AKB48と言えば、かつては総選挙や握手会など独自のイベントに力を入れて時代を牽引した歴史的アイドルグループです。
イベントの際に起きる感動のドラマやハプニングに世間が注目し、ひと時代を背負いました。
ただ、握手会には黒歴史が1つ残されており、それは2014年に起きた襲撃事件で、後に「AKB48握手会傷害事件」として語り継がれることとなります。
今日は2014年にAKB48の握手会で起きた襲撃事件の経緯や、犯人やメンバーを守った男性スタッフ、被害を受けたメンバーについて整理してみたいと思います。
AKB48握手会襲撃事件の詳細
2014年5月25日、岩手県滝沢市の岩手産業文化センターで開催さたAKB48の握手会イベントで、「AKB48握手会傷害事件」が起きました。

犯人である青森県十和田市から来た24歳の男性は川栄李奈、入山杏奈、大島涼花、倉持明日香、高城亜樹の5人が待機する第6レーンに並びます。

そして握手会イベント中の16時55分に、犯人の男性は持参したノコギリでAKB48メンバーを襲撃。
これによって、入山杏奈さんと川栄李奈さんの2人、そして2人を庇った男性スタッフが負傷を負いました。
事件までの大まかな流れ
犯人は第6レーンのテント内にいた川栄李奈さんと入山杏奈さんをジャンパーの胸ポケットに隠していたノコギリで襲撃。
犯人は無言でノコギリを出し、叫び声などは上げず、事態に気付くまでラグがありました。
男性スタッフの1人が止めに入り、一度は払いのけられましたが、素手で刃物を掴み、勇敢に立ち向かい、犯行を妨害。
止めに入ったスタッフの動きから周囲スタッフらが事態に気付き、すぐに犯人を取り押さえました。
事件が起きた一角はすぐに暗幕で覆われ、会場で流れていたBGMも止められ、会場にいたファンも事態に気付き始めました。
事件が起きた4分後の16時59分には警察へ通報。

そして、17時08分に駆け付けた盛岡西警察署の署員により、犯人は殺人未遂で現行犯で逮捕されました。
その後に握手会は途中で中止され、負傷した川栄李奈、入山杏奈、男性スタッフの3人は、盛岡市にある岩手県高度救命救急センターへと救急搬送されました。
事件後の川栄李奈と入山杏奈。痛々しい会見。守った男性スタッフは英雄
この事件で川栄李奈さんは右手親指の骨折および裂傷。
入山杏奈さんは右手小指の骨折および裂傷、頭部の裂傷。
勇敢に立ち向かった男性スタッフは左手の骨折。

3人ともに切られているだけでなく、骨まで折られてるということで、一瞬の間に激しい攻防があったことが想像できます。
岩手県高度救命救急センターへと救急搬送された川栄李奈さんと入山杏奈さんは同日21時から翌26日0時まで3時間にわたる裂傷の縫合手術。
そして、男性スタッフは夜中の2 -〜3時間に手術。
他の握手会に参加したメンバーも精神的影響も考慮され、スタッフに付き添われ同日の20時40分ごろ盛岡駅に到着し、同駅20時50分発の新幹線で東京へ返されました。
すでに事件が世間に報道され、報道陣が東京駅・上野駅に集結していた為、一度は大宮駅で全員降車するなどの配慮がされました。
怪我を隠すようにして退院。報道陣60人以上が病院前に集結
事件が起きた25日に入院していた3人は、翌日の26日には退院。
午前中に男性スタッフが先に退院し、18時30分に川栄さんと入山さんも退院。
川栄さんと入山さんの2人は本来は27日の昼に退院予定でしたが、医師から退院の許可が出たため、急遽退院を決定したということです。
退院の際、救急センターの前にはおよそ60人の取材陣が集まるも、疲弊しており、簡単な挨拶だけ済ませ運営が用意した車に乗って東京に戻りました。

