梶原徹也さんといえば、パンクバンド「THE BLUE HEARTS」でドラマーを務めた方です。
THE BLUE HEARTS解散後は甲本ヒロトさんのバンドには合流せず、現在までに結成前から入信していた宗教の活動と音楽活動を掛け持ちしています。
今日は梶原さんの宗教の信仰と、ブルーハーツ解散後の音楽活動について簡潔に書いてみたいと思います。
梶原徹也が信仰する阿含宗とは?過去には麻原彰晃も在籍し事件を起こす
梶原徹也さんは福岡県福岡市に生まれ、銀行員だった父親の転勤のため、幼少の頃から九州内を転々とし、小学校2年の時に大阪、中学3年まで兵庫県西宮市、そして高校の3年間は大分県で過ごします。
大学は高千穂商科大学に進学、大学入学直後に阿含宗に入信しています。
1986年に「THE BLUE HEARTS」に加入していますが、加入前から阿含宗の信者でありました。
阿含宗(あごんしゅう)とは、1978年4月8日に桐山靖雄氏によって立宗された仏教系の新興宗教です。
梶原さんは仏教系の阿含宗への信仰とパンクバンドでドラムを務めることに関して、「僕の中のロックのモチベーションと、仏教徒としてのモチベーションが同じ」と語り、
「ブルーハーツが始まる以前から、僕は仏教徒だったけど、『セッ○ス、ドラッグ、ロックンロール』なんていうロックのイメージと、自分の音楽活動とどう結びつけたらいいのか? っていうのがずっとあった。」
とブルーハーツと宗教の両立がに悩む時期もあったそうです。
それでも、ビースティ・ボーイズのアダム・ヤウクが音楽と宗教を両立した”チベタン・フリーダム・コンサート”を実施してることを知って、
「何か次の世界に進んでいける面が出てきてるなぁと思ってすごく嬉しかった」
と、肯定的に捉えることができるようになったと語っています。
阿含宗の噂。過去に薬事法違反や愛人報道。麻原彰晃が在籍
阿含宗は桐山靖雄氏によって1978年4月8日に立宗。
阿含宗では阿含経の教説を実践することで、誰でも超能力を備え、仏陀になることができる(解脱)することができると説いていました。
桐山靖雄氏は信者からの”御伺い”」を、開封せずに透視して返答したり、護摩壇に点火する際、念力で発火・点火させる「念力護摩」を実施したとされています。
しかし、念力で火をつける「念力護摩」は「無水クロム酸」という発火剤を使ったトリックで、透視は揮発性の高いアルコールに浸して中身を透かして読んだだけでは?と超能力はインチキと疑われていました。
また、お布施こそは年間1万と安めですが、特別な供養のためには10万円、本山護山会に入るには大金が必要だったりとコストが掛かると言われています。
創立前の1953年には合成ビール(ニセビール)を販売するグループに加担し、酒造法違反・私文書偽造行使により懲役1年6ヶ月、罰金5万円の実刑判決を受けています。
さらに、色川千景という女性信者からは裁判を起こされたこともありました。
この色川千景さんは宗教内で和田尚子さんと共に愛人だったと言われています。
その他にも、学歴詐称や幹部の横領や贅沢三昧なども噂されていました。
さらにオウム真理教の創立者・麻原彰晃さんも25歳の時に阿含宗に入信した団体でもあります。
麻原彰晃は阿含宗の信者時代に薬事法違反で逮捕されており、入会から3年後には脱会。
阿含宗に入信して、ぼろ儲けし女性を自由にしているのを見て、自分で教団を持とうとしたのではないかと言われています。
梶原徹也はブルーハーツ解散後も音楽活動を続ける。大塚愛の「さくらんぼ」のイメージが定着?
ブルーハーツ時代から”唯一の良い人”として通っていた梶原さん。
バンドを解散後は、宗教のイベントで太鼓を叩いてる姿を目撃されるなどしていましたが、現在まで良い人のイメージは変わりません。
共演した人や関わった方からの人間性の評判は相変わらずに良いままです。
梶原さんはブルーハーツ解散から2年後の1997年にはThe 3peaceを結成。
自分のバンドだけでなく、多くのメジャーミュージシャンの活動に参加。
大塚愛さんの2003年にヒットした「さくらんぼ」のMVに登場したのは有名ですね!
この頃は大塚愛さんのバッグバンドのドラマーとして活躍されていました。
カラオケの人気曲ということもあってか、若い世代はブルーハーツ時代の梶原さんよりも、この「さくらんぼ」のMVでの梶原さんの姿が印象として強いようです。
2005年にはTHE BIG HIPを結成し、この頃には”サルサガムテープ”の活動への参加も話題となりました。
2009年から鼠先輩がボーカルを務めるバンド「THE SUPER RATS」でドラムを担当。
ECHOESの伊藤浩樹さんや元ジュディマリ恩田快人らとWarRock(ワーロック)レーベルを立ち上げ、プロデュース活動なども行うようになりました。
梶原は現在でもブルーハーツのメンバーと仲良し
ブルーハーツが解散した後も、梶原さんはメンバーらとの交流を続けました。
2005年3月18日に梶原さんのライブに甲本ヒロトさんがボーカル&ブルースハープで参加、この時に甲本さんから、
「昔は8ビートしか叩けなかったのに、こんなに上手くなりました」
と褒められています。
2008年5月6日にはTHE BIGHIPのライブにはブルーハーツの全メンバーが鑑賞に訪れ、これは梶原さんの愛されキャラ故のラッキー事故だったのでは?と言われています。
現在までにヒロトさんやマーシーさんとの交友は続いてるようです。




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