飯田圭織さんといえば、元モーニング娘。の2代目リーダーとして知られてます。
モー娘。で活躍していた時期は、”ジョンソン”と言うあだ名でイジられるなど、バラエディーでも活躍されました。
グループの初期から全盛期までに活躍されたメンバーということで、伝説のアイドルの1人として語り継がれています。
名前 | 飯田圭織(かおり) |
ニックネーム | かおりん。ジョンソン。 |
生年月日 | 1981年8月8日 |
出身地 | 北海道室蘭市生まれ、札幌市手稲区育ち。 |
血液型 | A型 |
身長 | 167センチ |
グループを卒業後は元バンドマンの方と結婚し、3人の子供を出産しています。
しかし、第一子の息子を不幸な形で亡くすなど、悲しい話題もありました。
今日は、飯田圭織さんが結婚した元バンドマンの男性と、その間に生まれ死去してしまった長男について書いてみたいと思います。
飯田圭織は2007年に7HOUSEのボーカル・ケンジと結婚。現在までに3人の子供が誕生
飯田圭織さんはモーニング娘が結成された1997年から、卒業となった2005年1月30日のコンサートまで8年間在籍。
モー娘を卒業した2年後の2007年7月6日に2歳年上でロックバンド「7HOUSE」の元ボーカル・ケンジさんと”できちゃった婚”をしました。
芸名 | ケンジ |
本名 | 仲川健治(なかがわ けんじ) |
生年月日 | 1979年1月10日 |
出身地 | 大阪府 |
血液型 | A型 |
出身高校 | 奈良育英高校 |
ケンジさんが在籍していたバンド「7HOUSE(セブンハウス)」は、モー娘と同じアップフロント所属のバンドで、つんくさんがプロデュースする形で活動していました。
1998年にストリートミュージシャンの集まりで結成し、つんくさんプロデュースの元で活動し、アップフロントに所属するユニットに楽曲を提供するなどしていました。
バンド自体はヒット曲を残すことなく2002年に解散しており、解散後にケンジさんが飯田圭織さんとデキ婚したことで世間に名前が知れ渡りました。
結婚した後のケンジさんは、一般の会社員として働き家族を支えているようです。
飯田圭織は旦那・ケンジとの間に3人の子供が誕生
2007年にデキ婚した飯田圭織さんとケンジさんですが、現在までに3人の子供が生まれています。
生まれた子供の性別は2人が男の子で、1人が女の子です。
第一子の長男が生まれたのは2008年1月で、当時の飯田圭織さんは27歳でした。
31歳になった2013年5月に第二子の次男が誕生。
36歳になった2017年9月に第三子の長女が誕生しています。
誕生 | 性別 |
2008年1月22日 | 長男(6ヶ月で死去) |
2013年5月13日 | 次男 |
2017年9月19日 | 長女 |
飯田圭織さんは現在までにブログなどで結婚や育児に関する投稿をし、子育て世代が支持を受けています。
あるインタビューでは、サッカーが好きな息子のために飯田さん自身が動画でサッカーを勉強して教えたり、"可愛くなりたい”という娘には歯を大切にするように教えたりしてると答え、献身的な母親であることがわかっています。
ブログでは日々成長していく息子と娘の姿が投稿されており、古くからのファンは共に親心で子供たちを見守っています。
また、自分の子供の顔を平気でネットに上げる芸能人が多い中、飯田さんは昔から顔に加工をしてあげており、常識ある母親としても好かれているようです。
第1子の長男と0歳6ヶ月で死別。死因は”慢性腎不全”。一部では”バスツアーの呪い”
飯田圭織さんは2007年7月6日にケンジさんと結婚したことを発表。
元々は定期検診を受けに行った際に、たまたま妊娠していたことが分かり、そのままデキ婚したという流れでした。
その後、2008年1月22日に第一子となる男児を出産し母親となりました。
長男の産後の体重は3200グラムの平均で健康体だと思われましたが、出生当初より腎臓を患い入院加療を必要としました。
飯田圭織さんは自身が退院した後も毎日のように病院に通い、長男を見守り続けました。
しかし、生まれて僅か半年後の2008年7月27日に長男は慢性腎不全のため亡くなりました。
長男が亡くなった直後の飯田圭織さんは「先のことが考えられない」というほどに悲しみに暮れ、スタッフも話しかけられないほどに憔悴しており、立ち直るのに時間が掛かりました。
納骨が終わった9月頃から徐々に気持ちの整理ができていき、11月28日にはメディアに受けて長男が亡くなったことを発表しました。
飯田圭織さんは、
「このような気持ちになれるまで、肉親だけでなく、友人やスタッフの皆さんが、私を支えてくれました。感謝の気持ちを忘れず、これから私なりに頑張って、息子の為にも一生懸命生きていきたいと思っております」
と周囲の関係者に感謝の気持ちを述べて、今後も息子のためにも頑張っていくとコメントしていました。