この際、2人ともに怪我をした箇所を隠し、頭部を怪我した入山さんは余裕のある帽子を被り対処するなど痛々しい姿を見せ、ファンにショックを与えました。
川栄さんは鎮痛剤投与と薬の影響で足元がふらついており、車椅子での退院が予定されていましたが、結局はそのまま退院することができたそう。
事件当時の世間やファンの反応。守った警備員は英雄!ガセネタも飛び交う
事件後、身を挺して川栄李奈さんと入山杏奈さんを守った男性スタッフを称える声で溢れました。
20代の男性スタッフは刃物を掴んだことによる切り傷と骨折を負いましたが、「当たり前のことをしただけ」とコメントし、退院する際は運営側より「身をていして守ってくれて感動した。ありがとう」と感謝され、固い握手を交わしました。
男性の英雄ぶりに感動する声が溢れる一方で、情報が行き届いてないタイミングでは、不謹慎なデマも多く流されました。
リアルタイムでネットで流されたデマは↓
- 川栄李奈が刺されて瀕死
- 川栄李奈が同じ6レーンにいた大島涼花を庇って刺された
- 川栄李奈の親が心配して無期限活動休止
- 数ヶ月後の総選挙が中止になる
などです。
主にバラエディで結果を残して有名だった川栄李奈さんを中心に、様々な憶測が飛び交っていました。
総選挙中止などは、その後にグループの各イベントに影響が入ったという事で、信じてる方も多くしました。(実際には予定通りに実施)

また、当時の川栄李奈さんが恋愛対象の年齢を23歳までと発言していたことから、24歳である犯人が発狂したという説も唱えられていました。
事件後の影響。高橋みなみは「グループが終わりました」と号泣し秋本Pは解散も検討
事件後、川栄李奈さんと入山杏奈さんはトラウマに悩まされるなど影響が続きました。


その後に仕事復帰を果たし、ギプス姿で気丈に振る舞い2人の姿に「可哀想」とファン中心に批判の声が上がりました。
グループの総監督の立場にあった高橋みなみさんはその後に出演した番組で事件を回想。
「奥のレーンからメンバーが走ってきて、壁の隙間から血がバーって流れてきて…。
下がってください下がってくださいってスタッフさんがファンの方に言って、メンバー避難してくださいって。避難って何だって思って。レーンから出たら血の海ですよね。ビックリしましたね。
何が起きたか分からなかったけれど、誰かがやられたっていう事だけ分かって。そしたらメンバーが血まみれになってたので。
本当によくわからなかったです。一瞬で何かが終わったって思いました。
みんなひとまずここにいてくださいって部屋に閉じ込められちゃって。発狂してる子もいるし、血まみれだし、壮絶でしたね。」
と、グループの終わりを予感したそうです。

高橋みなみさんはプロデューサーである秋元康さんに「AKB48は終わりました」と話しており、秋元康さんも解散を検討。

当時、多くの未成年メンバーがいたことから、保護者などを対象に説明会も実施され、その対応も高橋さん頼りでした。
岩手に来ていたスタッフと東京のスタッフの温度差が凄まじく、すぐに握手会を再開させようとする関係者に、高橋みなみさんが「状況がわかっているんですか?」と激昂するなど、結成以来最もグループが揺れた瞬間だったそうです。
犯人・梅田悟の動機。失業中に高収入のAKBに殺意
AKB握手会襲撃事件の犯人は青森県十和田市在中の24歳の男性・梅田悟容疑者です。

梅田悟容疑者は犯行動機について、
「人の集まるところで人を殺そうと思ってやった。誰でもよかった」
「最近イライラしていた」
「人が集まるところを探してAKBの握手会場にした。会場に入ってからAKBを狙った」
としています。
当初はメンバーのファンが犯行に及んだと思われましたが、実は梅田容疑者はファンではなく、襲った2人のメンバーの名前も知らず「誰でもよかった」とのことです。

