今では国民的アニソンシンガーになったLiSAさん。
実は下積み時代は長く、歌手として一流になるまでの道は過酷でした。
今日はLiSAさんの意外な経歴や、学生時代、若い頃の苦労話などを整理してみたいと思います。
LiSAは6歳で父と生き別れ。美容師の母と妹と暮らす
LiSAさんは1987年6月24日に岐阜県で誕生しました。
昭和生まれですが、ギリギリ”ゆとり世代”に該当します。※87年4月以降が”ゆとり世代”
兄弟は妹がいる長女で、ダンプの運転手の父と、美容師の母との4人家族。
小学2年生の時に両親が離婚し父親が家を出ていき、家族3人で岐阜・関市内の市営団地に暮らしとなります。
幼い頃に父親が家を出て行ってしまったことはトラウマで、今でも”人を信じることが苦手”としています。
母と祖母に育てられ、子供の頃から習い事をたくさんするなど不自由はしなかったようです。

母と妹とおばあちゃんはLiSAさんのブログや動画メディアにも登場しており、ファンにとっては馴染みのある方々です。
| 芸名 | LiSA |
| 本名 | 織部里沙(おりべ りさ) |
| 生年月日 | 1987年6月24日 |
| 出身地 | 岐阜県関市 |
| 血液型 | B型 |
| 身長 | 165センチ |
| 出身小学校 | 関市立桜ヶ丘小学校→沖縄県の小学校 |
| 出身中学 | 沖縄の中学→桜ケ丘中学校 |
| 出身高校 | 富田高等学校 |
LiSAは小学生の頃からミュージックスクールに通う。沖縄に転居
LiSAさんは地元・岐阜県関市の関市立桜ヶ丘小学校に進学。
この学校の当時の校長はマラソン・オリンピックの金メダリストの高橋尚子さんのお父さんでした。

※今ではLiSAさんも高橋尚子さんと並んで岐阜の2大スタート言われています
音楽好きな母親の影響でLiSAさんは子供の頃から歌が好きで、小学校時代には地元のミュージカルスクールに通っていました。
スクールの送迎の際の車内で母が好きだった竹内まりやさんの楽曲が頻繁に流れ、LiSAさんは竹内まりやさんに強く影響を受けました。
小学校時代に沖縄県に転居。
SPEEDに憧れて沖縄アクターズスクールのオーディションに合格し、親元から離れてホームステイのような形でスクールに通学。
子供の頃から親元を離れても平気だったというLiSAさんは、当時からバイタリティ溢れる子供だったことが伺えます。
LiSAは中学途中で沖縄から地元の岐阜に戻る
LiSAさんは中学生になった後も沖縄の中学に進学。
学校が終わった後に歌やダンスを学ぶという生活を送っていたそうです。
しかし、LiSAさんは中学2年生の時に母親に「芸能界は諦める」と約束し、地元の岐阜県の関市に戻ります。
LiSAさんが挫折した理由は、周囲のレベルの高さでした。
「スクールでは定期的に歌披露の機会があって、そこでレーベルの目に留まるとデビューできるんです。その時に見てもらっているものが自分の音楽ではなく、商品価値があるかなんだと気づいて。何のために頑張っているんだろうと一気に冷めてしまって」
自分の個性よりも、”売りやすい”というトレンドにあった商品を品定めしてるだけの現状に萎えてしまったようです。

中学2年で地元の関市内の公立校の桜ケ丘中学校に編入し、その後は1学年上の先輩にバンドのボーカルに誘われロックに目覚めます。
中学時代のLiSAは不良だった?ピアス、ミニスカ、飲酒、窃盗、補導、4歳上の彼氏・・・。
元々ルックスが良く歌も上手かったLiSAさんは学校でも目立つ存在でした。
この頃にアヴリル・ラヴィーンなどの洋楽を聴くようになり、卒業式のライブではアヴリル・ラヴィーンやラブ・サイケデリコなどのコピーを披露。
洋楽のロックばかりのめり込んでた訳ではなく、カラオケに行けばMISIAさんや椎名林檎さんなど邦楽を歌うなど、ジャンル問わずに歌うことが好きだったようです。
過去に週刊誌にLiSAさんの同級生を名乗る方のインタビューが乗っており、中学時代のLiSAさんはスカートが短く、耳はピアスだらけで派手だったそう。
授業には出ず、先生に”迷惑になる”という理由で「保健室に行け」と言われ、ほとんどを保健室で過ごしたそう。
その他にも週刊誌では、
- カラオケで飲酒
- 深夜に公園でたむろし補導
- 自転車の窃盗
など書かれていましたが、この点に関しては本人の言及はありません。
また、中学生にして4歳年上の彼氏がいて、学校には車高の低い改造車で出迎えしてもらっていたとか。
LiSAは私立富田高校に進学。バンドを結成しバイト漬けの青春
LiSAさんは中学を卒業すると、地元の私立・富田高校に進学。
高校時代に「CHUCK」というバンドを結成して、ライブハウスなどに出演。
バンドでは当時流行っていたアヴリル・ラヴィーンやグリーンデイばかりコピーしていたそう。

