BUCK-TICK/今井寿の若い頃。薬物逮捕やTVで弦無し&両手上げ奏法

V系90年代前半
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幾つになっても危険な香りがするBUCK-TICKのギター/今井寿さん。

絶世のイケメンである櫻井敦司さんとのツートップは、他にない魅力を発揮し男性ファンも多く取り込みました。

今日は今井寿さんの若い頃の魅力、逸話などを整理してみたいと思います。

今井寿のインディーズ時代。非難GO-GOからBUCK-TICKへ。小僧寿司でバイト

今井寿さんは1981年の16歳の頃、RCサクセションに出会い、将来は音楽で飯を食うことを決めます。

高校時代は地元の小僧寿司でバイトしており、バイト先の店長夫婦がロックが好きだった影響から、バイト中もRCサクセション筆頭にたくさんのロックを聴きながら寿司を握っていたそう。

1983年の高校3年生(18歳)の頃にはヒット前夜のBOOWYの高崎公演に最前列で参戦し、その様子は映像として残されています。

ちなみに同じく18歳の頃に、友人と原宿の”ラフォーレ原宿”でたまたま布袋さんと遭遇。

私物の布袋さんと色違いのジャケットにサインをもらったそうです。

1984年の19歳の頃には、同じ群馬県立藤岡高校に通っていた櫻井敦司、星野英彦、樋口豊、アラキと共に「非難GO-GO」を結成。

藤岡駅前にある実家「今井商店」に自然と集まってきた同級生や後輩と初めて組んだバンドでした。

「非難GO-GO」は今井さんによって結成され、バンド名も今井さんによって考案されるなど、きっかけもブランディングも、全て今井さんから始まり、ほとんどの楽曲の作詞作曲も担当しました。

この頃から右利きでありながらも左ギターで弾いていました。

結成した翌年の1985年にバンド名を「BUCK-TICK」に改名、こちらの名前も今井寿さん考案です。

改名を発表する際に、「BUCK-TICKです!」と言った途端に客席から「バァン!」と爆竹が鳴らされ、メンバーが「誰だ!爆竹を鳴らしたのは!」と怒る一幕があったそうですが、これは今井さん筆頭にメンバーが仕掛けた演出でした。

音楽誌の新人紹介コーナーに掲載されたことでライブの動員が増え、自主制作でシングル盤「TO-SEARCH」をリリース。

このアルバムでの今井さんは、芸名を「IMAI KOTOBUKI」と表記するなど遊び心満載。

当時のBUCK-TICKはBOOWYと近しいと思われましたが、今井寿さんのこのようなユニークな行動を見てると、RCサクセションからの影響も色濃く出ていたことが分かります。

22歳で”BUCK-TICK現象”でインディーズの歴史に名を刻む

1987年にBUCK-TICKは太陽レコードより、インディーズで1stアルバム『HURRY UP MODE』をリリース。

アルバムの発売記念に豊島公会堂で『バクチク現象』と称したライブを開催。

同ライブは太陽レコードの所属アーティストによるメインにBUCK-TICKを置いたイベントの予定でしたが、豊島公会堂のキャパ1,200人の集客が疑問視され、他のバンドは出演を辞退。

そこで、サワキの提案で「BUCK-TICK現象 4月1日 豊島公会堂」と書かれたステッカーが渋谷、原宿などの街中の至る所にゲリラ的に貼り宣伝。

結果的に当日券が400枚も売れ、800人の動員に成功。

このステッカーでの集客は音楽関係者に衝撃を与え、ライブを観にきていたメジャーのレコード会社各社からスカウトが殺到し、すぐにビクター音楽産業からのメジャーデビューが決定。

このドラマのような売れ方は、現在でもインディーズ界での伝説となっています。

「バクチク現象」のキャッチフレーズは、1987年9月21日のメジャー第一作品であるライブビデオ『バクチク現象 at LIVE INN』でも使用されました。

曲よりも先にビデオでメジャーデビューを果たすことになるなど、このライブの影響力の大きさが伺えます。

1988年には日本レコード大賞新人賞を獲得。

この頃には櫻井敦司さんと共に圧倒的な人気を誇り、ユーモラス溢れるキャラクターは当時から健在でした。

1989年1月には武道館ライブを成功。

スタイリッシュな衣装も着こなすようになり、女性ファンも多く獲得しました。

今井寿は過去に薬物使用で逮捕。同年に東京ドームを成功

今井寿さんは1989年4月21日、23歳の頃にLSD使用による麻薬取締法(現「麻薬及び向精神薬取締法」)違反で逮捕されました。

前年に武道館を成功させ、”これから東京ドームだ!”という大切な時期での逮捕でした。

今井さんが捕まった際の映像は時より動画サイトなどに上がっています。

当時の報道をまとめると↓

  • 1989年4月21日午後コンサート帰りの羽田空港で逮捕
  • 1988年12月友人からLSD10錠を3万5千円で購入
  • 原宿を中心に21才の店員が知り合いからLSDの錠剤467錠を買い入れ密売していたものでこれまでに15人が逮捕されていた
  • 高校時代の友人から錠剤を買いその内数錠を飲んでいた
  • これまでシンナーや大麻を吸った経験もあった
  • 初公判ではファン500人が傍聴券を求めて並んだ
  • 反省的な態度も見られ執行猶予が付いた