実際に当初は近所の老人や子供を狙おうとしていたとも話しており、容疑者の親も「ファンとは知らなかった」と話しています。
また、当時の梅田悟容疑者は同年1月に警備会社をクビになり、再就職にも失敗し失業中の身でした。
「多額の収入があるAKBは、収入も職もないつまらない自分と正反対」
テレビで見たAKB48が高収入であることを知って嫉妬したことも原因の1つとされました。
しかしのお金の理由に関してはその後の裁判で本人が「1回、収入が関係あるとは話したが間違った」と訂正しています。
梅田悟は陸上部で結果を残すもイジメで青春が真っ暗。挫けずに家族の為に働くも精神病に苦しむ
梅田容疑者は中学時代は陸上部に所属し、青森県大会の800メートル走で2位になるなどの、地元で知られている人物でした。

中学卒業後、地元の高校に入学して陸上部に所属するも入学後1週間で先輩などから言葉によるいじめを理由に退部し高校も2年で退学。
その後に通信制の学校に転校し”体の弱い母親を助けたい”とアルバイトの給料をすべて家庭に入れました。
2012年の24歳の頃に高収入を得られるという理由で大阪府に引っ越し、吹田市の人材派遣会社に登録。
2012年12月中旬から翌2013年3月末にかけて社員寮に入り建設現場で交通整理の警備員の仕事を全うし、この頃も給料のほとんどを家庭に入れました。
しかし、精神的に不安定となり、体調を崩して精神科を受診し、発達障害と診断され、2013年5月には地元の青森の実家に戻りました。
その後は青森県から精神障害者保健福祉手帳2級の交付を受け、警備会社の仕事を見つけるもクビになったとのことです。
犯行までの流れ。ノコギリの両面にカッターナイフを貼り付け改造していた
梅田容疑者は2014年1月に警備会社を解雇され、再就職に失敗。
仕事を辞めて以降、食事と散歩をする時以外は部屋に引きこもるという毎日を過ごしていました。

3月末に、近所の図書館のパソコンから岩手県滝沢市で握手会が行われるということを知り、4月上旬に握手券が付属しているAKB48のディスクを2枚購入。(「ハート・エレキ」と「前しか向かねえ」)
春には計画を練り、自宅にあった全長50センチ(刃渡り20センチ)の2つ折りタイプのノコギリに接着剤を用いて、カッターナイフの刃を正面に合わせて4枚貼り改造。
犯行前にダンボールを切って切れ味を確かめており、この凶器を使った理由について「リーチがあって切れやすいと思った」と説明しています。
5月24日午前4時30分ごろ、家族に「眠れないから散歩に行く」と自宅を出て自転車で116キロ先にある握手会会場に向かい、バスや電車を乗り継ぎ、5月25日にAKB48の握手会会場に到着。

そして、同日13時のイベント開始時刻から男は列に並び、持っていた2枚の握手会参加券のうちの1枚を用いてレーンを下見し、列が短いレーンのほうがすぐに犯行に及べると考え、川栄、入山らのいる第6レーンに。
凶器は手提げ袋の中に隠し持っており、直前にジャンパーの内ポケットに移し、検査を抜けてレーンの手前側にいた川栄さんを襲いました。

川栄さんがしゃがみ込んだ際に標的を入山さんに変更し、2人の頭部に向かって凶器を振り下ろして、さらに頭部を守ろうとした2人の手を攻撃したということです。
事件後、現場にカッターのカケラが複数落ちていたそうです。
梅田悟の刑期は懲役6年。逮捕後の裁判と精神鑑定
梅田容疑者は男は殺人未遂の容疑によって握手会会場で現行犯逮捕。
「人が大勢いる場所で騒ぎたかった」との供述や意味不明な言動があったことから刑事責任能力を問えるかを判断するため精神鑑定も刑事責任能力を問えると判断され、傷害罪および銃砲刀剣類所持等取締法違反罪で起訴。
当初の殺人未遂罪にならなかった理由は、
「人が死亡する危険のある行為だと認識して行ったかを慎重に捜査したが、立証は十分でなかった。(凶器の形状など)全ての要素を総合的に判断し、殺人未遂罪の適用を見送った」
とのことでした。
2014年11月4日の盛岡地方裁判所での初公判には28席の傍聴席に対し132人の傍聴希望者が集まり、ファンからの報復を懸念し金属探知機や警備の配置などの配慮がされました。

