
ロックバンド「FUZZY CONTROL」のボーカル&ギター“JUON”こと鎌田樹音さん.。
2012年にDREAMS COME TRUEのボーカル・吉田美和さんと結婚し、当時は19歳差の夫婦として話題となりました。
多くは格差夫婦だと言いましたが、実はミュージシャンとしてのJUONさんはかなり凄腕です。
また、JUONさんは音楽の家系に生まれ、家族構成もなかなか凄いのです。
今日はJUONさんの簡単な経歴と偉大な父と母について書いてみたいと思います。
JUONは音楽一家に生まれ育ち10代で高校に行かずメジャーデビュー
JUONさんは、出生は沖縄ですがすぐに東京都に移住し、出身は東京都となっています。
音楽家の家系に誕生し、幼い頃から音楽は潜在的な存在だったようです。
母親はアメリカ人とのハーフで、JUONさんはクオーターということになります。
兄弟はおらず一人っ子だったということで、家族からの愛情をたくさん受けて育ちました。
子供の頃はバスケ好きの少年でしたが、父が自宅のパーティでギターを披露してるのを見て音楽にも興味を持つようになりました。
名前 | 鎌田樹音(かまた じゅおん) |
呼び名 | JUON(じゅおん) |
生年月日 | 1985年3月8日 |
出生地 | 沖縄県 |
出身地 | 東京都 |
血液型 | AB型 |
小学生にしてビートルズやカーペンターズ、ローリングストーンズなど60、70年代のロックやポップスに触れ、10歳にして独学でギターを始めました。
当時は自宅にある両親の70~80年代のレコードコレクションを聴きまくっていたそうです。
中学2年生になると母親のライブにバックギタリストとして初ステージを経験。
そして15歳で本格的に音楽活動を開始し、高校には進学しませんでした。
18歳になった2003年に「FUZZY CONTROL」を結成。
バンドや個人で相川七瀬、DREAMS COME TRUE、稲葉浩志、スガシカオ、登坂広臣、ナオト・インティライミ、木村拓哉など大御所のサポートを任されるなど、実力派として認められています。
JUONの身内はミュージシャンだらけ!父、母、嫁の全員が音楽業界で成功
JUONさんは本人も凄腕ミュージシャンでありますが、身内もまた凄いです。
嫁がドリカムの吉田美和さんなのは周知の承知ですが、父と母も昔にミュージシャンとして売れた経験があります。
嫁 | 吉田美和 | 国民的音楽ユニット・ドリカムのボーカル |
父親 | ガンジー | ソロとして「スローダンス」が12万枚売り上げ現在までに沖縄のソウルソング。 |
母親 | りりィ | 「私は泣いています」が累計100万枚突破。女優としても活躍。 |
叔父 | 前田達也 | ウルトラマンシリーズの楽曲を担当。音楽イベントプロデュース。 |
父・糸数元治は芸名”GANGY(ガンジー)で売れっ子ミュージシャンだった
JUONさんの父である糸数元治さんは”サンディエゴ”というバンドでギタリストとして活躍されました。
沖縄出身の方で、中学生の頃は吹奏楽部に所属し、当時から多数の楽器を器用に扱っていたそうです。
所属していたバンド”サンディエゴ”は1980年のドラマ『黄土の嵐』(おうどのあらし)の主題歌『空翔ける馬のように』を担当したこともありました。
サンディエゴが解散すると「ガンジー」という名でソロデビューしました。
ガンシーの芸名は本名の「元治」が由来となっています。
本名 | 糸数元治(いとかず もとはる) |
芸名 | GANGY(ガンジー) |
出身地 | 沖縄県 |
職業 | 「サンディエゴ」のギタリスト |
80年代に「スローダンサー」という曲で日本有線大賞を受賞。
オリコン最高25位ながら、22週もトップ100入りし、12.0万枚を売上げました。
特に地元の沖縄を中心にヒットし、当時の沖縄の青年たちのほとんどがこの歌を知っており、ヒットから年月が流れても地元のテレビCMで流れるなど潜在的な名曲として知られています。
ソロ活動の他にも、アーティストへの楽曲提供など音楽プロデューサーとしての活動をされていたようです。
歌手のりりィさんと結婚すると、彼女にもいくつかも楽曲を提供していました。
りりィさんとの間に1985年にJUONさんが誕生しますが、その後に離婚しています。
時よりJUONさんのSNSなどに登場するなどし、親子仲は良好なようです。
2017年12月3日には、那覇市にて前田達也さんと息子・鎌田樹音さんとともに、子供食堂支援チャリティーライブを開催し、話題になりました。
2021年頃から露出が減ったとして、一時期は亡くなった説が流されました、公式からの発表はなく信憑性は薄いです。
JUONさんは2021年から渡嘉敷村の観光大使を務めていますが、それは父親の影響が大きいと思われます。
母のりりィは歌手としてブレイクし女優としても活躍!
