
日本を代表する実力派シンガーであるMISIAさん。
デビューして長い歳月が経ちますが、未だにミステリアスな魅力を放っています。
出身地や経歴の詳細は公表していますが、忘れた頃に何度も調べたくなるような不思議な方です。
今日は、MISIAさんの経歴や芸名の由来、華麗な実家・家族などの情報について整理してみたいと思います。
MISIAは福岡生まれ対馬育ち。由来は医者家系。最終学歴は香住丘高校卒業→西南学院大学中退
MISIAさんは1978年の七夕である7月7日に福岡県福岡市に誕生しました。
家族構成は、父と母の両親と、上に兄と姉とMISIAさんの5人家族です。
MISIAさんは3人兄弟の末っ子ということになります。
本名は”伊藤美咲”で、芸名”MISIA”の由来は父と母が医者ということから来ています。
その他にも”アジアに音楽を届けたい”という想いなども含まれているようです。
芸名 | MISIA |
本名 | 伊藤美咲 |
出生地 | 福岡県福岡市 |
出身地 | 長崎県対馬市 |
生年月日 | 1978年7月7日 |
血液型 | O型 |
身長 | 153センチ |
出身小学校 | 対馬市立厳原小学校 |
出身中学 | 対馬市立厳原中学校→福岡市立吉塚中学校 |
出身高校 | 福岡県立香住丘高校 |
出身大学 | 西南学院大学商学部(中退) |
医者の父親が”離島に医療を届けたい”と4歳で対馬市に引っ越し。ピアノに合唱団、ゴスペルを学ぶ。
MISIAさんは生まれは福岡市ですが、医者である父が”離島に医療を届けたい”と思ったことから、MISIAさんが4歳の時に一家で対馬市に引っ越し。
4歳の頃には両親が音楽が好きだった影響でピアノを習い始めています。
小学校は移住した対馬市内の公立校・厳原小学校に入学。
MISIAさんは子供の頃から活発で、対馬の環境を生かして魚釣りなどアウトドアな遊びに熱中。
当時からサバサバした性格でしたが、末っ子らしく、どこかフワフワしてて抜けていたそうです。
小学校3年生の頃から地元の合唱団「厳原少年合唱団」に入団、当時からかなりの声量があったようで、他生徒の登下校の際、MISIAさんの歌声が反響していたという逸話が残っています。
合唱団の他にも教会に通いゴスペルも歌っていたようで、この頃の経験が後のMISIAさんの音楽のスタイルに影響を与えています。
この頃から小さな子供と遊ぶのが好きで、保育士に憧れていたなど、現在までの子供に向けたボランディア活動の片鱗が出ていたようです。
尚、運動はとても苦手だったそうです。
当時から歌手に憧れていたそうですが、芸能界が厳しい世界だと知っていたために、「何かあった時のために」と、小学生にしてお年玉など貯金して備えていたそうです。
小学生にして、現在のMISIAさんのベースがほとんど完成されていたように感じます。
歌のレッスンのために福岡の中学に転校
小学校を卒業したMISIAさんは、対馬市立厳原(いずはら)中学校に進学。
中学では合唱部に所属し、この頃から歌手になる夢に向かって本格的に歩みを進めていました。
しかし、対馬では本格的な歌のレッスンを受けれるところがなく、独学でのボイストレーニングを強いられました。
中学3年になると、本格的な歌のレッスンを受けるため、大学生になった姉が1人暮らししてる福岡に移住。
学校も3年生にして福岡市立吉塚中学校に転校するなど、家族が一丸となってMISIAさんの夢を応援しました。
両親はMISIAさんに勉強だけは頑張りなさいと言われており、勉強も変わらずに頑張ることを約束。
そして、姉と2人暮らしをしながら、学校の勉強と歌のレッスンの両立に励みました。
福岡県立香住丘高校では吹奏楽部のバックコーラスで全国大会。黒人のトレーナーを付けゴスペルを学ぶ
MISIAさんは福岡県の県立の共学校の香住丘(かすみがおか)高校に進学。
偏差値60と県内でも難関な進学校に合格し、両親との勉強の約束を果たしました。
高校では吹奏楽部に所属し、ボーカルを担当しました。
当時からMISIAさんは高校生離れした歌唱力を誇り、吹奏楽部の顧問はMISIAの歌声を生かそうと考え、MISIAさんの在学期間だけバックコーラスを設けるという演奏スタイルを実施。
学校行事ではこのスタイルが大受けし、さらには吹奏楽部としては全国大会にも出場しました。
この頃、MISIAさんはゴスペルの歌唱に憧れ、黒人のトレーナーに弟子入りしており、この頃に日本人離れした発声法を身に付けたとされます。
2年間姉と2人暮らしをしていましたが、実家の家族も福岡県に引き上げ、父は福岡市に「あおばクリニック」を開業し、再び家族と一緒に住めることとなります。
ただ、夢の歌手デビューに向けて多くのオーディションを受けますが、どれも不合格。
デモテープを送っても良い反応はありませんでした。
西南学院大学商学部に進学。父が持ち帰ったビラのオーディションで名プロデューサーの目に留まりデビュー決定!
