井口理の学歴と貧困下積み時代のバイト。東京藝大で新井と出会い常田と再会

実力派ボーカリストとして知られる井口理さん。

音楽が好きな一家に育ち、音楽エリートのようなイメージがあります。

King Gnuのメンバーとは東京藝術大学で出会っていますが、リーダーの常田大希さんとバンドを結成するまでに異端な経歴を辿っています。

今日は井口理さんの子供時代、青春時代のことや、悲惨な大学生活、下積み時代のバイトなどについて書いてみたいと思います。

井口理の幼少期と中学・高校時代。常田大希とは子供の頃からの幼なじみ

井口理さんは1993年10月5月に長野県伊那市に生まれました。

家族構成は父と母に三男一女の4人兄弟で、井口理さんは末っ子でした。

井口理さんの実家と家族、兄弟の詳細については別記事に書いています。

実家は農家で、お米を作っているそうです。

過去に幼児の頃(2〜3歳)のホームビデオをインスタにアップしたことがありました。

ホームビデオには井口さんがうどんを食べている様子を撮影され、長めのうどんを一生懸命吸う姿を見た家族からは「生まれながらのスター」との声が入っていました。

子供の頃から一生懸命で個性的な子だったことが伺えますし、末っ子として家族のアイドルとして可愛がられていたことも分かっています。

子供時代の井口理さんは漫画が好きな男の子だったようです。

伊那市立東部小学校時代の先生が、インタビューで井口理さんの初恋は小学生の頃だったことを暴露しており、おませな一面もあったことが明らかになっています。

ちなみに伊那市立東部小学校の頃に、現在のKing Gnuでともに活動するギタリストの常田大希さんと出会っています。

常田大希さんは井口さんよりも学年が1つ上だったということもあり、在学中は交流がなかったようです。

名前 井口理(読み:「さとる」)
生年月日 1993年10月5日
出身地 長野県伊那市
身長 180センチ
血液型 AB型
実家家族 父。母。三男一女の4人兄弟の末っ子
出身小学校 長野県伊那市立東部小学校
出身中学 長野県伊那市立東部中学校
出身高校 長野県立弥生ヶ丘高等学校
出身大学 東京藝術大学音楽学部声楽科

井口理は中学時代に合唱部で全国大会に出場し高校時代はハモネプに参加

井口理さんの出身中学校は、地元伊那市内の公立校の東部中学校です。

中学時代の井口さんは合唱部に在籍し、合唱の全国大会である「NHK全国学校音楽コンクール」にも出場経験があります。

また、長野県立弥生ヶ丘高等学校に進学すると、音楽部に所属。

友達とバンドを組んでブルーハーツのコピーをして遊んでいたそうです。

高3の頃には同級生たちと「男耳」という4人コーラスグループを結成して「ハモネプ」にも出演

男耳の中で井口理さんはコーラスを担当していました。

「男耳」として出場したハモネプでしたが、結果は決勝までに惨敗したようです。

ちなみに決勝に駒を進めた15組のうち、13組が大学生のグループで高校生はわずか2組のみと、練習量に制限のある高校生にはハンデがあった背景が伺えます。

その他、井口理さんの高校生のまでのエピソードには、

・中学3年生の頃にダイエットをして成功

・高校時代に彼女に振られ髪を真っ白にして登校し先生に帰らされた

・高校生の頃はファッションに無頓着でパイナップルなど意味不明なTシャツを着ていた

・高校生の頃に自転車で13時間かけて新潟に行ったがチャリが壊れてヒッチハイクで帰宅

↑など面白い武勇伝がたくさんあります。

井口理の東京藝術大学時代の家賃4000円の寮生活。中退、バイト、貧困

井口理さんは高校卒業後は、1年間の浪人を経て国立の東京芸術大学に進学しています。

声楽科に在籍していましたが、当時の授業のことを「声楽はなにをやっているかというと、楽譜を読みながらクラシックのバッハ、ベートーベン、モーツァルトとかそういう昔の作曲家が作る音楽を歌っていました」と回想しています。

