に断りましたが、その後にレコード会社側の熱烈な説得の末に承諾。

皆川さんが楽曲をリリースしたのは1974年以来、25年ぶりでした。

1969年に発表された「黒ネコのタンゴ」のオリジナル音源を収録した両A面シングルで「だんご3兄弟」のカバーを含めて1999年4月7日にユニバーサルミュージックより発売。

オリコン最高40位を記録し、「黒ネコのタンゴ」は1999年4月19日付オリコンシングルチャートで1970年7月12日付以来1501週後の再チャートインという記録を樹立しました。

その後も、2008年に「ケロロ軍曹」のエンディングテーマでもある「ケロ猫のタンゴ」を発売し話題になるなど、再び皆川さんの名前を聞く機会が増えました。

現在は”ひばり児童合唱団”の代表。独身で持病が多く満身創痍

皆川おさむさんは、2004年にひばり児童合唱団の創立者でもあり伯母でもある皆川和子が脳梗塞で倒れたことを機に、ひばり児童合唱団の代表に就任しました。

代表として運営の仕事に関わり続け、2017年と2020年にそれぞれ「クイズ!脳ベルSHOW(クイズ番組)に出演。

2018年には高田純次さん出演の「じゅん散歩」に目黒区洗足を散歩をしているときに皆川さんに鉢合わせるという形で出演するなど、コンスタントにメディアの仕事にも登場しています。

私生活では結婚することはなく、ずっと独身を貫いています。

2014年に受けたインタビューでは、

「50を過ぎてから体調が悪いんだよ。糖尿病で腎臓を悪化させて、人工透析を受けていたんだ」

と告白。

なんとも、2012年に糖尿病が悪化し腎臓を悪くし、その際に姉から片方の腎臓を提供してもらったとのこと。

その他にも首の調子もよくないとそのインタビューで語っており、現在は満身創痍でほぼ引退状態のようです。

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