謎多きミュージシャンであるGACKTさん。
ある時期から年齢を告白し、出生地の沖縄での思い出を回想するなどしていますが、それでも尚、”謎多き男”とされています。
今日はGACKTさんの出身地、通っていた学校などについて整理してみたいと思います。
GACKTの学歴と経歴。沖縄生まれ滋賀育ちで大学から京都
GACKTさんは1973年7月4日に沖縄県糸満市に生まれ、幼少期を過ごしたのは、北部の大宜味村という人口3000人ほどの小さな村でした。
本名の「大城」は沖縄で3番目に多い苗字です。
生まれてから、小学校4年生頃までを沖縄で過ごしたとされています。
家族は父と母と弟の4人で、GACKTさんは当時から女の子に間違われるぐらい可愛い子供だったようです。
父親は自衛隊の音楽隊に所属し指揮者やトランペット奏者をしていた方で、家では常にシャンソンやタンゴ、クラシック音楽が流れていたそうで、その影響か3歳の頃からピアノを習っていました。
自宅ではテレビが禁止でNHKがずっと流れていたそうで、現代でいうモンテッソーリ教育のような育てられ方をされ、大人びた冷めた子供でした。
ある雑誌で、幼少期に初めて喋った言葉が「おかあさん!トイレの水が詰まってる」だったと話しており、、変わった子供だったことが伺えます。
そのせいか、父親に普通の子供のように高い高いをされて可愛がられることにずっと憧れていたようです。
初恋は幼稚園の頃で、相手は幼稚園の先生でした。
車で先生を迎えに来た彼氏に「可愛い」と頭を撫でられて屈辱的な想いをし、その時に「早く大人になりたい」と決意したそう。
芸名 | GACKT |
本名 | 大城ガクト(岡部学→大城学?) |
生年月日 | 1973年7月4日 |
出身地 | 沖縄県 |
家族 | 父、母、弟。 |
出身小学校 | 滋賀県栗東市立大宝小学校 |
出身中学 | 滋賀県栗東市立栗東西中学校 |
出身高校 | 滋賀県立守山高等学校 |
出身大学 | 京都学園大学法学部(中退) |
前職 | 家庭教師。ホスト。カジノデューラー。 |
GACKTの幼少期と沖縄に纏わるエピソード
過去のインタビューなどでは幼少期を過ごした沖縄の思い出をよく話しています。
↓GACKTさんと沖縄に纏わるエピソードは以下のようです。
- 子供の頃にドルを持ってお菓子を買いに行った
- サーターアンダーギーと牛乳を一緒に食べるように母に言われるも必ずどちらかが残ってバランスがよく食べれなかった(オススメの店は「うなりざき」)
- 近所の怖いおじさんに2mの落とし穴に落とすイタズラを仕掛けた
- 子供の頃に沖縄の空飛ぶゴキブリの集団に襲われてトラウマになる(尚、生まれ変わったら沖縄のゴキブリになりたいらしい)
- 7歳の頃に沖縄の海で溺れ臨死体験をして以降、霊感が強くなって病気だと思われた。
↑沖縄で過ごした少年時代の話は、どれもインパクトがあって面白いです。
GACKTさんは小学校の頃に沖縄を離れましたが、その後も家族の都合などで頻繁に沖縄に帰郷しています。
大人になって以降は長男という都合から、先祖のお墓の掃除をする代となり毎年沖縄の先祖の大きなお墓を掃除しに沖縄に帰郷してます。
毎年、メンバーやスタッフを引き連れて2日かけて大きな墓の掃除をしており、その容姿は参加したメンバーもSNSにアップするなどし話題になっていました。
↓お墓以外にも沖縄関連のネタは多くあります。
- 沖縄の派手な色の魚が苦手
- 沖縄の香辛料「コーレーグース」がお気に入りで色んな料理にかけて食べている
- 泡盛が大好きである
- 前田食堂の名物「肉そば」を食べる際は上に乗ってるもやしなどの具材だけでお腹いっぱいになる
- 2021年に活動休止した際は遺書に「遺骨は沖縄の海に散骨してください」と書く。理由は墓掃除などの気苦労をかけたくない為。
- 沖縄のおばあちゃんは自宅にGACKTのフジカラーフィルムの時の等身大のパネルを飾っていた
- 沖縄のおばあちゃんは眉毛を描かずに墨を入れた
- 沖縄出身のモデル・山田優は親戚にGACKTとのお見合いを組まれそうになったことがある。
- 事務所と揉めた際に本部町のコテージ「CANAC(キャナック)」に夜中の3時に訪問し警戒されるもお金があると分かると快く泊めてくれた。
- CANACに半年滞在してた頃は裏の高校から聞こえてくるブラバンの音にとても元気をもらい、ある番組で楽器を爆買いしてプレゼントした。
- 音楽番組のプレゼント交換コーナーで沖縄の本格的なハブ酒(本物のハブが瓶に入った)を出してドン引きされた(嵐の相葉さんが獲得)
