GACKTさんといえば自由気ままな独身のイメージが強いですが、実は若い頃に一度結婚しています。
結婚したのはデビュー前の京都時代で、当時のGACKTさんは20歳でした。
嫁は韓国国籍の女性で、結婚生活は辛いことが多かったそうです、
今日はGACKTさんの最初の結婚と、当時の嫁さんについて書いてみたいと思います。
GACKTは20歳の頃に10歳年上の韓国国籍の女性と結婚。出会いは仕事先のカジノデューラー
GACKTさんは18歳の頃に京都学園大学に進学すると、すぐに退学。
退学後は京都でホストとカジノデューラーの仕事を掛け持ちし、17歳の頃から結成していたバンド「カインズフィール」の活動と大忙しでした。
GACKTさんが嫁さんと出会ったのは、勤めていたカジノです。
嫁は同じお店で働いており、GACKTさんと意気投合し、交際に発展します。
相手は韓国国籍の10歳年上の方でした。
ちなみにこの女性と交際したばかりの頃のGACKTさんはお金がなく、誕生日に彼女を焼肉屋に連れて行って辛い想いをさせたというエピソードがあります。
入店した焼肉屋はGACKTさんが想定してたより高いお店で、彼女に「がくちゃん何食べる?」と言われ、GACKTさんは「いいよ、何も食べない」と返し、彼女は泣きながら食事をしていたそう。
その時にGACKTさんは、お金のことで女性に悲しい思いをさせちゃダメだと心に誓ったそうです。
交際開始もGACKTファンからの嫉妬に苦しむ
交際開始後、2人は同棲生活をスタートさせました。
当時のGACKTさんのバンドはインディーズ界隈でも注目され、ファンも抱えていました。
彼女の存在はファンの間でも知られるようになり、やがてファンから嫉妬され嫌がらせを受けるようになりました。
彼女は安心を欲しがり、入籍することを望みましたが、当時のGACKTさんは籍を入れることにあまり意味を見出せませんでした。
愛があって、一緒にいて、ふとした仕草を見たときに「好き」って思うことがある。「好き」というのは形を変える。でも、いつも前提には愛がある。それでいいんじゃないかなと思うんだ。
籍を入れたのは、彼女のほうから、「籍を入れたい」と言ってきたからだった。僕は、「いいけど、僕は何も変わらないよ」と、言ったんだ。引用元:「自白」
それでも、彼女のことが大好きだったGACKTさんは、”籍を入れることで彼女は安心するのなら”と、彼女が望むように結婚を決断します。
当時の彼女の年齢が30歳だった頃から、普通の女性のように結婚に対して焦りもあったことでしょう。
入籍する際、GACKTさんは「いいけど、何も変わらないよ」と彼女に言ったそうです。
GACKTは3ヶ月で嫁と離婚。理由は嫌がらせやプレッシャー
GACKTさんは年上の韓国国籍の女性と1994年頃に入籍。
結婚前は”何も変わらない”と宣言していましたが、いざ結婚してみると”彼女から嫁”に変わったプレッシャーが彼女を苦しめました。
また、ファンに結婚したことが勘繰られ、嫌がらせはエスカレートしていきました。
家の前で待ち伏せをされたり、いたずら電話が止まなかったり、嫁はノイローゼ気味になってしまったのです。
嫁はGACKTさんの音楽で成功する夢を理解できず、最後の方は”仕事を辞めて欲しい”とまで言い出しました。
当時のGACKTさんは夢に追うことだけに精一杯で、満足に嫁のケアをしてあげれなかったそうです。
「婚姻届を出したことで安心したとしても、それは意味のないことだよ」籍なんて、ただの紙の問題だと、僕は思う。でも、彼女は証明のようなものを欲しがっていたようだった。
でも、最後はそれが2人にとって、負担になってしまった気がする。
結婚したから、こうしなきゃいけないとか、そういう決まりみたいな考えが、逆に2人をギクシャクさせたのかもしれない。引用元:「自白」
嫁は次第に自宅にいれなくなり、結局すぐに離婚することとなりました。
GACKTさんと嫁の結婚生活は僅か3ヶ月で終了となりました。
離婚がGACKTのMALICE MIZER加入への布石になった?