JUONさんの母親は歌手と女優として活躍された「りりィ」さんです。
母のりりィさんの父はアメリカ軍の空軍の将校で、母はアメリカとのハーフ、つまりJUONさんはアメリカのクオーターということになります。
本名 | 鎌田小恵子(かまた さえこ) |
芸名 | りりィ |
生年月日 | 1952年2月17日 |
出身地 | 福岡県福岡市天神 |
出身中学 | 文京区立第十中学校 |
職業 | シンガーソングライター、女優。 |
アメリカ人の父親は朝鮮戦争で亡くなったとされ、生まれる前だったことから父親に抱っこもされたことがなかったそうです。
若い頃のりりィさんはとても美人で、沖縄人のガンジーさんとの間に生まれたJUONさんがイケメンなのも納得ですね!
母のりりィさんは福岡生まれですが、小学校3年の時に東京に引っ越しました。
10歳の頃の東映の劇団に所属し、子役として女優デビュー。
18歳になった1970年に音楽のキャリアをスタートさせ、22歳になった1974年にリリースした「私は泣いています」が累計100万枚を超える大ヒットを記録。
歌手として活躍されてる頃にガンジーさんと出会い結婚し、JUONさんを出産。
晩年は女優としても活躍され、TBSドラマ「半沢直樹」の主人公の母親役や金八先生など有名作品に多く出演しました。
出演していた「救命病棟24時」第4シリーズでは「DREAMS COME TRUE feat.FUZZY CONTROL」の「その先へ」が主題歌となり、親子で共演という夢のような素敵な機会がありました。
ドリカムのメンバーとも親交があったりりィさんは、吉田美和さんからも「りりたん」と呼ばれ親しまれ、りりィさんが肺がんの闘病生活を送っている時は吉田美和さんが献身的に支えました。
「亡くなる3日前にお見舞いに行った時も、JUONと吉田さんがいました。りりィの足を揉んであげたり、かいがいしく看病していましたよ。あの時、吉田さん夫婦は近くに泊まり込んでいて、3日間看病に当たっていたそうです。彼女はもう物が食べられないのですが、野菜や果物をすりつぶして凍らせたものを口に含ませてあげると、喉が爽やかになるんだそうです。驚いたのはその氷を吉田さんが手作りしていたこと。りりィ、見たこともないほど幸せで安らかな顔していました」
母のりりィさんは”肺がん”と闘病されており、2016年11月11日に64歳の若さで亡くなっていました。。
最後は吉田美和さんに見守られながら息を引き取ったそうで、死後に作られた「フレー ~三線ver.~」という楽曲は、りりィさんに向けて「あなたに逢えて良かった。ありがとう。」と言いたい気持ちを込めて作られました。
叔父の前田達也。ウルトラマンシリーズの楽曲を担当し現在は地元の音楽イベントの中心人物
JUONさんの叔父は、父のガンシーさんと共に”サンディエゴ”で活動した前田達也さんです。
前田達也さんはサンディエゴが解散した後はCM制作会社に入りCMソングを作りながらもソロ歌手としても活動されました。
90年代からはウルトラマンシリーズなど特撮作品の楽曲を担当するなど、作曲家としての才能を開花させました。
名前 | 前田達也 |
生年月日 | 1958年8月22日 |
出身地 | 沖縄県那覇市 |
血液型 | AB型 |
職業 | ギタリスト。歌手。作曲家。 |
