GLAYといえば、ヴィジュアル系バンドの中でも珍しい”ドラム不在”のバンドです。
メジャーデビューした頃から正式なドラムは存在せず、現在までずっとサポートのドラムを雇っています。
ただ、結成からずっとドラムがいなかったというわけではなく、インディーズ時代は正式なドラムを採用して活動していた時期もあったのです。
しかし、なかなかドラムだけが長続きせず、何度もドラムが交代した歴史があるのです。
今日は、過去に存在したGLAYのドラムについて整理してみたいと思います。
売れる前のGLAYには4人以上のドラムが在籍し全員が去った
GLAYは1988年に北海道函館市でTAKUROさんとTERUさんを中心に結成。
1995年までの7年間の間に、約4人のドラムが在籍し、結局は誰1人として正規メンバーとして固定されませんでした。
↓売れる前のGLAYにドラムとして在籍していたメンバーを分かる範囲でまとめると以下のようです↓
| 名前 | メンバー期間 |
| SHINGO (ドラム→ベース) | 1990年~1992年9月 |
| ISO(ドラム) | 1992年2月~5月 |
| AKIRA(ドラム) | 1992年5月~1994年1月 |
| NOBUMASA (ドラム) | 1994年~1995年4月 |
初期のドラム・SHINGOは上京後にベースに転向しドラムにISOが加入も2人ともクビ
結成当初は全員が北海道函館出身のメンバーで、初代のドラムにはSHINGOさんという方がいました。

GLAY上京後の1992年、SHINGOさんはバンドの事情でベースに転向。
なんとも、SHINGOさんは加入当初からベースの実力に定評のある方だったようです。※脱退時はファンに惜しまれました
SHINGOさんがベースに転向したことに従い、ドラムはHISASHIさんがバイト先で知り合った高校生のISOさんが第2代ドラムとして加入。

ただ、このISOさんは学生だった事情でGLAYの活動にスケジュールを合わせることが難しく、技術的にも物足りず、僅か3ヶ月でTAKUROさんによりクビを宣告されます。
ISOさんが脱退した後のドラムにはAKIRAさんが加入。

AKIRAさんは元々サポートドラムとして活動していた方で、前々からGLAYのポテンシャルに目をつけTAKUROさんに自らを売り込んでおり、ISOさんが抜けたタイミングで遂にAKIRAさんが第3代ドラムとして加入となりました。
ISOさんをクビにする際、TAKUROさんはISOさんの親に会い説明などをしたそうで、当時のことを思い出し「申し訳なかった」と語っています。
ベースに転向していたSHINGOはバンドよりも女を選び脱退しお別れライブを開催
ISOさんが抜けてAKIRAさんがドラムに変わった一方、ベースに転向していたSHINGOさんは上京後に作った彼女を優先するようになり、バンドの練習に遅刻したり休んだりするようになりました。
ある時にGLAYのライブを風邪をひいた彼女の看病のために休みたいと言い出し、そのことが発端でメンバーで話し合いSHINGOさんをクビに。
SHINGOさんをクビにする手前、TERUさんとAKIRAさんが家に近所まで行き、本人の口からバンドよりも女であることを確認。
一緒に上京したメンバーでメンバーもファンもショックを受けたそうですが、最後はTAKUROさんの計らいでお別れライブを実施。
現在までにSHINGOさんとGLAYのわかだまりはないとのことです。
AKIRAとNOBUMASAは事務所の意向でクビ。その後に暴露本を出版し話題
3代目ドラムのAKIRAさんはサポートドラムを続けながらプロを目指していた方で、宝石の原石であるGLAYへの加入は念願でした。
TAKUROさんに自分を売り込む際に、”自分がいればGLAYはよくなる”、”メジャーデビューできる”と豪語しており、実際にGLAYの勢いは増しました。
AKIRAさん加入後の1994年にYOSHIKIさんが立ち上げたエクスタシーレコードとの契約が決定しメジャーデビュー、有言実行となりました。
しかし、AKIRAさんはメジャーになった後の活動内容や音楽性の変化に不満を抱くようになりました。
また、当時のGLAYはメインライターのTAKUROさんとボーカルのTERUさんの存在が大きく、レコード会社の中の人間に”TERUとTAKUROがいれば良い”との発言もあり、AKIRAさんの不満を増幅させました。
インディーズ時代とは変わってモチベーションの下がったAKIRAさんは素行面で問題が出始め、ある時にアルバムのレコーディングに大遅刻したことが発端で事務所から解雇される形となりました。
4代目ドラムのNOBUMASAは事務所に技術力を指摘されクビ
AKIRAさんをクビにした後、GLAYのドラムにはNOBUMASAさんが就任しました。

NOBUMASAさんを4代目ドラムに迎えると、技術的に問題なく、人柄も良かったことですぐにGLAYのメンバーらと打ち解け合いました。
ただ、またもや当時の事務所が
「このドラムスの技術では売れるまで後3年は必要だ」
とドラムの技術力に苦言を呈し、NOBUMASAさんのこともクビにするように通達。
結局、メンバーらは反対でしたが、リーダーのTAKUROさんが涙を流しながらNOBUMASAさんにクビを宣告することとなりました。
と言われ、TAKUROさんが涙を流しながらクビ宣告。
当時のNOBUMASAさんのクビを巡ってはTERUさんとHISASHIさんが激しく怒り、事務所からクビの話が出た段階でNOBUMASAさんに電話し「絶対に辞めると言わないで」と根回しをするなど、最後まで抵抗したそうです。
ただ、一説によると、NOBUMASAさんがGLAYが少し売れて以降から怠慢になり、練習しない、時間にルーズになる、などの問題もあったと言われています。
それでも、クビが伝わるまでの他メンバーの動きやTAKUROさんの涙を知れば、そんな問題も超越した仲間だったことに間違いないです。
AKIRAとNOBUMASAは脱退後に暴露本を出版
GLAYはYOSHIKIさんが代表を務めるエクスターレコードでメジャーデビューして以来、二人のドラムを会社経由でクビにしてます。
もともとエクスタシーレコード的に、凄腕のサポートドラムに引っ張ってもらう形でGLAYの底上げをしたく、そもそも正規ドラムを必要としていなかったのでは?との説があります。
ドラマーであるYOSHIKIさんが創立したレーベルということで、ドラムに厳しすぎた故の歪んだプロデュースだったとの見方が多数です。
ちなみにAKIRAさんもNOBUMASAさんも脱退後に暴露本を出版しています。
暴露本ではGLAYのデビュー前後の出来事やレコード会社との関係、バンド内での衝突や葛藤が綴られていました。
上記に書いた脱退した際の状況は本人らが出版した暴露本に書かれていた内容です。
GLAYは現在までに正規のドラムが不在ですが、過去にサポートをした方を勧誘したこともあったそうですが、その方は出来上がったGLAYの世界観を壊したくないとの理由で断っています。
























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