歌手の松山千春さんといえば、70年代のフォークブームの中で最も男前として人気でした。
デビュー当時は人気女性歌手の中島みゆきさんと恋仲になったり話題が絶えず、私生活も脚光を浴びました。
そんな松山千春さんですが、実は現在の嫁とはデビューしたばかりの頃から交際しています。
一度は婚約を発表するものの、入籍は3年後だったりとバタバタした印象です。
1985年に現在の嫁さんと結婚して以来、ヤンチャなイメージとは裏腹に愛妻家として落ち着きました。
今日は、松山千春さんの結婚と、嫁の金田孝子さんについて書いてみたいと思います。
また、妻の間に生まれた子供について触れてみたいと思います。
松山千春の嫁・金子孝子。馴れ初めはスナックで結婚まで8年の理由
松山千春さんは1985年12月に同郷・北海道出身で1歳年上の金子孝子(たかこ)さんと結婚しました。
身長154センチとやや小柄で、外見は女優の山本陽子さん似。
実家は裕福な農家で学歴は北海道のカトリック系の女子校というお嬢様。
仕事は北海道のデパートで正社員として働くOLでした。
嫁の孝子さんの詳細は、結婚する3年前の1982年に週刊誌に書かれていました。
名前 | 金田孝子(たかこ) |
出身地 | 北海道札幌市 |
生年月日 | 1954年4月15日 |
身長 | 154センチ |
体重 | 45キロ |
血液型 | A型 |
出身高校 | 北海道のカトリック系の女子高 |
職業 | 北海道のデパート勤務 |
外見 | 女優の山本陽子似 |
性格 | 控えめで家庭的 |
当時はまだ入籍前だったにも関わらず、注目アーティストだった松山千春さんと恋仲だったことから、一般人だったにも関わらず名前や生年月日まで報道されました。
その頃の松山千春さんのスターぶりを知らない若者からすると驚きです。
妻・孝子との馴れ初めはスナック。何度も喧嘩をしながらも6年交際
松山千春さんと孝子さんが出会ったのは、松山さんがデビューして「旅立ち」をヒットさせた時期でした。
1978年にスナックで孝子さんと出会い、そこで意気投合し交際に発展。
何度も喧嘩を繰り返しながらも長く交際。
1982年10月12日のライブのMCでは、週刊誌で報道されたばかりの彼女について話していました。
「名前をいえば「孝子」っていうんだけどね、そいつと途切れ途切れだけど、なんとか6年間付き合ってきたわけじゃない」
「表に出るような女じゃないしね、もちろんオレもあまり表に出して連れ歩くの好きじゃないからね。」
「あいつの家のとこには週刊誌の連中が行ったり、変な電話が舞い込んだり、色んなことがあったりしてさ、だから本当に迷惑かけているのはオレのほうなんだ」
「そういうマスコミが色々騒いだからって、今更6年間、こんな浮気者のオレをね、見守ってた女を急に離すわけいかないじゃん。」
「別れたらオレは男として一生バカだよ。オレはバカだ、バカだ、と思っていたけど、本当のバカになっちゃうんだよな、別れたら・・」
別れと復縁を6年間繰り返してきたこと、浮気者の松山さんを許し続けてくれたこと、自分との報道で彼女の私生活に悪影響が出て迷惑をかけてしまって申し訳ないと語りました。
松山さんはそんな彼女と別れてしまえば、絶対に後悔すると確信したようです。
松山千春は別れを促す彼女を6年かけて「離したくない」と結婚を決意
松山千春さんが孝子さんとが婚約を公表した後、1982年10月13日に入籍会見が開かれました。
婚約会見は東京・赤坂のホテルで行われ、松山千春さん自身はツアー中ということで出席せず、代わりに所属するNEWSレコードの山本社長が出席。
しかし、婚約会見後に2人は入籍しませんでした。
実は、会見をする前にマスコミに嗅ぎつけられたことを知った松山さんは、孝子さんに電話で「オイおまえのことが週刊誌に出るらしいぜ」と報告、孝子さんは「じゃあ、別れましょう」と返したそう。
また、孝子さんは松山千春さんが”30歳までに結婚する気がない”と話していたことを覚えており、「本当に結婚していいのか?」という気持ちが常にあったのです。
何よりも、孝子さんは自分との結婚が松山さんの歌手活動の邪魔になることも懸念していたようです。
松山千春は1985年に30歳で結婚。子供は娘”月菜”の1人
1982年に婚約を発表し、それから3年の時間を要し1985年12月に入籍。
約8年間もの交際を実らせての入籍で、結婚までの長い道のりは過酷でした。
2人ともに30歳を超えた時期の結婚で、かつて松山さんが孝子さんに語っていた”30歳までに〜”という希望通りになった形でした。
松山千春さんは孝子さんについて、
「孝子っていう女は美人じゃないしね、ただ、耐えることは人一倍耐えるね、いや、ほんとだよ素晴らしいです」
と、彼女の世間に打ちのめされないタフネスさを讃え「素晴らしい女」と評しています。
ただ、”美人じゃない”というのは松山さんの天邪鬼で、実際は一般人とは思えないほど美しい女性であります。
結婚生活は2人の生まれ故郷である北海道です。
都内の一等地で暮らせるようなスターにも関わらず、地元で出会った女性と結婚して地元で暮らすという点が北海道民から愛されてる理由のようです。
北海道の自宅は複数ありますが、札幌市の高級住宅街「宮の森」にある豪邸は、ファンの間でも有名です。
結婚してからずっと、東京に行くのは仕事の時だけで、普段は北海道の自宅で過ごし家族との時間を大切にしています。
子供は長女・”月菜”が誕生。楽曲「生命」は我が子に向けた曲?
1985年に念願の入籍を果たした松山千春さんは孝子さん。
結婚した翌年の1986年の4月に第一子が誕生。
子供の詳細は公表されていませんが、性別は女の子で名前は「月菜」だそうです。
長女はメディアなどには登場していませんが、松山さんがライブでネタにすることも、ファンの間では馴染みのある存在です。
松山千春さんは1996年4月にリリースした「生命(いのち)」という楽曲で、娘の月菜さんのことを歌った曲だそうです。
現在までにラジオ番組では成人の日など子供を想うタイミングに披露されるなど、特別な思い入れのある曲であります。
すでに娘は結婚して苗字も「松山」から変わっています。