現在でも地元の沖縄で開催される音楽イベント「HAPPY ROCK STOCK」をプロデュースするなど、音楽に携わり続けています。
19歳年上の吉田美和に婿入りし結婚!馴れ初めは元夫の死去から2年後
JUONさんは2012年3月8日に19歳年上のDREAMS COME TRUEのボーカル・吉田美和さんと結婚しています。
入籍日の3月8日は鎌田樹音さんの誕生日であり、吉田美和さんの名前「美和(3・8)」にちなんでの その日に入籍でした。
鎌田さんは27歳で、吉田美和さんは46歳でした。
当時は19歳の年齢差と婿養子という形での入籍に話題が集まりました。
また、吉田美和さんはJUONさんと結婚する前に、事実婚していた末田健さんを亡くし、その悲しみを乗り越えての結婚だったということでも注目されました。
当時の吉田美和さんは40歳を超えていたので、生涯独身を貫くとの見方が強かった中での、まさかの19歳年下のイケメンギタリストとの結婚だったのです。
吉田美和とJUONの馴れ初めはサポート活動への参加
JUONさんが吉田美和さんと出会ったのは、彼女が事実婚の相手と死別した2年後の2009年でした。
末田健さんが亡くなって1年半が経過した2009年2月に、DREAMS COME TRUEのレコーディングにFUZZY CONTROL及びJUONさんが参加し初めて出会ったのです。
出会った当初、吉田美和さんは末田さんを亡くした悲しみが癒えておらず、男性に対しては心の壁を作って、常に距離を置いて接していたそうです。
しかし、一緒に作曲活動をしていく中でJUONさんの音楽センスに惹かれ、次第に男性としても魅力を感じていったそうです。
「吉田さんはJUONくんの作る曲が大好きで、曲作りのときには、いつも一緒にいて支えていましたよ。何か聞かれても、“ああしろ”“こうしろ”といった一方的な指摘は一切しないで、JUONくんに自ら考えさせるようなアドバイスをしていたそうです。吉田さんは、試行錯誤する彼を嬉しそうに見守っていました」(別の音楽関係者)
世間的には格差のあるカップルのように思えますが、2人はしっかりと音楽を通じて対等に距離を縮め、結婚まで漕ぎ着けたということです。
婿養子はJUONの希望?”吉田美和”の名前を残したかった
2人の結婚で一番気になるのは、JUONさんが婿養子に入ったということです。
JUONさんの家系は音楽一家で恵まれており、吉田美和さんは母・りりィさんと良い関係でした。
ましてはJUONさんは一人っ子だったということで、常識的に考えて吉田さんを花嫁として迎えることが普通のように感じます。
しかし、JUONさんは「吉田美和の名前を残したい」との理由で、あえて婿養子を選択したのです。
サポートメンバーに始まり、音楽を通じて深く繋がり、尊敬する気持ちがあっての決断でした。
婿養子という形ではありますが、吉田美和さんはJUONさんの母・りりィさんを本当の母親のように愛しました。
JUONさんの母が亡くなった後のライブのMCでは、
「昨日、JUONのお母さんであるりりィさんが亡くなりました。私も“りりたん”と呼ばせていただくくらい親しくさせていただいていました。いろんなことがあるけれども、一生懸命歌います」
と発言するなど、吉田美和さんは最後までJUONさんの母親を自分の親のように大切に想い続けたのです。