↑とのことです。

今井さんが使用したLSDはアルコールの100倍の効果があり服用すると強い幻覚症状があり、BUCK-TICKで作詞作曲を担当する立場にあったことから、作品への影響も考えられました。

東京地方裁判所には朝早くからファンら500人余りが傍聴券求め行列。

傍聴券が当たったファンは笑顔で嬉しそう。

開場時間にはライブの開演ダッシュのような異質な光景がありました。

東京地裁の清水ハジメ氏は、

「今井被告についてこれまでシンナーや大麻を吸った経験があるうえ今回のLSDに関しても好奇心から積極的に買ったものであるが、被告は事件後、音楽活動を自粛するなど反省的な態度も見られる事から執行猶予のついた有罪判決を言い渡しました。」

と初公判で事実を全面的に認め、反省の色があることから懲役6ケ月執行猶予3年の有罪判決となりました。

東京地裁前では今井さんが裁判所に入るなり、ファンらが一斉に黄色い声を上げなど、かなり難しい雰囲気だったそうですが、それでも忖度ない判決が下されたのは流石です。

今井さんは事件後音楽活動の自粛するなど反省の態度を見せていたことが功を奏しましたが、BUCK-TICK的には痛い時期に足踏みをすることとなりました。

逮捕された同年中に地元で復活ライブ。年末には東京ドームを成功さす

今井寿さんが逮捕される予定されていたツアーは中止。

残された4人は活動自粛し、その期間は他メンバーはメインライターが抜けた穴を埋めようと、各メンバーが積極的に創作活動に乗り出しました。

デビュー早々に反社会的なイメージが付いてしまったBUCK-TICK、この先の人気や活動にどんな影響が出るのか心配されていました。

復活ライヴとして1989年12月29日に東京ドーム公演が大々的に告知。

その9日前に彼らの地元である群馬音楽センターで、復活第一弾ライヴ「バクチク現象」を開催。

凄いことに、今井さんの事件後、全国で最初に会場を借してくれたのが地元の群馬音楽センターで、そのおかげで他県の会場も借りられるようになっていったそう。

メジャーデビューからわずか2年3カ月、メインメンバーの逮捕を挟んで12月29日に「バクチク現象 TOKYO DOME」と題したBUCK-TICK初の東京ドーム公演を開催。

約43,000人を動員し大成功を収めました。

その後、1990年には1月24日にシングル「惡の華」、2月1日にはアルバム『惡の華』、共にオリコンチャート初登場1位を獲得。

また、4月1日にリリースしたアルバム全曲ビデオクリップ集「惡の華」もビデオチャート1位となり短期で三冠を獲得。

今井さんのヒヤっとするスキャンダルが、かえってバンドの注目度を爆上げした感が歪めないですが、曲群は素晴らしくライブも申し分なく、音楽界からは一流のバンドとして認められました。

奇抜なメイクや髪型がトレードマークだった今井寿さんですが、比較的にナチュラルな姿を見せるようになると女性ファンは増加。

アルバム毎のサウンドや世界観の構築は基本的に今井の意向に委ねられるなど、バンドマスターとして尊敬も集め、男性ファンも増えていきました。

今井寿の伝説。カラオケを面白がりギターに弦を張らず、ソロでは両手を上げた

今井寿さんの武勇伝で有名なのが、テレビ出演時に口パクやカラオケに反発し、数々の奇行を行なったというもの。

特に”ギターに弦を張らずに登場”や、”ギターソロの場面で両手を上げた”という行動は有名です。

実はその他にも、

  • ソロギターの場面でチューニング
  • ストラップを付けずにギターを持って揺れるだけ
  • そもそもギターを持たずにシタールを持って演奏

など、他にも色々と凄いことをしていたようです。

実は自らカラオケをリクエストしていた

巷では、今井寿さんのテレビ演奏での数々の奇行は、音楽番組の口パク文化に反発したものだったと言われています。

しかし、これは今井寿さんが2010年に書いたブログの中で否定しています。

実は、当時の音楽番組では、ギターの音が上手く出ないなどのトラブルが多く、BUCK-TICKはメンバー間で相談し、カラオケでのパフォーマンスを自分らで希望したのです。

つまり、反骨心で行なったパフォーマンスではなく、自ら選んで遊んでたという方が正しいのです。

あくまで「面白いから」「せっかくのカラオケだからいつもと違うことがしたい」という想いから、あのような行動に走ったということです。

ちなみに、ブログではLUNA SEAのJさんが楽屋に現れて「俺のベースと交換して出ない?」と言われ「いいね!」と承諾したやり取りも明かしていました。

さすがにJさんのベースと今井さんのギターの交換は、放送日などの都合から実現しなかったようです。

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