また、井口さんは寮生活をしていましたが、1年目は築55年にもなるボロボロの寮に放り込まれ初日から涙を流したそうです。

家賃はなんと4000円の超訳ありの寮生活でした。

「部屋はくじで決めたんですけど、皆は4畳半だった中、僕は8畳くらいの部屋だったんですよ。

でもそれまで誰も使っていなくてホコリが1センチぐらい積もっていたから掃除して、なんか悲しくて初日に何をしているんだろう、と。指揮科とか管楽器専攻の人とゴミ置き場に行って、卒業生が捨てた家具を探しに行ったりしてね。

初日の夜、泣きました(笑)。寂しくて、ひもじくて。部屋に暖房もなく、4月だから寒いんだよね。長野に帰りたい……って悲しくて悲しくて」

記事引用:ニッポン放送 NEWS ONLINE

寮長が変わった人で赤いふんどしを穿いて雨のシャワーを浴びてたり、寮付属の浴場は湯船が謎に白く濁り壁もぬるぬりだったなど散々でした。

暖房もなく、まだ友達もいない環境に「長野に帰りたい」と心が折れそうだったそうです。

2年目からは板橋区の築50年のコーポに引っ越し、同じ大学に通っていた「King Gnu」のベーシストの新井和輝さんと出会い同居するに至ります。

同居していた頃は家事は新井さん任せっきりだったようです。

なんと、井口さんは3年以上の同居生活で5回も洗濯はしなかったそうで、末っ子らしいズボラさを披露していました。

大学を中退し貧乏生活。寿司屋や派遣会社の深夜バイト、最寄駅での「愚痴屋」など

東京藝術大学に1浪して進学した井口理さん。

しかし、さほど声楽もやりたかったわけではなく、大学入学後にクラシックや声楽に向いていないと考えはじめています。

「僕はそんなに声楽がやりたかったわけではなくて、劇団に足を運んだり、ミュージカルや演劇に役者として出演したりしながら、何か面白いことがやれたらいいなと思っていて。大学にはがんばって入ったんですけど、自分にはクラシックや声楽に向いてないのかなとだんだん思い始めたんです」

記事引用:ナタリー

 そのため井口さんは大学時代に劇団に入団してミュージカルや演劇の舞台に出演して将来を模索し、その後に大学を中退することになります、

大学を辞めた後は都内で音楽をしながら派遣会社に登録して深夜のバイトに、愚痴屋と言って愚痴を聞いてお金をもらう仕事などをしていたそうです。

「三年ぐらい前になるけどバンドのリハに行く電車賃もなくて、お金に困った俺は愚痴を聞くだけの”愚痴屋”ってのを真冬の路上でやってた。赤の他人の方が話せることが多いから、意外と相談来るよ。本当にお金に困ったらやってみるといいよ」2019年2月21日

あの頃に井口さんに愚痴を聞いてもらった方は、King Gnuとしてブレイクしたことに驚いてるでしょうね。

井口さんのSNSの売れる前の投稿を見てると、金銭関係で苦労してた頃の投稿が多く残っています。

その他にも居酒屋や”かっぱ寿司”でもバイトしていたこともあり、寿司屋では元日にサラリーマンのスーツにウニをこぼして怒られた挙げ句に酢飯の匂いがダメになって辞めたエピソードが有名ですね。

井口理は学園祭のモッフルの店長で呼び込み。同じ小中学の常田大希と再会しKing Gnuに至る

井口理さんと常田さんは同じ小学校、中学校でしたが、常田大希さんは1歳年上でした。

2人は学年が違うために仲が良かったわけではなく、お互いに存在を知っている程度の仲でした。

二人は共に進学した東京藝術大学の学園祭で再会しました。

常田さんが学園祭で井口さんを発見した際、井口さんはモッフル店の店長を務め呼び込みをしていたそう。

「King Gnuの全ての始まり。King Gnuの創成期だから。あれがなかったら、俺がモッフル店で店長をやっていなかったら、今King Gnuはないんですから。恐ろしいよね、人との出会いって。あれをやってよかった」

「みんなから『モッフル屋の井口』と呼ばれていて、モッフルというのは、文化祭でお餅をワッフル型に加工して、その上にバニラを乗っけたりして売っていた」

それが理由で井口さんは「モッフル屋の井口」というあだ名で呼ばれていたそうです。

それが再会がきっかけで意気投合し、井口さんは常田さんのソロプロジェクト「Srv.Vinci」に参加し、その後に2017年に「King Gnu」にまで派生して今があるのです。

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