日本を代表するポピュラーミュージシャン・桜井和寿さん。
これまでに数々の名作を世に送り出してきました。
現在の桜井和寿さんはクリエイターとしての魅力がメインですが、若い頃はイケメンミュージシャンとしても注目されました。
今日は桜井和寿の若い頃のイケメンぶりについて振り返ってみたいと思います。
桜井和寿は東京都練馬区出身。高校時代からの彼女8年間交際
桜井和寿さんの実家は、練馬区貫井にあった「株式会社櫻井工務店」。
工務店は父親が経営しており、都内でありながらもゆとりのある暮らしをしていました。
小学生の頃の卒業文集では「将来は大工になる」と書いており、ミュージシャンを志た時も、売れなかったら実家を継ぐつもりだったと語っています。
桜井和寿さんは勉強が苦手だったそうですが、両親は勉強ができない息子を責めず「何か1つ人に負けないものを持て」と教育されました。
本名 | 櫻井和寿(かずとし) |
芸名 | 桜井和寿 |
出身地 | 東京都練馬区 |
生年月日 | 1970年3月8日 |
身長 | 172センチ |
血液型 | O型 |
出身中学 | 練馬区立貫井中学校 |
出身高校 | 関東高校(現聖徳学園高校) |
兄弟 | 2歳年上の姉 |
家族 | 嫁・吉野美佳(元タレント。元嫁・ゆかり(元マネージャー)。長女。長男。次男。三男。 |
野球少年から可愛いギター少年。父親が防音設備を整えてくれた
小学生の頃の桜井和寿さんは、空手と野球に励んでいました。
当時の桜井和寿さんは、音楽は女性がやるものだと思い込んでおり、学校の歌のテストも不真面目に参加し、将来の自分が音楽をやるなんて夢にも思っていなかったそうです。
中学になると不良グループとつるむようになりましたが、グループで強要される万引きが嫌で自分で交番に出頭し、自らグループを脱退、当時から正義感の強い性格だったことが伺えます。
不良を辞めた後は落語研究会に所属し、”一休寿”という高座名をもらって落語を楽しんでいたそうです。
同じ時期に友人の兄が持っていたギターに憧れ、自分の2歳年上の姉のギターを借り、音楽の世界にハマっていったのです。
父親は息子がギターに夢中になると、工務店で経営していたことから、すぐに防音システムを構築し、時間を問わずに練習できる環境を作りました。
当時の桜井和寿さんは暇さえあれば弾いていたとのことで、心ゆくまでギターを弾く環境を与えた父親の功績は大きいですね!
高校時代にミスチルメンバーに出会う。青春は音楽と最愛の彼女に尽くす
桜井和寿さんは高校に進学すると、軽音楽部に所属。
軽音楽部では、後にMr.Childrenのメンバーとなる、ギターの田原さんとベースの中川さんと出会い、バンド「Beatnik」を結成しました。
高校1年の頃の彼女を作り、その彼女とはミスチルがメジャーデビューする前まで約8年間も交際しました。
桜井和寿さんは自分の高校生活を音楽と彼女に捧げたと回想しております。
現在までに仕事と妻子を大切にされていますが、誠実さの基礎は学生時代から出来上がっていたということです。
桜井和寿の若い頃の年表。天才イケメン歌手として時代を背負っていた
桜井和寿さんは、今では”優しくてスゴイ人”というイメージですが、若い頃は”イケメンな若き天才”として注目されていました。
結婚が早く、その後に不倫のイメージが強く付いたことで、国民的なイケメン枠からは外れましたが、それでも才能と潜在的なビジュアルの良さでファンを順当に増やすことに成功しました。
20代前半のうちに、ミリオン、レコ大受賞と、若いうちから成功されていました。
1992年5月 | メジャーデビュー | 22歳 |
1992年12月 | ファーストアルバム「Kind of Love」が3年のロングセラーでミリオン達成 | 22歳 |
1993年7月 | 3rdシングル『Replay』が江崎グリコ「ポッキー」のCMに使われ初めてのタイアップ獲得 | 23歳 |
1993年11月 | 4thシングル『CROSS ROAD』がロングセラーとなりミリオン達成 | 23歳 |
1993年12月 | 初の地上波「ミュージックステーション」に出演 | 23歳 |
1994年1月 | マネージャー”ゆかり”と結婚 | 23歳 |
1994年10月 | 最初の嫁”ゆかり”との間に第一子の娘”優歌”が生まれる | 24歳 |
1994年年末 | レコード大賞受賞 | 24歳 |
1995年8月 | 「シーソーゲーム」発売。ヒットを記録し利益を阪神・淡路大震災の義援金に全て充てらる。 | 25歳 |
1996年2月 | 「名もなき詩」発売。初動売上120.8万枚と当時のオリコン歴代1位を記録。 | 25歳 |
1997年2月 | タレント・吉野美佳と不倫報道。 | 26歳 |
1997年3月 | 初のドーム公演を成功。先月の不倫報道の影響でMr.Childrenは活動休止。 | 27歳 |
1998年10月 | 「終わりなき旅」をリリースし復帰。ミリオン達成。 | 27歳 |
2000年5月 | 嫁・ゆかりとの離婚が成立。娘の親権は元嫁へ。 | 29歳 |
2000年6月 | 不倫相手だった吉野美佳と再婚 | 29歳 |
2001年4月 | 吉野美佳との第一子の長男・海音が生まれる | 30歳 |
2002年7月 | 小脳梗塞の疑いで活動休止 | 31歳 |
2003年3月 | 吉野美佳との第二子・愛音が生まれる | 32歳 |
2004年12月 | 「sign」が同年のレコード大賞を受賞 | 33歳 |
インディーズではソロの誘いを断る。20代前半の美しさは幻!
