ジョンレノンのクリスマスソング”Happy Xmas”の逸話。盗作疑惑やPの殺人事件

洋楽60年代
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クリスマスの名曲とされているジョン・レノンとオノ・ヨーコの「Happy Xmas(War Is Over)」。※ハッピー・クリスマス(戦争は終わった)

1971年12月1日に発売されて以降、毎年のようにクリスマスシーズンに世界中で流れ、人々に愛され続けています。

今日はジョン・レノンの”ハッピークリスマス”に纏わる裏話や小ネタを整理してみたいと思います。

サブタイトルの「戦争は終わった(War Is Over)」は、ふたりが平和活動で行ったポスターに使っていた言葉

「ハッピークリスマス(戦争は終わった)」はクリスマスソングであると同時に、平和への願いが込められた曲でもあります。

その意味の象徴でもあるのがサブタイトルの「戦争は終わった(War Is Over)」です。

この「戦争は終わった(War Is Over)」は、ふたりが平和活動で行ったポスターや看板で頻繁に使用していた言葉です。

ジョンとヨーコは1969年に結婚し、新婚旅行で訪れたアムステルダムとモントリオールで「ベッド・イン」という平和を訴えるパフォーマンスを行いました。

ふたりはホテルの一室に1週間滞在し、ほとんどの時間をパジャマ姿でベッドの上で過ごし、報道陣を集め「戦争するより愛し合おう」と平和のメッセージを発信しました。

この平和活動の延長でもある1曲なのです。

曲の始まりに囁かれる”キョーコ”はオノ・ヨーコの前夫との子で”ジュリアン”はジョンの前嫁との子供の名前

ハッピークリスマスの曲の始まりに、

「ハッピー・クリスマス キョーコ、ハッピークリスマス ジュリアン」

と優しく呼びかける声が入ります。

この”キョーコ”というのは、オノ・ヨーコと前夫との間に生まれた子供の名前です。

そして、”ジュリアン”とはジョン・レノンと前妻との間に生まれた子どもたちのことです。

本来、バツのある同士の夫婦の場合は、前パートナーとの子供への気持ちは複雑化されやすいですが、2人はお互いの大切な存在を大きな気持ちで愛し合い、その気持ちを表明する意味でもありました。

家族の幸せを願いながら世界の平和を願う、そんなふたりの気持ちが込められた曲だからこその演出でありました。

実はヒットしていなかった。オリジナル版ではチャート1位獲得できず

同曲は長年に渡って世界中の多くのアーティストによってカバーされていますが、実はリアルタイムではヒットしていません

アメリカで1971年12月1日にリリースされるも、リリースがクリスマスシーズンの直近過ぎたために、ラジオなどでのオンエアが少なかったことが原因となり、期待に反して大きなヒットとはならなかったのです。

ジョン・レノン本人も「リリースの時期を誤った」と後悔していたようです。

ちなみにシングル・チャートでは『キャッシュボックス』誌で36位、『レコード・ワールド』誌で28位を記録、ビルボードではチャートインすらしておらず、これにはクリスマスソングを掲載しないとの規定も影響したとされます。※クリスマスチャートでは3位

ジョンの母国・イギリスでさえ2位という結果。

現在、将来的にクリスマスソングの定番になる曲は初登場で1位を取らないというジンクスが生まれていますが、ジョンのハッピークリスマスはその代表例としてよく言われています。

フォークの名曲”Stewball”のパクリ疑惑

1930年代頃からフォークソングの定番曲として知られている”Stewball”

実はジョン・レノンの「ハッピークリスマス」は、この”Stewball”のパクリだという疑惑がありました。

サブスクやYouTubeで現代の主流となっている”Stewball”を聴いてみると、確かにメロディやサビが酷似しており、盗作疑惑が出てしまうのは仕方ないように思えます。

ジョンの母国のイギリスでは1950年代にスキッフルという音楽が流行し、米国のフォークソングもよく歌われ、ジョンが子供の頃から崇拝していたLonnie Doneganも“Stewball”をリリースしており、ジョンも曲の存在は知っていました

しかし、子供時代のジョンが聴いてたであろうLonnie Doneganの“Stewball”を聴いてみると別物で、「ハッピークリスマス」とは全然似ていません。

ハッピークリスマスに似ている方の”Stewball”が完成されたのは1961年で、John Herald and the Greenbriar Boysというグループによってリメイクされ、その後の1964年にPeter, Paul & Maryや Joan Baezなどが相次いでそのメロディで歌い継ぎました。

現在までにハッピークリスマスに似ている方の”Stewball”の方が、曲のイメージとして強いのです。

ジョンがハッピークリスマスをリリースしたのが1971年で、John Herald and the Greenbriar Boysらが”Stewball”をリメイクしたより後ということで、盗作説が強くなったのです。

現代でもビートルズやジョンを過大評価だと謳う人達の間では、このハッピークリスマスが”Stewball”に似過ぎている問題は持ち出され続けています。

同曲のプロデューサー”フィル・スペクター”は殺人罪で服役し獄中でコロナに感染し死去

ハッピークリスマスのプロデューサーは前年1970年にビートルズの「Let It Be」も担当したフィル・スペクター

フィル・スペクターはビートルズやジョン・レノンの他にもラモーンズやロネッツやティナ・ターラーなど多くの有名ミュージシャンヒットに携わった大物プロデューサーで、1989年にロックの殿堂、1997年にソングライターの殿堂入りも果たしています。

フィルは”元祖プロデューサー”と言われる大物ですが、スタジオでミュージシャンに銃を向けていたという逸話があるなど、悪評高い側面もありました。※ジョンレノンにも銃口を向けたとか

ジョン・レノンやジョージ・ハリソンはフィルのことを慕っていましたが、ポール・マッカートニーはフィルに対して疑心暗鬼な態度で接していたようです。

そんなフィル・スペクターは2003年2月に自宅で女優のラナ・クラークソンを射殺した容疑で逮捕。

当時、フィル・スペクターは彼女が自殺を図ったと主張して容疑を否認し保釈。

翌年2004年にローリング・ストーン誌が発表した「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」では第64位にランクインするなど、事件後も立場は守られ続けました。

しかし、2009年4月13日に検察の申し立てを受けた2度目の審理。

裁判では違和感あるフサフサヘアーを披露。

結局は第2級殺人罪で有罪の評決が出され、同年5月29日に70歳にして禁錮19年の判決が言い渡され、その後にカリフォルニア刑務所に服役。

88歳になるまで仮釈放の資格は得られないとされていました。

マグショットではカツラのない姿が撮られ話題となりました。

その後、2021年1月16日にコロナに感染し、81歳で死去されました。

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