進学した高校は私立だったことから、
- 髪を染めてはいけない
- スカートを短くしてはいけない
- メイクしてはいけない
など校則が厳しく、その鬱憤をパンクで発散していたそうです。
「すごく厳しい学校で、スカートが短かったら叱られるし(笑)、学校にいるのが嫌で、そこで溜まった鬱憤が全部音楽に注がれていたように思います」
あるインタビューでは、
「高校の頃は、アヴリル・ラヴィーンやグリーンデイなどパンクロックがすごい好きで、ずっと外でバンドをやっていました。パンクロックの“自分の意志を貫く”スタイルにすごく影響を受けて、今の私の“自分を信じる”“今日を楽しく過ごす”という考えにつながっていると思います」
と今でも当時嗜んでたパンクロックの精神が身に染みていると語っていました。
学校のことが嫌いだったLiSAさんは早く学校から帰りたかったそう。
放課後はバンド仲間たちと路上ライブをし、定食屋兼居酒屋でのバイトに費やしました。
当時はチケットのノルマもあったことから、お金が必要で休みの日には1日中アルバイトをし、LiSAさんは高校時代を「学校、バンド、バイトのループだった」と振り返っています。
「高3になって、みんなは「美容師になりたい」とか「大学に行って看護士になる」とか明確に夢を語っていたんだけど、私は何もなかったの。バンドはやっていたけれど岐阜に住んでいて、音楽を夢にするなんて叶うわけないと思っていたし」
学生当時はバンドで夢を見ることは考えていなかったそうです。
ちなみに中学時代と違ってちゃんと授業に出ていたため、学業は比較的に優秀だったそう。
高校の成績が良かったことから担任からは大学への進学を勧められましたが、バンド活動のために進学しませんでした。
LiSAの長い下積み時代。地元でバンド活動しバイトで100万貯めて上京も貧困暮らし
LiSAさんは高校を卒業した後は、ドラッグストアでアルバイトをしながら高校時代に結成したバンド「CHUCK」の活動に励みました。

ドラッグストアでのバイトは最新のコスメに囲まれて楽しく、バンド活動でシフトが不定期になっていたものの、当時の店長がバンド活動に理解があり応援してくれたそう。

しかし、21歳の頃にメンバーがプロを目指していないことが理由でバンド解散、その頃にLiSAさんは上京を決意しバイトで100万を貯金。
母に秘密で東京で生活するアパートを決め、出発前日に母に「東京に行く。契約書にハンコを押して」と伝えるも、中学時代に”音楽をやらない”との約束を破ったことから大揉め。
結局は、家出同然での上京となってしまいました。
実家の野菜の仕送りをアテにした貧困時代
上京後は「最初はどんな入口でも良い」と、音楽以外にもタレントやグラビアなどたくさんのオーディションを受けます。
また、上京後も自分が1人で歌えるタイプではないと自覚し、お世話になっていた人にメンバーを紹介してもらいバンド「Love is Same All」を結成。

東京で高田馬場に移り住みますが、その理由はバンドマンが集まって練習する「GATEWAY STUDIO高田馬場CLUB PHASE」という場所があった為でした。
吉祥寺や高田馬場のライブハウスに出演し、本命はあくまで音楽で本人も「音楽に真剣に向き合った日々」と回想しています。
バンドと掛け持ちするのに都合の良いバイトが見つからず、上京資金の100万はすぐに底を尽き、結局は朝から夜まで3つのバイトを掛け持ちし、夜中から朝方まではバンドの練習というハードモードに突入。
通販サイトのカタログモデルなど複数をバイトを掛け持ちしながら、当時の睡眠時間は2~3時間という過酷な日々でした。
この頃は部屋に冷蔵庫、炊飯器、ベッドも何もなく、洗濯すら洗濯板を買って手洗いするような極貧とも言えるような暮らし。
岐阜で農家を営む祖父からの野菜の仕送りを心待ちにしていました。
祖父がLiSAさんの好物をダンボールに忍ばせて送ってくれることもあり、それを見つけたLiSAさんは嬉しさのあまり泣いてしまったこともあったとのこと。
ある時に実家の母から何事もなかったように「なにやっとんの?」と電話がきて、その後に帰宅すると母がサプライズ訪問してくれるなど応援してくれるようになります。
まだ自分のことを信じてくれる母親の姿にLiSAさんは、
「母に自慢の娘になるんだじゃないですけど、『やったったよ!』って言える強さを持っていなくちゃなと思っていました」
と気合を入れ直し、高田馬場を離れることなく、音楽を諦めませんでした。
当時の心境を「虎視眈々とチャンスを狙っていた」と振り返っています。
LiSAは22歳で念願のメジャーデビュー。その後の鬼滅の刃の主題歌でレコ大獲得
健気に歌唱を鍛錬していたLiSAさん。
諦めずに数々のオーディションを受ける中、22歳の時にTVアニメ「Angel Beats!」の劇中バンド「ガールズ・デッドモンスター」のオーディションに合格。
2代目ボーカル・ユイの歌唱役として注目を集めています。

LiSAさんはこの楽曲をきっかけにアニソンシンガーになることに決めます。
そして、24歳だった2011年に「LiSA」名義でソロデビューを果たします。

その後、2012年にリリースしたファーストシングル「oath sign」はいきなりオリコン5位のヒット。
アニソンシンガーにはいないタイプである、バカ明るい一軍女子というスペックを武器に多くのファンを取り囲み、2014年には初の日本武道館でのライブを敢行。
2016年には横浜アリーナでの2日ライブを成功させ、2017年もアルバムもシングルも好調に売れました。
2018年にはベストアルバムで自身初のオリコン1位を記録。

2019年には「鬼滅の刃」のテーマ曲「紅蓮華」でミリオンを記録し同年に紅白歌合戦に初出場を果たしました。
2020年にも「鬼滅の刃」のテーマとなる「炎」が大ヒットを記録し、2年連続での紅白歌合戦出場となりました。

さらには「炎」はレコ大でも大賞に輝くなど、日本を代表するシンガーとなりました。







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