容疑者は「多くの人に迷惑を掛けた。被害者は自分の事を恨んでいると思う」と反省を見せるも、検察側は男の犯行の悪質性を指摘し「動機は被告特有のもので卑劣で根深く、再犯の恐れがある」とし、懲役7年を求刑。
弁護側は「統合失調症の傾向があり、犯行には少なからず精神障害の影響があった」「事件の経緯や動機を自分なりの言葉で説明しており、反省もしている」と情状酌量を求めるも、
「犯行は残忍で、一歩間違えば命を奪いかねない犯行だった」
「和やかな握手会の光景が凄惨な場と化し、被害者やファンの精神的苦痛も大きい」
「参加者との信頼の上に運営されていたイベントが本件の影響で中止になるなど、社会的影響も軽視できない」
「被告の説明で正当化できるようなものではなく、凶器を使った無差別傷害事案の中でも重大だ」
として、結果的に懲役6年の判決となり、その後、検察および弁護人は両者とも控訴を行わずに判決は確定しました。
AKB握手会襲撃事件の現在。犯人は出所し川栄李奈や入山杏奈は後遺症や傷跡
事件から10年以上が経過し、すでに梅田容疑者は出所済みです。
逮捕直後の被害者2名と家族のコメントが今もネットに残されています。
↓川栄李奈の事件後のコメント↓
「梅田被告は2番目に並んでいた。普通に笑っているファンと違って、目がおかしいと感じた。
1番目に並んでいた人の後ろから、(梅田被告が)何かを振り下ろしてきた。おでこに当たった。
はじめは痛いと感じなかったので、むちのような物で殴られたと思った。
何度も棒のような物を振り下ろしてきたので、右手で防御した。
しゃがんで、身を守った。
精神的にもショックを受けた。
ファンや家族に迷惑をかけた犯人は許さない」。
↓川栄李奈さんの母親の事件後のコメント ↓
「娘の傷を見てて、『どうしてくれるのよ』と思った。
犯人が社会に戻ったら、また、襲われるのではないか。
甘い処分が出ると、模倣犯が出るのではないか。
できるだけ長い期間、刑務所に入れてほしい」
↓入山杏奈さんの事件後のコメント↓
「自分たちがいた6番テントで、梅田被告が川栄さんに何かを振り下ろしてきた。
その後、私の方へ向かってきた。
テーブルの下にしゃがみ込んだ。
頭に固い物が当たった。
本当に怖くて、『殺されるか』と思った。
頭をかばうように手を上げた。
梅田被告は最低2回は何かを振り下ろしてきた。
犯人は絶対許せない。
ファンに心配させた。厳しい処罰をお願いします」
↓入山杏奈の母親の事件後のコメント↓
「できる限り厳しい判決を。
犯人が(刑務所を)出てくると、また襲われるかもしれない。
親の立場でも、犯人への怒りでいっぱい。
長い期間、刑務所に入れてほしい」
川栄さんも入山さんも事件後は大きな物音などに怯えるなど事件の影響を受けましたが、周囲のサポートで共に克服。
それでも川栄李奈さんは事件の翌年3月にAKBを卒業。

その際は「私は、去年の事件があって握手会に出られなくなって、AKBは握手会を大事にしているけど、私は出られないし、これからも出られることはないので。周りが”気にしなくていいよ”と言ってくれても、自分は気にしちゃってて。」など、SNS閉鎖もあったりと卒業の早期決断に影響が及びました。

入山杏奈さんは傷口を隠す手袋などをしてると「いつまで治ってない振りしてるんだ」と心無い批判を浴びたり、その後も長く活動に影響を与えました。
入山杏奈さんはその後にトラウマなどは残っていないものの、在籍中は川栄さんと同じく握手会に出ることができませんでした。
また、指のピースする際の形やペンを持ち方などに違和感があり、後遺症があるとされていますが、現在では後遺症も含めて自分だと受け入れてるそうです。




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