一部ネットでは”出産前のバスツアー”の呪いでは?とのネタが上がる
2008年の1月に最愛の長男を亡くしてしまった飯田圭織さん。
当時、ネットでは「バスツアーの呪いでは?」との声が挙がっていました。
バスツアーというのは、飯田圭織さんがデキ婚を発表した2007年7月6日の翌日(7月7日)に行ったファンとのバスツアーのことです。
バスツアーの申し込み締め切りは2007年6月11日で、参加したファンはバスツアーの前日に飯田圭織さんのデキ婚を知るという背景が鬼畜であったと語り継がれています。
飯田圭織の伝説の七夕バスツアー。現在も多くの都市伝説を残し参加者もオフ会を継続
飯田圭織さんが2008年に息子を亡くした後に、都市伝説的に語られるようになった”バスツアーの呪い”。
ファン合同のバスツアー前日にデキ婚を発表し、バスツアー当日に結婚したという背景がファンの潜在的な恋心を踏み躙ったとして現在までに伝説として語り継がれています。
バスツアーにはアナウンサーの内田有紀さんも同行し、記念撮影会、バーベキュー、七夕祭り、ミニステージ、迷路など、様々なイベントが盛り込まれました。
参加費は19000円で300名の募集。
ツアー開催日前日に飯田圭織さんのデキ婚が発表されるとネット掲示板では、
「みんなは笑うけど、ずっと本気で好きだったんだよ」
「人妻の妊婦にいまさら何話すの?ほとんどピエロ以下だぞ」
「元々ピエロだし」
「もう一生会うこともないだろうから、明日行こうかな」
「行け絶対に行け、行かずに後悔するより行って目一杯後悔してこい」
など落ち込んだファンの書き込みが相次ぎました。
それでもイベント当日は飯田圭織さん本人が拡張機でファンに結婚を報告すると、「おめでとう!」と祝福ムードで良い雰囲気だったようです。
提供されたバーベキューの食事は、ウーロン茶のメーカーがキッコーマンだったなどツッコミどころはあるものの適量。
開催場所である清水公園内にある迷路のイベントや、その後のミニライブも盛り上がったそうです。
全体的に満足度の高いイベントだったようですが、このイベント時に妊娠していた長男が6ヶ月後に亡くなり、後追いでバスツアーを揶揄する逸話が多く登場しました。
バスツアーのバーベキューのメニュー内容が酷かった?
デキ婚発表&バスツアー開催から数ヶ月後に飯田圭織さんは第一子の長男を出産。
長男が誕生してから6ヶ月で病気で亡くなると、バスツアーとの親和性を謳って”呪いだ”という声も出ました。
バスツアーの内容はとても充実した内容で、参加者の満足度は高かったようですが、後になって「食べ物が酷かった」「悲しくて体調を崩すファンもいた」という本当が嘘か分からない情報がネット上に飛び交いました。
特に、
”食事の内容は肉一枚、ソーセージ1本、デザートにバナナ半分、1.5リットルの烏龍茶を8人で分ける、アルコールは別売りで500円だった”
というコピペは有名でした。
実際に参加された方の写真には野菜やおにぎりが映っており、上記のような貧相な量は嘘であったとわかっています。
また、迷路のイベントでは、”未だに道に迷って迷路から抜け出せないファンがいる”という迷信が出るなど言いたい放題でした。
海外でも伝説は有名。参加したファンは思い出を誇りにオフ会を開催
この飯田圭織さんのバスツアーは、海外メディアからも度々紹介されています。
2018年に元AKBの高橋みなみさんが高額なバスツアーを発表すると、香港メディアが飯田圭織さんの過去のバスツアーを引き合いに報道されました。
2021年には中国、2022年には台湾のメディアが”アイドル界の歴史で最も鬼畜なバスツアー事件”として取り上げました。
日本でも西条真二さんによるホラー漫画『キガタガキタ! 〜「恐怖新聞」より〜』の第11・12話で、「伝説のアイドル七夕ツアー」として描かれました。
作中では、架空のツアーの食事は肉が1片、バナナが3分の1、ウィンナーが1本と極端に描かれ、実際の飯田圭織さんのツアー内容の真実と漫画の内容が混じってしまったとも言われています。
また、主人公のキガタらアイドルファンは瘴気に取りつかれて異常状態になってしまったというシーンもありました。
その他にも日本の番組でも皮肉として取り上げられることが多い、当時のバスツアーの伝説は常に繰り返し掘り返し続けられています。
また、当時参加していたファンらは「なかなかできないレアな経験をした」と伝説に間近で見たことを誇りに思い、毎年のように”飯田圭織バスツアー”のオフ会を実施。
ネット上にはいろんなシーズンのオフ会の写真がアップされており、当時参加されたメンバーで親交を深めていることが伺えます。
伝説のキッコーマンの烏龍茶など、思い出の品々を持ち寄っての参加で、現在では参加していない方々からも注目されてます。
当時は酷い流れのバスツアーでありましたが、現在では参加者らの絆を20年近く繋いでいる”最も偉大なツアー”であるとも言われています。