小柳ゆきの現在。若い頃のアメリカ国歌斉唱で再注目。”干された””ハーフ”の真相
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小柳ゆきさんといえば90年代の終わりに17歳でデビューしブレイクした女性歌手です。

17歳の若さにして人気・実力共に申し分なかった彼女ですが、その後は伸び悩みました。

ネット上では、突如失速した彼女のキャリアについて「干されたのではないか?」と憶測に溢れました。

今でもコンスタントに小柳ゆきさんの歌唱動画がネットでバズり、「彼女は現在どうしてるの?」と話題になることがあります。

謎多き女性歌手・小柳ゆきさんの経歴から現在までについて整理していみたいと思います。

デビュー当時から言われる”ハーフ説”や、突如メディアから離れた理由などについても触れてみたいと思います。

小柳ゆきは両親ともに美形!ハーフ説はガセ。17歳でブレイクした本格派美人歌手

小柳ゆきさんは1982年生まれで、同じ女性歌手の倉木麻衣さん、倖田來未さん、大塚愛さんらと同年代です。

埼玉県大宮市(現さいたま市)出身で、家族は両親と5歳上の姉と小柳ゆきさんの4人家族です。

よくハーフ説が出る小柳ゆきさんですが、父も母も日本人で、純日本人です。

小柳ゆきさんの幼少期の写真に映る父と母はとても顔が濃く美形でそっくりです。

特に母親の若い頃は小柳ゆきさんと瓜二つです。

姉の影響で音楽を好きになり、小学生にして姉の部屋から永井真理子さんなど実力派ミュージシャンの作品をこっそり取り出し合わせて歌うなどして遊んでいたそうです。

姉は子供らしくない歌唱力を持つ妹にラジカセなどで自分の音を録音して歌いなど勧め、それに素直に従い1日2時間も練習していたそう。

小学校高学年のうちにマライア・キャリーやホイットニーヒューストンなどのR&Bを好み、中学生になると剣道部に所属し厳しい練習に耐え剣道2段を獲得し、同時に声出しなどで喉が鍛えられました。

私は中学の時に剣道をやっていたんです。以前は高校生にならないと二段は取れなかったんですが、私の代から取れるようになったので、運良く二段に……って感じです。

12歳になると「コロムビア歌謡曲新人歌手オーディション」に出場し決勝まで進出し、音楽事務所からデビューの誘いを受けるも学業専念の為にお断り。

学校生活では剣道少女でありながら中2の文化祭で久宝留理子さんの「男」を熱唱して拍手喝采だったそうです。

高校1年の15歳になった頃に再びスカウトされると音楽事務所に所属し、1年間みっちりボイストレーニングとデミテープ作りに励みました。

このトレーニング期間、小柳ゆきさんは母親とドンキホーテでバイトをするなど、しっかりと下積み期間を経験。

そして17歳になった頃に「あなたのキスを数えましょう」をリリースすると、いきなり45週連続チャートインするというロングヒットを記録し、現役高校生にして全国区の歌手となりました。

歌唱力だけでなく、17歳にして完成されたヴィジュアルも大ウケし、男女共に支持されていました。

デビューした1999年の時点では、小柳ゆきさんが将来のスターになるまでに死角なしと思われていました。

名前 小柳ゆき(本名:由紀)
生年月日 1982年1月26日
出身地 埼玉県大宮市(さいたま市)
血液型 B型
身長 154センチ
出身中学 埼玉県大宮市立日進中学校(現:さいたま市立日進中学校)※剣道部
出身高校 埼玉県立上尾高等学校

