演歌歌手の石川さゆりさんといえば、20代の頃に結婚&離婚。
離婚後はシングルマザーとして1人娘を育てながらも忙しい歌手活動を続けるスーパーお母さんでした。
今日は、石川さゆりさんの夫だった馬場憲治さんとの結婚生活や離婚理由について書いてみたいと思います。
石川さゆりは1981年に23歳でマネージャーの馬場憲治と結婚
石川さゆりさんの結婚は1981年の23歳の頃でした。
お相手は、7歳年上の元マネージャーの馬場憲治さんです。

| 名前 | 馬場憲治 |
| 生年月日 | 1951年10月20日 |
| 出身地 | 神奈川県鎌倉市 |
| 出身高校 | 東京都立新宿高校 |
| 出身大学 | 早稲田大学 |
| 職業 | マネージャー。タレント。フリーカメラマン。 |
当時、ホリプロでは社内恋愛が禁止で、夫の馬場さんは結婚前にホリプロを退社していました。
結婚した同年の1981年に馬場さんは盗撮のハウツー本を出版。

170万部越のベストセラーとなりましたが、演歌歌手の夫としての印象はあまり良くありませんでした。
それでも石川さゆりさんは「彼も必死だった」と、当時の夫の仕事に対しては温かい目で見守っていました。

ちなみに元夫の馬場さんは徳光さんや森昌子さんのマネージャーを務めたり、所ジョージさんの「目がテン!」の初代リポーターでもあるなど、業界で顔が広い方として知られます’。
1984年に長女・佐保里が誕生も1989年に離婚
石川さゆりさんは1984年2月に旦那との間に第一子の長女が誕生しています。

26歳にして母親となりました。
長女の名前は佐保里(さほり)さんです
長女が生まれた後は、1986年には「天城越え」が大ヒット。

“新演歌の女王”と呼ばれるようになり、公私共に順風満帆だと思われました。
しかし、娘が5歳になった1989年に突如、離婚を発表します。
離婚後、長女は石川さんが引き取りました。
石川さゆりの離婚理由。姑含む13人家族での束縛生活。プロデューサーとの不倫
1989年に8年間の結婚生活に終止符を打った石川さゆりさん。

離婚の理由は嫁姑問題だと言われています。
姑に作った味噌汁を「しょっぱい」と言われることもあったと語っており、姑との関係は良くなかった言われていました。
さらに、石川さんが嫁いだ馬場家は、なんと兄と弟の家族の3世代4家族13人。
一緒に暮らす家族との人間関係がストレスだったのです。
同居する13人の家族との問題だけでなく、仕事でもツアーなどの宿泊を伴うものは認められず、実家にも帰れないという束縛も石川さんの精神をすり減らしました。
昭和歌手にとって地方公演や営業で顔を名前を売るというのは必須。

地位が確立されてない当時にして地方への宿泊禁止という状況は、大きな機会損失で成功への妨げでしかありませんでした。
仕事に対する価値観の違いも大きな要因だったということです。
石川さゆりさんは会見で「頑張ったけどダメでした」と仰っていましたが、それは主に複雑な家族関係と束縛の問題を指していたとされています。
音楽プロデューサー・喜多嶋修との不倫関係も原因?
一部では音楽プロデューサー・喜多嶋修さんとの不倫の噂も離婚の一因との噂もありました。
当時、石川さゆりさんのアルバムのプロデュースをしていた喜多嶋修さんとの不倫関係が報道されていました。

報道ではレコーディングの際も、石川さゆりさんは自分の旦那と子供がいる前でも喜多嶋修にベッタリだったと書かれていました。
喜多嶋修さんの拠点はロサンゼルスでしたが、国境を越えての不倫騒動でありました。

当時の不倫が離婚の原因だったという証言はありませんが、離婚後にしばらく不倫離婚説は囁かれていました。
離婚後の地元・熊本への里帰りが特集となる
既婚中は実家に帰ることさえも許されなかった石川さゆりさん。
離婚して4週間後に地元の熊本に里帰りをすると、その様子は週刊誌で大きく報じられました。

週刊誌では、地元で開放感溢れる自然な笑顔を見せる石川さんの姿がありました。

地元で充電し、更なる飛躍を誓う力強い姿を見せていました。
離婚後、石川さゆりさんは誓い通りに日本を代表する演歌歌手となり、シングルマザーとして娘を立派に育てました。










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