歌手を目指しながらも勉強もしっかりとしていたMISIAさんは、西南学院大学商学部に進学。
偏差値は50台と比較的普通の大学ですが、高校時代の活動内容を考えると、成績を守るために最低限の勉強を続けていたことが伺えます。
大学生になっても変わらずに数々のオーディションを受けるも不合格。
ある日、MISIAさんの父親が「電信柱か、駅の壁」に貼ってあったオーディションのビラを持ち帰ります。
そのオーディションは1997年5月に九州朝日放送主催のオーディションでした。
MISIAさんはそのオーディションでDOREAMS COME TRUEの「Goodbye、Darlin’」を歌うと、なんと「BMG」ファンハウスの音楽プロデューサーの目に留まります。
以降、MISIAさんのデビューがとんとん拍子で決まり、1998年にデビューが決定。
大学は1年で中退することとなりました。
MISIAの家族一覧。実家の”あおばクリニック”は父・新一郎が開業し母・瑞子が小児科で兄・大樹が2代目で姉は歯医者
MISIAさんの名前の由来が「みんないしゃ」の通りに、MISIAさんの家族は全員が医者です。
MISIAさんが生まれた頃、父と母は福岡市の病院に勤めていましたが、離島に医療を届けたいとして対馬に移住。
対馬で医師として働いた後、1996年に福岡市に戻って、父は1996年に「あおばクリニック」を開業しました。
あおばクリニックでは父・新一郎さんが院長で母・瑞子さんが副院長で小児科を担当。
その後に兄の大樹さんが2代目の院長になっています。
父・新一郎・長崎大医学部 | 在宅医療 |
母・瑞子・長崎大医学部 | 小児科医師 |
兄・大樹・神戸大学医学部 | 循環器医師 |
姉(名前不明)・歯科大学 | 歯科医 |
姉も歯科大学を卒業した後に歯科医になっています。
姉の名前や勤めている病院名は非公開ですが、母・瑞子さんの作品が院内に飾られているということで、知ってる人は知っているようです。
過去にMISIAさんが姉の歯医者で歯を見てもらったことをSNSに投稿しており、熱狂的なファンは歯科医院の場所を知っているようです。
MISIAの父・伊藤新一郎の経歴。学生運動を経験し現在は「福岡東在宅ケアネットワーク」を立ち上げ
MISIAさんの父・伊藤新一郎さんは1946年2月に山口県で生まれました。
母の瑞子さんと同年代です。(父が早生まれ)
長崎大学医学部を卒業されていますが、母・瑞子さんと同じ大学だったということで、そこで出会ったとされています。
大学時代は学生運動に参加し、212日のストライキにも参加しています。
名前 | 伊藤新一朗 |
生年月日 | 1946年2月 |
出身地 | 山口県 |
出身大学 | 長崎大学医学部 |
大学を卒業した後は国立長崎中央病院に外科医として入り、その後に「離島にも最新の医療を届けたい」との思いから対馬に移住し長崎県離島医療圏組合厳原病院に勤めました。
福岡市に友人が立ち上げた病院に移り、再び戻ります。
MISIAさんは「誰かの力になることを仕事としてやっていく」という意識を、父の背中を見て学んだそうです。
現在、母の”あおばクリニック”は兄の大樹さんが院長として継ぎ、父は「福岡東在宅ケアネットワーク」を立ち上げ、あおばクリニックと連携し地域に貢献しています。
ちなみに父はずっと忙しい方だったということで、育児に関しては母の瑞子さんに任せていたそうです。
優秀な子供が3人も育ったということで、一緒に過ごす時間が少なくとも、新一郎さんが見せていた背中が勇敢だったことが伺えます。
母・瑞子は小児科の医師をしながらも3人の子供を育てる。高齢になった現在もパワフルに働くスーパーウーマン
MISIAさんの母・瑞子さんは1945年4月生まれで、父の新一郎さんとは同年代ですが、父が早生まれで母が遅生まれのため、1歳近く年下です。
父と同じく長崎大学医学部を卒業され、長崎大学病理学第2教室入局に入り、その頃にMISIAさんの兄と姉を出産。
国立長崎中央病院で臨床研修医を勤めた後にMISIAさんを出産し、その後に小児科医となります。
父と共に対馬の長崎県離島医療圏組合厳原病院に勤め、そこでは小児科医長に。
そして1996年に”あおばクリニック”を開業し院長に。
幼いMISIAさんの育児と小児科の院長の仕事を両立するというハードな毎日を過ごされました。
名前 | 伊藤瑞子 |
生年月日 | 1945年4月 |
出身大学 | 長崎大学医学部 |
勤めた病院の経歴は父・新一郎さんと同じで、夫婦で常に一緒の病院で勤め続けました。
2017年年には72歳にして”働く女性を応援したい”という想いから、福岡女子大学院人文社会科学研究科に入り、2019年に修土課程を終了。
大学院時代は「育児の共有」をテーマの修土文論をまとめました。
現在は、福岡県こども審議会の専門委員に任命されたほか、医師との仕事と育児の経験を基に講演会などに登壇。
勤務する病院に病児保育つきの保育所を設けるなど、幾つになってパワフルに働き続けています。
兄の伊藤大樹は父の”あおばクリニック”を継いで現在の院長
母・瑞子さんが1996年に福岡市に開業した”あおばクリニック”ですが、現在はMISIAさんの兄である伊藤大樹さんが院長を務めています。
名前 | 伊藤大樹 |
資格 | 日本内科学会認定総合内科専門医、日本循環器学会認定循環器専門医、米国内科専門医(ABIM Certified)、米国循環器科専門医 (ABIM Certified) |
出身大学 | 神戸大学医学部 |
専門 | 内科・循環器科 |
神戸大学を卒業後に沖縄で研修し渡米。
アメリカでは臨床研修医やスタッフとして患者の診療を行ないました。
あおばクリニックでの医療活動を継承・発展させようと2012年に帰国。
1996年に母親の瑞子さんが開院した「あおばこどもクリニック」に勤務。
2000年1月に内科が加わり、「あおばクリニック」と改名し、現在は院長を務めています。
現在までにMISIAさんの兄貴であることは堂々と公表されています。