- 2018年に主演を務めた映画「カーラヌカン」では沖縄でのロケを決行。撮影スタッフに本名だと噂の「大城学」と同じ名前がおり同一人物か混乱させた
- 2019年10月に首里城火災が起きた際は460万を寄付した
- 普段はビールを飲まないが2020年にオリオンビールのCMオファーが来たときは喜んで引き受けた
- 過去に音楽番組やYouTubeで「島唄」を披露したことがある。
- 2025年に沖縄尚学が優勝するとサプライズで「沖縄の誇り」とビデオメッセージを送った
GACKTは小学校途中で滋賀県に引っ越し。未発見の伝染病を疑われ病棟に監禁される
GACKTさんは小学生になった後に、滋賀県に引っ越しました。
転校したのは滋賀県栗東市内の公立校の大宝(だいほう)小学校だとされています。
大きくなる頃には家でのルールも更に厳しくなり、「食事中に話してはいけない」「男は歯を見せて食べてはいけない」など厳しく躾けられたそうです。
父親は柔術の師範で武術の達人ということもあり、小学生になる頃にはGACKTさんを鍛え始め、父が関節技をGACKTさんにかけては「解いでみろ」というコミニュケーションがあったそう。
3歳から習っていたピアノは引っ越した後も続けましたが、先生はすぐにGACKTさんの腕を叩くなどスパルタで、ずっとピアノを辞めたかったそうです。
ある時に、ドアに鎖を巻いてピアノのレッスンができないようにするなどイタズラをし、こっぴどく怒られたそうです。
GACKTさんは、何かしらのいたずらをピアノの先生にして困らせれば、親に「辞めてもいい」と言われ辞めさせてもらえると思い、仕向けたそう。
その結果、高学年になった頃(11歳)に無事にピアノを辞めることに成功します。
ちなみに初めての彼女は小学生の頃で、年上の彼女を作り、デートで近所を手を繋いで歩くなどし、ファーストキスは小学6年生の頃でした。
10歳の頃に伝染病を疑われ鉄格子のついた病棟で隔離・監禁
GACKTさんは10歳の頃に胃や内臓に突然動けなくなるほどの激痛が走り倒れてしまいました。
周囲の大人は原因不明で発見されていない伝染病が疑われ、小児病棟に入り鉄格子のついた病棟で隔離・監禁。
重症の子供が多くいる病院だったことから「この子は明日、死んじゃうんだ。」と寂しい気持ちになり、せっかく仲良くなった子が次の日になったら亡くなってしまう環境に耐えられなかったそうです。
精神を安定させない退院させてもらえないということで、どうしても退院したかったGACKTさんは精神が安定しているフリをして乗り越えました。
担当医をジッと観察し、担当医の動作や話し方、話の内容まで全てを覚え、それをコピーしてそっくり真似し、ようやく精神が安定してると判断され、無事に退院。
ただ、自分自身何も変わっていないのに、正常や異常を判断してきた大人への不信感は異常に強くなり、その後の人生観に大きな影響を与えたそうです。
また、現在までに極端に肉体を鍛えるのも、この頃の病気で自身の体の弱さを懸念してのこと。
GACKTは栗東西中学時代に吹奏楽部に所属。ドラムに出会いロックにハマる
GACKTさんは小学校を卒業すると、滋賀県栗東市内の公立校の栗東西(りっとうにし)中学校に進学。
中学では吹奏楽部に所属し、父と同じトランペットを担当。
この頃からGACKTさんの素行は荒れて、学校をサボり、国語のテストで1桁の点数を取るなど学業は散々。
中学時代の怖い先輩である、”イノグチ先輩”の話はすべらない話で大賞を取ったことがありました。
入店時に「ズカズカ」とリズムを口ずさみ、ヘッドホンコーナーに行って、そのまま被ってズカズカ言いながら万引きした話です。
中学3年(14歳)の頃に親がピアノの先生という友人の自宅に行き、その友人が自分よりピアノが上手かったことにショックを受け、帰り道に難易度の高い楽譜を買って帰り猛練習。
11歳にピアノを辞めて3年のブランクがあったということで、練習に熱が入り、朝から晩までピアノを弾き続け、ついには親が「もう辞めて!」と悲鳴をあげたそう。
結果、友人よりもピアノが上手になることができ、あれほど辞めたかったピアノの魅力をこの時に初めて知ったそうです。
友人の聴かせてもらったメタリカでロックに目覚める
中学の頃にはメタルバンド「メタリカ」の楽曲を聴いてドラムに衝撃を受け、この頃からロックミュージックにハマっていきました。
幼少期から習ってきたクラシックには1つのパートに複数の楽器隊がいるのに対して、ロックバンドは基本的に1楽器に1人、責任感と存在意義のあり方に感動したこともロックに魅了された理由でした。
