ムッシュかまやつ(かまやつひろし)さんと言えば、60年代に活躍した「スパイダー」のギターボーカルです。
2017年に78歳で亡くなりましたが、亡くなる最後まで精力的に音楽活動を続けていました。
晩年はインパクトのあるキャラと髪型、そして歌でメディアの人気者でした。
今日はムッシュかまむつさんの若い頃の姿について書いてみたいと思います。
また、亡くなった際の病気や死因、死後の影響についても触れてみみたいと思います。
スパイダー時代のムッシュかまやつ。10代でデビュー!
あまり知られてませんが、ムッシュかまむつさんの父親であるティーブ・釜萢さんは1911年(明治44年)のロサンゼルス生まれの日系アメリカ人2世です。
1944年までアメリカ国籍を保持し、戦後の日本のジャズ音楽界影響を与え、日本初のジャズ音楽専門学校を設立するなど、父は邦楽ジャズの大御所でありました。
そんな父親の影響から、ムッシュさんも幼少期からアメリカ現地の生の音で育ち、物心付いた頃には海外の音楽やファッションにのめり込みました。
芸名 | ムッシュかまやつ/かまやつひろし |
本名 | 釜萢弘(読み:かまむつひろし) |
生年月日 | 1939年1月12日〜2017年3月1日 |
出身地 | 東京都千代田区 |
血液型 | B型 |
出身高校 | 青山学院高等学校 |
出身大学 | 青山学院大学(中退) |
高校生の頃から音楽の才能を発揮し、高校在学中にはカントリーミュージシャンとして本格的にデビューしていました。
ロカビリー歌手のミッキー・カーチスらとともに、グループ「ワゴンマスター」「サンダーバード」「キャノンボール」の一員として日劇ウェスタンカーニバルに出演。
また、峰岸徹、中尾彬、大原麗子、小川知子、井上順、福澤幸雄らがメンバーだった六本木野獣会にも参加。
俳優としても”釜萢ヒロシ”の名義で『檻の中の野郎たち』(東宝映画)に出演したこともありました。
スパイダー時代のムッシュかまやつ。ファッションリーダーとして注目される。
ムッシュかまむつさんの経歴の中でも最も知られるのが「スパイダーズ」での活動です。
当初、ムッシュさんはゲストボーカルとしてスパイダーズの活動に参加。
その後にリズムギター&ボーカルとして正式メンバーに採用されました。
スパイダーズの代表曲である「あの時君は若かった」「いつまでもどこまでも」「バン・バン・バン」「ノー・ノー・ボーイ」「フリフリ」「なんとなくなんとなく」らはムッシュさんの作曲でした。
スパイダーズ時代のムッシュさんは、楽曲だけでなくファッションやステージング、衣装へも影響を与え、バンドの裏プロデューサー的な立ち位置でもありました。
父親の影響で幼少期から本場の衣装やステージに触れていたムッシュさんの感覚は洗練されており、当時はファッションリーダーとして認められていました。
晩年までのムッシュかまやつ。ロッド・スチュワードに影響された髪型をずっと続ける
ムッシュかまむつさんは30代になった70年代からはソロとしての活動を始動させ、当時のフォークブームに乗り多くのヒットソングに関わりました。
70年代後半からは産業系から離れ、ライブハウスなどでマイペースに音楽活動を続けました。
80年代、90年代、00年代も人気アーティストの成功に関わり、作曲家として大御所に君臨しました。
ムッシュさんの髪型は若い頃からずっと変わらず、歳を召した頃には「カツラではないか?」と言われるようになりました。
ムッシュかまやつのカツラ疑惑はビートたけしの発言が原因
晩年はカツラ説があったムッシュかまやつさん。
疑惑の原因は仲の良いお笑い芸人・ビートたけしさんの言動です。
たけしさんは、「ムッシュがかつらなのではないか?」という発言を何度もしていたのです。
替え歌の歌詞に、「ムッシュかまやつさんにかつらを預けた」と含んだり、カツラがネタにされがちな小倉キャスターの話のときに「かつらの裏に「かまやつ」って書いてある」とジョークを飛ばしたりしていました。
仲が良かったということでネタにできたのか、それとも本当なのか、カツラの真相は不明です。
ちなみにムッシュさんの髪型のベースとなっているのが、70年代から活躍していたロッド・スチュワードです。
亡くなる最後まで70年代の髪型を貫き通したこだわりには恐れ入ります。
ムッシュかまやつは2017年3月1日に死去。死因は「肝臓がん」
ムッシュかまやつさんが死去されたのは3月1日の午後6時5分です。
死因は「肝臓がん」でした。
かまやつさんは、2016年9月6日、10日に出演予定だったイベントを欠席しており、当時に肝臓がんであることを所属事務所から発表されました。
ラストステージは、病気公表から3ヶ月後の12月にあった堺正章さんの70歳記念ライブでした。
最後のステージではスパイダース時代の代表曲、「サマー・ガール」をデュエットし会場を沸かせました。
当初、かまやつさんは客席後方でライブを見守っていましたが、堺さんの呼びかけに応じて登壇したということで、予定にない奇跡の共演でした。
妻も同年2月に死去していたがムッシュかまやつ死去(死因・病名)。肝臓がんで入院
かまやつさんは2016年8月に脱水症状で病院に運搬され、9月に入院と病名を公表し、10月に末に早くも退院と、その後も通院しながら、奮闘してました。
ムッシュかまやつさんは肝臓がんを公表しても、音楽の仕事復帰に強い意欲を見せており、2016年の12月に堺さんのライブに飛び入りすると、「もしかして復帰も近い?」とファンを期待させました。
しかし、2017年3月1日18時5分、膵癌のため東京都内の病院で死去。
ちなみに妻も同年2月に亡くなっていました。
妻が亡くなったことをかまやつさんは知らないままで、妻の告別式の時点でもかまやつの状況も思わしくなく、意識混濁状態でした。
かまやつひろしさんの死後、音楽界に残した功績が認められ、音楽史やWOWOWで特集が組まれるなどしました。
現在でも日本の音楽史を語る上で、父のティーブと共にムッシュさんの名前がよく出ます。
死後の方が、専門家が名前を出しやすくなったような印象があります。