
80年代に日本で流行ったフォークシーン。
その中でも異彩を放っていたのが浜田省吾さんです。
フォークシンガーの多くが愛妻家でありますが浜田省吾さんも同様です。
浜田省吾さんの奥さんは、浜田省吾さんが売れる前から交際してる相手で、その一途な姿が楽曲に強い説得力を与えました。
今日は浜田省吾さんが下積み時代から交際を続けた現在の嫁さんについて書いてみたいと思います。
浜田省吾は売れない25歳の頃に現在の嫁と結婚。入籍後に大成功!
浜田省吾さんが結婚したばかりの頃はミュージシャンとして成功していませんでした。
1973年の20歳の頃にバンド「愛奴」を結成すると、1974年に吉田拓郎さんのバッグバンドを務めるなどしていました。
1975年の22歳の頃にシングルデビューしますが売れず、1976年にソロデビューし矢沢永吉さんの前座を任されるなど成功の兆しが見えますが、1977年、1978年と芽が出ませんでした。
浜田省吾さん結婚を決断したのは、そんな売れない時期でした。
1978年の25歳の頃に、浜田省吾さんは年上のOL女性と結婚。
結婚した当時、浜田省吾さんは印税収入が少なかったため、積極的に楽曲提供を行い、そのギャラを婚約指輪や結婚式、新婚旅行の資金に充てました。
この時、嫁と一緒に行った新婚旅行のハワイが、浜田省吾さんにとっては初めての海外でした。
浜田省吾は結婚した翌年にブレイク!嫁が成功を支えた?
1978年の売れない頃に結婚した浜田省吾さん。
長い下積み生活を続け暗いトンネルの中にいましたが、なんと結婚した翌年の1979年7月に日清カップヌードルのCMソングとして書いたシングル「風を感じて」が10万枚のスマッシュヒットを記録。
同年の8月には「ヒットスタジオ」に出演し、「あのかっこいいフォークシンガーは誰?」と話題になりました。
同年の12月にリリースした5枚目のアルバム「君が人生の時」も10万枚を売り上げ、ホールツアーも成功させるなど、着実に成功への道が開けました。
その後、80年代の前半にはラジオのDJ、ドラマ主題歌、武道館公演の成功、オリコン1位獲得と日本を代表するフォークソングアーティストとなりました。
1978年の結婚後から快進撃が始まったということで、浜田省吾さんの成功の裏には嫁さんの存在が強く影響してると言えるでしょう。
浜田省吾と嫁の馴れ初めは大学時代の菊名駅。傘のない彼女に声を掛け相合い傘
売れる前に現在の嫁さんと結婚した浜田省吾さんですが、実は交際が始まったのはプロになる遙か前でした。
まだ、浜田さんが大学生(当時20歳)だった1973年に奥さんと運命的な出会いを果たしたのです。
出会った場所は、浜田さんが通っていた神奈川大学最寄り駅(東急東横線白楽駅)から2つ先の菊名駅です。
その日は突然の雨だったのですが、今の奥さんが菊名駅付近で傘がなく困っていたそうです。
浜田さんはそんな奥さんに「入りませんか?」と声を掛けナンパしたのです。
当時OLだった奥さんからすると、当時の20歳の浜田さんは子供と同然で普段は相手にしないような相手。
しかし、その日の奥さんは風邪をひいて会社を早退しており、仕方なく「じゃあ、お願いします!」と浜田さんの誘いに乗ったのです。
奥さんを自宅まで送り届けると、なんと彼女の自宅が友人ら5人(後に「愛奴」のメンバー)で住んでた下宿先のアパートの近くだったのです。
こうして仲良くなり、彼女も友人を連れて遊びに来るという交流が始まり、2人の交際がスタートしたのです。
1976年リリースのアルバムジャケットの裏に当時彼女だった美人嫁が写る
1973年に出会い交際を始めた浜田省吾さんと奥さん。
その後、浜田省吾さんは神奈川大学を辞めて、音楽でメシを食うことを本格的に目指しました。
1976年に「生まれたところから遠く離れて」でソロデビューを果たすと、そのアルバムの裏には当時恋人だった奥さんとツーショットで歩く姿が写っていました。
奥さんの顔は遠いので見えにくいですが、かなり美人さんの雰囲気が漂っています。
ちなみに浜田さんが崇拝するフォークシンガーのボブデュランさんはアルバム「フリーホイーリン」で恋人とツーショットの写真を起用したことで有名。
浜田さんはボブ・デュランのアルバムのオマージュを行っていたということですね!
現在までに浜田省吾と嫁の間に子供は生まれず。私生活は完全シークレット。週刊誌に激怒した過去
1970年代には現在の嫁さんと出会い結婚した浜田省吾さん。
気になるのは子供の存在です。
結婚当時に嫁さんが妊娠していたような発表はなく、その後も正式に子供が誕生したというニュースはありませんでした。
若い頃には子供を産むことも素敵だと言及しており、決して子供嫌いではなさそうです。
子供こそは生まれていないものの、楽曲「I am a father」「花火」「五月の絵画」では父性的な歌詞を書いています。
そのことから”公表してないだけで実は子供がいるのでは?”という噂もありました。
しかし、仮にそうだとしたら浜田省吾さんのスタイル的に作品にモロに露呈すると思うので隠してる可能性は低いと思います。
嫁との日常を週刊誌が報じて激怒した過去。唯一サンスグラス無しの姿を露出した例
結婚して以来、浜田省吾さんは奥さんとの結婚生活は公にしてきませんでした。
ただ、結婚10年目の1987年8月に週刊誌「フライデー」にて、嫁さんと一緒にいる姿を撮られたことがあります。
週刊誌では、当時の浜田省吾さんが世田谷区に住み、嫁さんの運転で六本木まで遊びに来たと記載されていました。
記事では浜田省吾さんのサングラス無し姿が堂々と載せられていた他、綺麗な嫁さんの顔も載っていました。
活動方針で私生活や素顔を隠してきた浜田省吾さんは激怒。
当時、1年前の1986年に”たけしフライデー襲撃事件”が起きた時のことを、
「法的なこと云々を言うのはたやすいけど、正直言って「よくやった」「たいしたもんだ(笑)」、「ある人にとってはプライバシーは命をかけて守るものかもしれない。撃ち殺されて仕方ないんだぞというくらいにね。でも、この事件もそう認識されることがなくて気の毒でしたよね。なんの借りも貸しもないだろう、あんたたちにはっていう気持はありましたからね。」
と回想。
あくまで奥さんや素顔などの私生活は見せたくない姿勢を示しました。