離婚後、韓国籍の元嫁は海外に行ったなど、様々な噂が出ています。
離婚した翌年の1995年頃、ちょうどMALICE MIZERが新ボーカルを探してGACKTさんをスカウト。
MALICE MIZERのメンバーは、GACKTさんが京都での安定した生活を全て捨てて上京すると決意を語ったことから、その覚悟を買って加入が決定。
離婚した1年後には京都から上京することとなり、上京後はMALICE MIZERのボーカルとしてインディーズ界を席巻し、メジャーデビュー。
メジャーデビュー後はすぐにメディアで脚光を浴び、武道館、横浜アリーナと成功の道を突っ走りました。
仮にGACKTさんの結婚生活が順調であれば、MALICE MIZERの話を蹴っていた可能性があり、GACKTさんの世の中の出方も変わっていたことでしょう。
京都の生活を捨てる決断の一部に離婚も関連したならば、元嫁さんとの出会いや結婚、離婚も成功への糧になっていたと言えます。
結婚と離婚の影響。GACKTはアジア平和への想い
GACKTさん唯一の結婚は、その後のGACKTさんの人生観や音楽活動にも影響を与えたと思われます。
GACKTさんは20歳の頃に哲学の基礎というのを構築し、それは成功した今も変わらないとしてます。
20歳といえばGACKTさんが結婚して離婚した時期で、自身の生き方を整理した背景には、大切な人と離れてしまった悔しさがあったことが想像できます。
僕はもう、結婚はしない。籍を入れることがあるとしたら、それは僕が死ぬ時だと思う。
死ぬ直前に、最後まで一緒にいてくれた相手が籍を入れておきたいと言うのなら、2人で共に生きた証しとして、入籍するかもしれない。
また、当時の離婚の経験から、若くして独身を貫く腹が決まったことも、その後のキャリア構築に役立ったとされます。
中国語や韓国語を習得し東洋アジアで盛んに活動
GACKTさんはMALICE MIZERで人気を博した頃から、インタビューなどで東洋アジアでの成功が世界進出の鍵だと発言していました。
いきなりアメリカを狙うのではなく、アジア、ヨーロッパの順番で最後にアメリカだとビジョンを練っていました。
それはソロになった後も同じで、ソロ初期から中国語を学び、2002年に中国の北京工人体育館にて行われた「日中国交正常化30周年記念コンサート」では中国語で観衆の心を掴みました。
この頃から雑誌などでアジア平和を訴える旨の発言をしていました。
2003年には台湾スターを巻き込んだ映画「ムーンチャイルド」を制作し、現地での知名度を広げました。
2004年に韓国語もマスターして現地で話題になると、韓国最大の音楽祭「m・net/Km MUSIC VIDEO FESTIVAL」に招待され、 “ベスト・アジア・ロックアーティスト賞”を受賞。
韓国での知名度は抜群で、現地での独自公演も成功を収めました。
結果として世界を手に入れることはできませんでしたが、東洋アジアを中心に残した足跡は、後の活動に良い影響を与えました。
中国最大のSNSではGACKTさんは日本人の中でも強烈な影響力を持ち、動画サイトなどでの関連のコンテンツは韓国語、中国語などでアップされ、いずれも多くの再生数とコメント数を稼いでいます。
ある韓国公演のライブのMCで、
「韓国人だ、日本人だ、台湾人だなんて、そんなことを言わずに、同じ”アジア人だって”言える、そんな日が来ることを祈っています」
と韓国語で語り、現地のファンを熱狂させ、その内容は韓国のメディアでも取り上げられました。
GACKTさんがアジア平和を大切にした背景には、世界進出の野望だけでなく、元嫁への想いも関係していたことが考えられます。
結婚当時、嫁への嫌がらせの中には、韓国籍の嫁への差別的な言葉も含まれていたことは安易に想像でき、一緒に傷付き、生活が壊れた悔さがあったからこそ、アジア平和に本腰になっていたのでは?と憶測できます。
現在でもGACKTにとって韓国文化は潜在的なもの
現在でもGACKTさんは韓国文化は強い影響を受けています。
韓国発の格闘技・テコンドーを習うと、毎日のように自宅に師範を招き、世界最速で黒帯を習得。
韓国フードのキムチやお酒の「マッコリ」を好み、ある番組ではプライベートで使うお店に韓国料理屋を紹介していました。
韓国人歌手のICONIQとオープンな交際をしていたこともありました。
また、キャリア晩年には韓国人歌手の「K」さんと数年に及びクラシックライブを遂行。
GACKTさんが他のメジャーアーティストと何年もツアーを組むのは異例であり、よほどにKさんと気が合うようです。














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