矢沢永吉さんといえば、過去に巨額詐欺に遭い、とんでもない借金背負ったことで知られています。
当時にして総額35億円の借金。
借金の額もすごいですが、その金額をしっかり返しきったという事実も驚きです。
今日は矢沢永吉さんが過去に引っ掛かった詐欺事件と、借金に纏わる逸話を整理してみたいと思います。
矢沢永吉の巨額詐欺発覚までの経緯
矢沢永吉さんはソロ歌手としても成功した70年代後半、本格的に世界進出を志しました。

その足掛かりとして、オーストラリアのゴールドコーストに高層ビルを建て、その中に音楽スタジオと音楽学校を入れようと計画。
そして、ゴールドコーストの人気エリア・サーファーズパラダイスに1万平方メートルの土地(そこに立つ2棟のビル)を購入しました。

その金額は35億で、そのお金は銀行から借りました。
バブルが崩壊し不況から計画を遅らせる
当初は2つのビルを取り壊して、高層ビルを建てて、スタジオや音楽学校を入れつもりでした。
しかし、ちょうど同じタイミングで日本のバブルが崩壊し、不動産業界は不況に陥ります。

そこで矢沢さんは購入した土地のビルを取り壊して高層ビルを建てる計画を遅らせ、とりあえず既存の2つのビルに入っている40〜50入っているテナントの家賃収入を貯めて静観しようと計画を変えました。
ビル管理び会社をオーストラリアに創立。経理部長と親しいコーディネーターに責任を任せる
購入した2つのビルでしばらくは家賃収入を得て、3〜4年後に様子を見て、取り壊し&高層ビル建築の計画を進めることに。
それまでに2つのビルを管理する会社がオーストラリアで必要となり、矢沢さんの会社の経理部長と、過去にCMの仕事で知り合ったハワイのコーディネーターの方を代表に会社を設立。
2人を中心に設立した会社でテナントからの家賃収入の管理とビルのメンテナンス、各々の監督責任を任せることに。
オーストラリアに会社を設立後、矢沢さんは現地の会社から登記簿、テナント収入、管理するのに使った経費、会社口座の出入金などFAXで送ってもらい、矢沢さん自身がマメに目を通す仕組みを作りました。
会社設立の10年後に30ドルの誤差で詐欺が発覚
矢沢さんが騙されていたことに気付いたのは会社設立から約10年後の1998年1月です。
発端は、テナント収入の詳細の合計金額が30ドルほど合わなかったこと。
矢沢さんはすぐに違和感を覚え、問い合わせると口座も支店長も存在していないことが発覚し、日本から3人のスタッフを現地の会社に向かわせると、そこに会社は存在していなかったのです。
矢沢さんはすぐに信頼できる弁護士に相談。
弁護士にFAXの送信元などを調べてもらった結果、「オーストラリア・サケ」という聞き覚えもない会社が浮上し、10年間送られてきた登記簿は巧妙に作られた偽物だったです。
35億で購入した土地(2つのビル)は既に競売にかけられ、別のオーナーの手に渡っていたのです。
矢沢永吉を騙した2人の巧妙な詐欺の手口
矢沢さんが信頼していた経理部長と現地責任者。
2人の裏切りはオーストラリアに会社を設立した当初から始まっていました。
なんとも、現地責任者は当時、オーストラリアで日本人向けリゾート開発が行われるとの情報を聞き、そこに投資するために矢沢さんが買った土地(ビル)を担保に入れて銀行からお金を借りようと考えたのです。
当時、オーストラリアの法律では、”オーストラリアで会社を作るためには、現地(オーストラリア)に住む取締役がいなければいけない”というものがありました。
現地責任者は矢沢さんの会社設立の準備を手伝った現地の弁護士を取締役に据え、「矢沢がオーストラリアでリゾート計画を進めてくれと頼まれている」と嘘をつき、サインもそっくり真似て、弁護士をも騙して協力させたのです。
こうして矢沢さんの土地を勝手に担保に入れ、銀行から融資を受けて日本人向けリゾート開発での金儲けを決行。
矢沢さんに向けては巧妙に作った偽物の書類を送り続け、騙し続けました。