3年連続紅白出場まで順調も突如失速。紅白出場の2年後に100位を記録

1999年にデビューシングル「あなたのキスを数えましょう」が高校3年生にしていきなりロングヒットを記録。

翌年2000年に高校を卒業すると大学には進学せずに音楽活動に専念し、同年にデビュー曲で紅白出場

以降も2001年に「remain〜心の鍵」、2002年に「Lovin' you」で3年連続で紅白出場を果たしました。

ヴィジュアルも順調に洗練されていき、いよいよ日本を代表する歌姫の仲間入りだと思われました。

しかし、2003年以降はリリースする楽曲がオリコンの下位に沈み、2005年には100位を記録。

その後の新曲リリースが突如延期になるなど怪しい動きが増えました。

デビュー当時は天才17歳として注目された彼女が、気が付けば歳を重ね同年代の倖田來未さんや大塚愛さんに追い抜かれてしまっていたのです。

小柳ゆきの失速は”素行不良で干された”という定説。真相は本人の意識の問題

2002年まで3年連続で紅白に出場するなどトップスターまで死角なしの状況だった小柳ゆきさん。

しかし、その3年後の2005年には100位を記録するなど、まさかの失速。

この小柳ゆきさんの人気の振り幅は、現在でもネットで度々掘り起こされます。

その度に”天狗になって干された”という説が浮上します。

定説では、小柳ゆきさんは高校生のうちにブレイクを果たした結果、わがまま放題の傍若無人な振る舞いをするようになり、音楽業界から干されたというものです。

ツアーの宿泊ホテルは絶対にスイートルームを指定し、お気に入りのミネラルウォーターが用意されていないとマネージャーを怒鳴りつけていたとのことです。

天狗状態になった小柳ゆきさんが大手芸能事務所バーニングプロダクションの所属だったため、周囲も扱いに困り、結果的に所属事務所からもお灸をすえられる形でプロモーション予算や仕事が減らされたとのことでした。

小柳ゆきの失速の真相は本人の意識の問題。歌唱スタイルの変更でファン離れ?

港で言われ続けている小柳ゆきさんの”天狗になって干された説”。

しかし、時が流れ、本人の証言やコアなファンの証言から、2002年以降はもっと別の問題があったことがわかっています。

子供の頃から姉の部屋からも持ち出した音源で一緒に無垢に歌っていた彼女ですが、実際に自分が歌手になってみると、理想と現実のギャップが凄かったそうです。

純粋に歌を歌っているだけでいい訳でなく、プロモーションや付き合いなど面倒なことが付き纏い、仕事としての歌手業がイメージと違い過ぎて戸惑ったそうです。

その結果、自分が本当に歌手という仕事が好きなのか疑問を感じ、休業を取ってロンドンに行くなどしています。

人気絶頂だった2005年に歌手活動を一時休業し、英国ロンドンへ渡った。小柳は「歌の仕事をはき違えていた。歌っていればいいと思っていた」と言葉少なに振り返ったが、上沼は「わかるわ。(17歳で)いきなりスターになった。自分を見失うでしょう。1回、辞めたくなる」と小柳の心情をくみ取るように語った。

そんな戸惑いが取り組みのどこかに出てしまい、結果的に以前よりも良い仕事ができず、チャートの数字も落ち込んでしまったということです。

また、あるファンは単純にデビュー当時の凄まじい歌唱力が長く続かなかったこと、歌唱スタイルが微妙に変わったことが失速の原因だと指摘しています。

一般層からすると、その後の小柳ゆきさんは10代の頃ほどのパワフルさはないものの、”ちゃんと上手な歌手”という好印象。

しかし、デビュー当時の彼女のインパクトに魅了されたファン層からすれば、その後の彼女の歌唱や作品は何か物足りないものだったということです。

小柳ゆきの18歳の頃のアメリカ国歌斉唱が度々話題になる。海外からも好反応

現在になって小柳ゆきさんの名前を覚えた人は、主にSNSなどで切り抜かれた過去の彼女の歌唱やヴィジュアルの良さに惹かれたケースが多いです。

その中でも有名なのが、2000年11月に東京ドームで開催された日米野球での小柳さんのアメリカ国歌斉唱です。

アメリカ国家は現地のネイティブな歌手でさえも難しく、過去に多くのミュージシャンが事故っており、上手に歌えた人は数少ないです。

そんな国家を、当時18歳だった小柳ゆきさんが完璧に歌い上げたのです。

あまりの上手さに整列してるメジャーリーガーたちがチラチラと小柳さんを凝視。

さらに驚きなのは続けて「君が代」も完璧に歌い上げたこと。

ピッチの全然違う2国家を交互に正確に歌い上げたことも凄いです。

当時の小柳ゆきさんはデビューして2年目で経験した一番大きな舞台は武道館ライブ。

初めて経験するドームでの数万の観衆の前で、この大仕事をやり遂げた度胸も素晴らしいのです。

その他にも着物という締め付けのある衣装で歌ったこと、着物&リーゼントの衣装を18歳にしてビシっと着こなした美貌など、このアメリカ国家斉唱にはデビュー当時の小柳ゆきの凄まじさ全てが凝縮されているのです。

現在でも「泣きそうになる」のコメント。海外ユーザーからも大絶賛

小柳ゆきさんのアメリカ国家斉唱は伝説として語り継がれており、現在でも当時の映像はいろんなSNSや動画サイトにアップされており人気です。

当時のアメリカ国歌斉唱を見た多数の人は、「泣きそう」「これが18歳なんて信じられない」と絶賛のコメント。

海外の方からも英語で「この人誰?」「聴いた中で一番」などのコメントが多く書かれています。

一番凄いのはネイティブを話す海外の英語系YouTuberの人たちがこぞって感動していることです。

涙目になって聴き入ってしまう方や、小柳ゆきさんが純粋な日本人だと信じない方など。

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