GACKTさんはメタリカのドラムのツーバスがヘリコプターのように鳴る音に感動し、当初はドラムにのめり込みました。
ある時に中学の先輩が部室に遊びにきて、凄腕ドラムを披露、GACKTさんはその先輩に憧れて同じ高校に進もうと決断します。
しかし、先輩と同じ高校に進もうにも、中学で不良になってしまったことが学力が著しく低下しており、偏差値が全く足りず、GACKTさんは猛勉強を強いられることになりました。
GACKTは守山高校でバンドメンバーに出会う。ドラムを極め食への興味も目覚める
ドラムの上手い先輩を追うように受験し入学したのが滋賀県立守山高校です。
高校生になって以降、ドラムの練習はどんどんハードになり、朝から足に重りをつけて走り込みをするなど、先輩に追いつくために必死でした。
その一方で、バンドの魅力には気づいていたものの、安易にバンドを結成せずに、あくまでサポートという形でドラム技術を極めていました。
この頃のスタジオやライブハウスでは、バンドマン同士のいざこざが多く、GACKTさんはもしものために備えて鉄のドラムスティックを武器として忍ばせて活動していたそう。
初めてのバンド「カインズフィール」は高校生の頃にYOUと出会い結成
GACKTさんは、ある時にライブでめちゃくちゃカッコいいギタリストを発見。
背が高くて男前で、ギターの腕前も素晴らしく衝撃を受けたそう。
その後にスタジオで出会った背の高い目つきの悪いギタリストと険悪な空気になり口論になった際、その人がライブで見たギタリストと同一人物だと発覚し意気投合。
そして、そのギタリストと高校生のうちに「カインズフィール」というバンドを結成。
そのギタリスト・YOUさんは、後にGACKTさんがソロになって以降も長くギタリストとして参謀として従え、現在のGACKTファンの間でも馴染みの方です。
YOUさん曰く、高校生の頃のGACKTさんの印象は、今よりもガタイが良くて柄が悪かったそう。
ただ、基本的に話し方や性格などは何も変わらず、YOUさんの中でも学生の頃から現在までにGACKTさんという人物は謎だそうです。
高校生の頃に「餃子の王将」にハマり、全メニューを注文して友人と完食したこともありました。
この王将のエピソードは、あるバラエディ番組で金爆のキリショーさんがGACKTさん役を演じて再現されていました。
ある週刊誌では王将の守山店の前で記念撮影するGACKTさんの姿が載っていたほど、当時かなり通い詰めていたことが想像できます。
GACKTは滋賀県育ちを隠したい?
GACKTさんは沖縄生まれ、滋賀県育ちですが、昔から滋賀県に纏わる言及をしたがりません。
公式に滋賀育ちであることなどの情報が出たことがなく、一応は非公表のような扱いになっています。
その一方で、地元民の間ではGACKTさんが滋賀出身であることは有名で、ある番組では滋賀出身のスターに堂々とGACKTさんの名前が上がっていました。
GACKTさんと滋賀県関係も色々とエピソードがあります↓
- 過去にテレビで関西弁を披露したことがあるが滋賀訛りであった
- 00年代から守山高校の卒アルが流出していたが本人は滋賀関連の発言をしたがらない
- 全国ツアーでも滋賀県を避けているとの噂がある
- 親交のある西川貴教のイナズマフェスに参加したことがない
- 滋賀出身のUVERworldのTAKUYA∞の父親はGACKTの父親と知人である
- 2023年に『翔んで埼玉 〜琵琶湖より愛をこめて〜』で主演を務めた際も滋賀関係の言及はしなかった
京都学園大学の法学部法学科へ入学も中退
1992年4月、滋賀県立守山高等学校を無事卒業したGACKTさんは「京都学園大学」の法学部法学科へ入学します。しかし、大学を卒業はせずに中退してしまいます。
GACKTさんは家庭教師のアルバイトをしたことがありますが、おそらく大学時代だと思われます。
大学中退の理由としては、学業ではなく音楽活動に専念したかったことが考えられます。
YOUさんと組んだカインズフィールは地元のインディーズ界でも有名になりました。
同じ時期、京都の祇園にあるホストクラブで源氏名「シュカ」として、「京都の夜を熱くする男」のキャッチコピーで活躍されていたそうです。
また、カジノのデューラーの仕事もしており、そこで知り合った年上の韓国籍の女性と結婚し、その後に離婚しています。







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