河口純之助さんといえば、伝説のパンクバンド「THE BLUE HEARTS(ザ・ブルーハーツ)」のベーシストとして有名です。
ブルーハーツ解散後は、宗教法人「幸福の科学」の信者としての活動が有名で、これまでに宗教が設立した政党「幸福実現党」からの出馬などが話題になってきました。
今日は河口純之助さんの宗教への信仰、そして巷で言われているブルーハーツ解散の理由と、どれほど関わっているのかについて書いてみたいと思います。
河口純之助の幸福の科学での活動。1991年に幸福の科学に入信。
河口純之助さんとブルーハーツメンバーの出会いは1980年代前半です。
河口さんは下北沢の中華料理店「珉亭」でアルバイトをしており、同じバイト先で甲本ヒロトさんと真島昌利さんに出会いました。
全員バンドをやっていたことで意気投合し、1984年11月11日に3人で原宿ホコ天にてライブ。
そして、甲本ヒロトさんと真島さんは本腰でバンドを組もうと1985年にTHE BLUE HEARTSを結成し、河口さんはマネージャーの立ち位置で携わります。
しかし、初代ベースの望月正水が脱退し。一時的に山川のりをさんが加入するなどしますが安定せず、代打でベースを弾いていた河口さんがいつの間にか正式なベースに就任。
その後に渋谷のライブハウスを中心に活動を始め話題になり始め、1987年に自主制作した「人にやさしく」は好評、そのままの勢いで同年中にメジャーデビューを飾りました。
1987年に「リンダリンダ」、1988年に「トレイントレイン」と立て続けに名曲を生み出し続け第二次バンドブームの中心となりました。
ただ、90年代に入った頃からブルーハーツの勢いは止み、河口純之助さんはその頃(1990年)に幸福の科学の教祖・大川隆法著『太陽の法』を読み影響を受けます。
そして、1991年には幸福の科学に入信することとなり、ブルーハーツでベースを弾きながらも、熱心な宗教活動も掛け持ちし始めました。
結局、ブルーハーツは1995年に解散。
解散後に甲本ヒロトさんは同じブルーハーツのメンバーである真島さんを招集して「ヒューストンズ」や「THE HIGH-LOWS」を結成しますが、河口さんは誘われませんでした。
幸福の科学の看板となり宗教内のエンタメ活動で活躍。”幸福実現党から”出馬も経験
河口純之助さんが宗教・幸福の科学に入信したのは1991年のことです。
ブルーハーツが停滞し始めた頃から入信し、入会後は周囲の関係者を誘うなど熱心に活動。
ブルーハーツが解散した同年1995年では、雑誌『ロッキングオンジャパン』の1995年7月号で、
「バンドやっていた10年より、幸福の科学に出会えたことの方が大きい」
と発言するなど、パンクよりも幸福科学に気持ちの比重が寄っていたことが伺えます。
2001年にも『QuickJapan Vol.37』の中で、
「パンク=既成概念を愛をもって壊す精神」が、ひとつの線で結ばれたという。「『太陽の法』を読んだ時、これこそ真のパンクだと。いや、パンクの10万倍凄いことだ」
と発言しするなどしています。
河口さんはブルーハーツ解散後も音楽活動はプロデュース業を通じて続けていますが、常に宗教のイメージが先行していました。
2009年に幸福の科学の政党「幸福実現党」の候補として比例東京ブロックから立候補しまいた。
残念ながらも落選しましたが、元ブルーハーツのメンバーということで存在感を示しました。※出馬の際の政党での役職は宣伝局長代理
宗教内で大川隆法の長男・大川宏洋の「Revolution!!」にベースとして参加するなどし、信者の間では相変わらずの人気を誇りました。
その他にも河口さんは、
「日本人は眠ったまんま。日本人はエル・カンターレ(幸福の科学の本尊。大川隆法総裁のこと)をナメてるよ」
「国師であり、ワールドティーチャーなのがまだわからないのか」
との深い信仰心が伺える発言も残しています。
THE BLUE HEARTS解散の理由は河口純之助の宗教信仰か?教祖の息子・宏洋は共演経験あり
河口純之助さんはブルーハーツ在籍時に幸福の科学を信仰、宗教の影響はバンド活動にも及びました。
ファンへの影響等を考えて宗教のことは口止めされていたため、ブルーハーツ解散までは公にされていませんが、信仰後からの河口さんの関わった作品には宗教への信仰心が見えるものが多くなりました。
ファンへの影響等を考えて宗教のことは口止めされていたため、ブルーハーツ解散までは公にされなかったですが、周辺スタッフや一部ファンに宗教勧誘をしており、実質は暗黙の了解という状態でした。
幸福の科学を信仰し始めた1991年から愛用するベースに幸福の科学のロゴマークを入れており、その機材は1991年のライブ映像にも残っています。
これらの行動に甲本ヒロトさんやマーシーさんが怒り、メンバー仲が悪くなり、結果解散という流れになったという見解が強いです。