高校で現在のメンバーに出会っていた桜井和寿さん。
メジャデビューは22歳の頃ですが、実はインディーズ時代からすでにメジャーレーベルから才能を見出され、ソロデビューの誘いも受けていました。
それでも桜井和寿さんはソロの誘いを断り、Mr.Childrenの活動に専念すると、他メンバーらも桜井和寿さんの気持ちに応えるようにスキルアップしていきました。
桜井和寿さんは配送業などの仕事をしながら、下積み時代を踏ん張りました。
また、メジャーデビュー前に高校生の頃から交際していた彼女と別れました。
8年間も交際した彼女と別れたということで精神的ダメージも大きく、その後の音楽活動のアウトプットの基礎になったことでしょう。
22歳でメジャーデビューして24歳で父親になりレコ大を受賞
メジャーデビュー後の1994年にMr.Childrenのマネージャーを担当していた”ゆかり”さんと結婚。
結婚した同年10月に第一子の娘”優歌”さんが誕生し、24歳の若さにして父親になりました。
売れっ子若手バンドのボーカルが20代の中盤までに父親になることはレアケースです。
子供が生まれた同年1994年には「innocent world」でレコード大賞受賞の快挙を成し遂げています。
24歳の若さにして妻子持ち&日本を代表するミュージシャンになっていたということです。
25歳で「シーソーゲーム」「名もなき詩」を大ヒットさせ26歳で世紀の大不倫
レコ大を受賞した後もMr.Childrenの快進撃は止まらず、1995年には「シーソーゲーム」、1996年には「名もなき詩」を大ヒットさせました。
怒涛のミリオンラッシュが続いたのは良いですが、桜井和寿さんは仕事に没頭するあまりに精神的なバランスを崩してしまいます。
自宅に帰っても嫁さんは元マネージャー、公私混合してしまった結果、毎晩のように夜遊びに出るようになってしまいます。
そこで、当時タレントとして活躍していた吉野美佳さんと出会い、不倫関係になり週刊誌から報道。
時期的にMr.Childrenの初のドームライブの手前の報道だったことから、ドーム公演終了後にMr.Childrenは活動休止を発表。
桜井和寿さんは妻子持ちだったということから世間一般からは強くバッシングを受けました。
本人も反省から頭を坊主にまとめましたが、坊主姿がイケメン過ぎて反省色が薄く見えたのは残念でした。
桜井和寿のビジュアルの全盛期は20代後半から30代前半?
1997年3月のドーム公演を最後に活動休止したMr.Childrenですが、活動休止中にリリースした『ニシエヒガシエ』はオリコンチャートで初登場1位を獲得し累計売上は66.4万枚を記録しました。
1998年10月に発売した「終わりなき旅」で活動復帰を果たしますが、復帰シングルもミリオンセラーと、不倫スキャンダル後も音楽活動に支障はありませんでした。
出す楽曲のクオリティが毎回凄まじいだけでなく、実験的なことも成功させていたから驚きです。
今のミュージシャンであれば潰されそうな大スキャンダルを抱えながらも起こしながらもミリオンを連発していたのが末恐ろしいです。
また、この頃の桜井和寿さんのビジュアルはミスチルファンの間では伝説として語り継がれております。
2000年、29歳の頃に最初の嫁さんとの離婚が成立し、不倫相手であった吉野美佳さんと再婚しました。
その後に吉野美佳さんとの間には、2001年、2003年、2008年にそれぞれ男の子が生まれています。
2002年の31歳の頃に脳梗塞で倒れて2度目の活動休止
29歳で再婚し、30歳で長男も誕生し、私生活も安定し始めました。
31歳なった2002年は、「君が好き」をが大ヒットを記録し、デビュー記念日の5月10日に合わせて10枚目のアルバム「IT’S A WONDERFUL WORLD」も売上枚数100万枚を突破するヒットを記録。
公私ともに順調だった矢先、桜井和寿さんは小脳梗塞で倒れてしまいます。
メジャーデビュー10周年記念ツアー【Hall Tour DEAR WONDERFUL WORLD】が決定した矢先の7月23日に、桜井和寿さんの小脳梗塞発症が報道されました。
Mr.Childrenは当面の活動休止を発表しました。
当時は長期的なバンド活動休止を覚悟していましたが、同年中の12月には復活を果たし、復帰シングルとして「HERO」が発売されると大ヒットを記録しました。
幸いにも桜井和寿さんの命には別状もなく、後遺症もなくファンを安心させました。
2004年33歳が最も良い時期?人気・カリスマ性とも全盛期?
病気から復帰を果たすと、予定されていた周年ライブを1夜限り行い成功させ、その後も順当にヒットを飛ばし続けます。
この2002年〜からは、リリースする楽曲のレベル、歌唱力、ヴィジュアルも最高の時期だったと言われています。
33歳になった2004年にリリースした「sign」もメガヒットを記録し、年末のレコード大賞では10年ぶり2度目の受賞を達成しました。