FAXの送信元であった「オーストラリア・サケ」は日本酒を会社で、2人の金儲けのサブ的な会社でした。
しかし、早々にバブルが崩壊し日本人の羽振りが悪くなり、日本人向けリゾート開発は失敗、メインの会社もサブの会社(オーストラリア・サケ)も倒産。
担保の入れていた矢沢さんの土地(ビル)は競売にかけられ、他人の手に渡ったという流れです。
矢沢永吉を騙した現地責任者と経理部長は逮捕
事業に失敗し担保に入れていた矢沢さんの土地(ビル)を手放してしまった経理部長は、ボス(矢沢)に隠そうと巧妙に明細を偽装。
しかし、僅か30ドルの誤差から、矢沢さんに全てを見抜かれてしまいました。
その後、紹介されたオーストラリアの検察官であるステファン・グリーンの協力もあって1998年8月14日にオーストラリアで、まずは現地責任者が逮捕。
グルになった経理部長は日本では逮捕できないということで、矢沢さんは憎しみの気持ちを抑え、あえて「お前も被害者だもんな」「捜査で何かあったら教えてくれ」と逃げないようにホールド。
経理部長は自主退社していましたが、矢沢さんは「仕事は順調か?」と電話するなど逃げないように囲い続けました。
オーストラリアで経理部長を逮捕するために、「オーストラリアの検察が聞きたいことがある」(※嘘をついて連れて行ってはダメな為)とオブラートに伝え、空港まで矢沢さんのスタッフがお見送りをするなどして、なんとか向かわせました。
そして、1999年3月10日にオーストラリア入りした経理部長も無事に逮捕。
現地責任者は2003年2月に禁固4年、経理部長は2003年3月に禁固10年の実刑判決が言い渡されました。
被害額の35億はオーストラリア犯罪史上2番目の被害額でした。
また、”オーストラリアに法人を作る場合に現地に住む取締役を置かないといけない”という法律も改正されました。
矢沢永吉は嫁・マリアや身内スタッフに「矢沢なら返せる」と励まされ奮起
矢沢永吉さんには35億(※10年で払った分を差し引いた額)の借金が残りました。
当初は、毎晩のように過呼吸、髪の毛も抜け落ち、お酒に溺れました。
その姿を見かねた嫁・マリアさんは「もうお酒も飽きたよね?」「矢沢なら返せる」と叱咤激励。
また、税理士やマネージャーらも「矢沢なら返せない額ではない」と計算し再び立ち上がることに。

当時のメディアが詐欺事件を面白おかしく報じたことで、私生活が乱れ妻子と共にアメリカに移住することに。
あまりにも理不尽な逆行が、かえって矢沢さんの魂に火を付け、その後は仕事に奔走。
そして、2004年4月までに完済してしまいます。
矢沢が返済に費やした期間は6年ではなく15〜6年
完済後、矢沢永吉さん自身が詐欺事件を回想することがあります。
当時から6年で完済したとの報道が多く、これに対しては、
「実際は15、6年かけて返済していた」
とも語っています。
詐欺だと自覚して払い始めたのは1998年から完済までの6年ですが、で、その土地購入直後の約10年間は夢への投資のつもりで騙されて払っていた為に、「実際は15〜6年掛かった」と説明しているのです。
合計すると35億を返済するのに15〜6年掛かりましたが、詐欺発覚後に6年で返した金額は25億ほどだと思われます。

矢沢さん自身がメディアで「6年掛かった」など簡素化して話すことが多く、返済期間の詳細がちゃんと伝わってない場合が多いです。※おそらく長くてややこしいので気を遣ってるのでは?
35億の借金を返し終えた後に人生で最高の日本酒を飲む
1998年に発覚した詐欺事件。
6年後の2004年4月には借金を全て返済。
2009年に出演したSMAPの冠番組「スマスマ」にて、完済当時の状況と心境を語っていました。

借金が終わった頃、矢沢さんはロサンゼルスにいたそう。
事務所の人から、
「ボス!!今銀行から電話がありました」
「(返済が)終わりました」
と言われました。
矢沢さんはそのまま近所にある日本人がやっている行きつけのお店に入ったそう。
矢沢さんはお店に入ってすぐ、マスターに「日本酒1杯!」というと、マスターがすぐに「良いことあったでしょ?」と笑顔で聞いてきたそう。
そこでマスターに借金が終わったことを明かし、続けて2杯も強い日本酒をストレートで飲み干したとのこと。
中居正広さんに「美味しかった(日本酒)でしょ?」と聞かれると、矢沢さんは幸せそうに頷いていました。
ちなみに矢沢さんを騙した2人が作った会社名「オーストラリア・サケ」で日本酒を手掛けていました。
その日本酒の会社は倒産して失敗、詐欺もバレて禁固刑中(2004年当時)という状態。
矢沢さんは皮肉が効いた人生最高の1杯を堪能したということです。
矢沢永吉が被害に遭った詐欺事件まとめ
矢沢さんの事件が公になった時、「欲を出して事業するからだ」「身内に信頼されてないからだ」「天狗になって人任せにするからだ」など言われたい放題でした。
矢沢さんがオーストラリアに高層ビルを建てて、その中に音楽学校やスタジオを入れようと考えたのは、金儲けのためだけではなく、後世の育成や、自分自身のスキルアップの意味もありました。
また、矢沢さんがマヌケだったというような声もありますが、オーストラリアに会社を創立してから毎月必要書類を送らせ、自分自身で目を通し、決して怠慢だったわけではありません。
現地の不透明な法律の隙を突かれてしまっただけ(現在は改正)で、むしろ30ドルの誤差から違和感に気付いて即調査をしたのは優秀です。
さらに、発覚後に裏切り者(経理部長)に対して憎しみを抑えて1年以上も普通に接し、結果的に経理部長を刑務所送りに成功させた演出も流石であります。
一番凄いのは、破産の道を選ばず6年で巨額の残額(25億ほど)を返し切ったことです。※50歳の脂が乗り切った時期から多くのライブが開催されたのはファンにとって悪い話ではありませんでした。
この事件で35億円を失いましたが、詳細を知るほど矢沢さんの人間的な魅力が本物であることを証明させる事件だったと語れます。












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