幸福の科学の大川隆法の長男・宏洋がYouTubeで河口純之助と共演の過去を語る
幸福の科学の教祖・大川隆法の長男の大川宏洋さんは宗教を離れた後に自身のYouTubeでブルーハーツが解散した当時のことに言及していました。
大川宏洋さんの動画によると、
- あるライブで河口さんが幸福の科学の信者であることを絶叫し甲本ヒロトを怒らせた
- 河口さんはブルーハーツと宗教のどちらかを取れと言われ宗教を選んだ
とのことです。
また、宏洋さんは2008年〜2009年の青山学院大学時代に同じステージで河口純之助さんと共演した思い出も語っていました。
当時の宏洋さんは音楽を学んだ本格派のギターボーカルが中心のバンドでベースを弾いており、その縁で宗教の青年部の渋谷での音楽イベントに参加。
その渋谷でのイベントに河口さんも来場しており、宏洋さんらが「リンダリンダ」などのコピーをやっていると河口さんが「俺もやるよ」と飛び入り参加、一緒にベースを弾いたそう。
宏洋さんの河口さんのイメージは「陽気なおじさん」で、悪い印象はなかったそうで、直接会ったのはこれが最初で最後だったそうです。※その後は別撮りで楽曲作品で共演
宏洋さんはバンドをやっていた影響から音楽好きの友達も多く、ある友人からは「俺はお前の親父を許せない」とブルーハーツ解散の元凶になっていることを言われ続けていたそうです。
ちなみに2023年当時の宏洋さんの憶測では、この時点で幸福科学での河口純之助さんは職員という立場にあり、イベントに応援に行くなどの仕事をし、給料は最低でも月に30万程度はもらっているとのことです。
現在では甲本ヒロトと仲直り?解散理由は宗教だけなく音楽的な理由もあった?
1991年に河口さんは宗教に信仰して以来、制作する作品や活動内での振る舞いに変化があり、他メンバーやスタッフを困惑させていました。
ブルーハーツの解散は理由は、大まかには”ベース・河口の新興宗教の影響”と認識されています。
甲本ヒロトさんは、
「神様は信じているけど、宗教は絶対信じない。お金を要求したり、家族を悲しませる神様なんている訳ないよ」
と河口さんへの当てつけのように受け取れる発言をしており、相当に怒っている事が伺えました。
あるインタビューでは「友達や恋人、奥さんが新興宗教に入ったらどうする?」 と聞かれ、 「別れる」 と即答するなど、アンチ新興宗教のような発言を繰り返しました。
だた、ドラムの梶原徹也さんはブルーハーツ加入以前から阿含宗に入っていたのは周知の事実で、この点はかなり矛盾があります。
実は90年代に入ってから、河口さんが幸福の科学に入っただけでなく、ファンクラブのトップが突如新興宗教に入り辞めてしまう、中学時代の同級生・中川智正氏がオウム幹部で犯罪に手を染める(死刑囚となり後に刑執行)と、短期間で甲本さんの周りでカルト宗教関係のいざござが続いていました。
当時の甲本さんは新興宗教に対しては、かなりナーバスになっていた背景もあり、実は河口さんだけに向けた怒りではなかったのです。
当時の甲本さんが河口さんの信仰を面白く思っていなかったのは事実ですが、河口さんの信仰だけがブルーハーツ解散の理由ではないのです。
解散の真相は音楽の限界か?煮詰まり良作が作れず
80年代に第二次バンドブームを巻き起こしたブルーハーツですが、90年代に入った頃にスランプに陥ります。
売り上げランキングこそは上位常連でありましたが、80年代の熱気は消え去り、かなり煮詰まり”らしさ”が薄れた印象でした。
解散後『ROCKIN’ON JAPAN 1995年7月号』では甲本さん自ら解散の原因について、バンドが「倦怠期の夫婦」のような状態になったこと、音楽的限界に達していたことを言及していました。
1993年〜1994年の凸凹ツアーの時点で甲本さんはメンバーに、
「俺、このバンド辞めようと思うんだ」
「違うバンドがやりたいんだ」
と言い、メンバーも「ヒロトが辞めるなら解散だね」と返した会話があったことも確認されています。
現在ではブルーハーツ全員を顔を合わせて会ったことも
ちなみに現在でも河口さんは甲本ヒロトさんらとの交友は続いています。
河口純之助さんは2005年にTHE HIGH-LOWSのライブを観に行っており、楽屋で控え室で、甲本ヒロトさんや真島昌利さんと再会しています。※この時に岩城滉一に挨拶されたことを友人に自慢
2008年にはドラマーの梶原徹也さんと、キーボードの白井幹夫さんのバンド/THE BIGHIPのライブを見に行き、同日は甲本ヒロトさんと真島昌利さんもそのライブに来ており、ブルーハーツ全員で顔合わせしています。
河口さんと甲本さんの親交は続いてるそうで、現在ではわかだまりもないようです。




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