
小田和正さんといえば、オフコース時代に現在の嫁と結婚。
現在までに女性スキャンダルも出さず、愛妻家として知られています。
妻の新井恵子さんはファンの間でも馴染みの人物で、古くからよく知られています。
今日は小田和正さんと嫁・新井恵子さんの馴れ初め、結婚までの話を整理してみたいと思います。
子供がいない理由や、結婚生活の逸話などについても触れてみたいと思います。
小田和正はオフコース在籍時の35歳で結婚。嫁・新井恵子との馴れ初めは中学生の頃
小田和正さんが結婚したのは1983年9月3日の35歳の頃です。
相手は6歳年下の29歳の一般人女性で、名前は”新井恵子”さんです。
交際が始まったのは1973年で、なんと結婚するまで10年の交際期間がありました。
入籍したことはお互いの家族、そしてメンバーに内緒にしていたから驚きです。
周囲に内緒にしていた理由としては、
「結婚は私的なことなので公表しようか迷った。しかし、協力していただいてる方だけには知らせるのが筋だと思った」
としてます。
新井恵子さんの実家の父は横浜で繊維工場を営み、恵子さんは男1女2の長女だそうです。
名前 | 新井恵子 |
生年月日 | 1953.5.24(小田の6歳年下) |
実家 | 繊維関係の会社 |
兄弟 | 弟1人。妹1人。 |
出身高校 | 横浜共立学園 |
出身大学 | 女子美術短期大学卒業 |
仕事 | 音楽プロダクションに勤めていた |
出身地 | 神奈川県横浜市 |
さらに言えば、2人の馴れ初めが小田さんが中学生で恵子さんが小学生の頃というのも驚愕です。
小田和正は中学生の頃に小学生だった恵子と同じ地元(横浜)の商店街で出会っていた
小田和正さんと結婚相手の恵子さんは同じ神奈川県横浜市出身です。
驚くのが、恵子さんは中学生時代の小田和正さんと面識があったということです。
中学生なので小田さんは12歳〜15歳で、6歳年下の恵子さんは出会った当時6歳〜9歳の小学生だったということになります。
小田和正さんの実家が「小田薬局」と薬局だったことと、父親が地元の商店街の基盤を作った大物で顔が広かったということで、商店街の繋がりから恵子さんと出会っていたとみられます。
また、小田和正さんは小学校から大学までキリスト系に通っていたということで、恵子さんも地元のキリスト関係の活動の中で小学生にして面識を持ったのではないか?という憶測もあります。
小田和正は25歳の下積み時代に短大生だった恵子と交際スタート
2人の初対面は小田和正さんが中学生で恵子さん小学生の頃ですが、当時は深い友好はありませんでした。
2人が再会を果たしたのは、小田さんが下積み時代で、恵子さんが短大生になったばかりの時でした。
恵子さんは短大生になると音楽プロダクションでバイトを始めます。
たまたま恵子さんが仲良い友人がミュージシャンのファンクラブの会報の制作担当者をしており、恵子さんは時より事務所を訪れていたそう。
ある時、友人がオフコースのファンクラブを担当することになり、そこで2人は再会。
恵子さんも友人のオフコース関係の仕事を手伝い、ファンクラブ「オフコースファミリー」の設立メンバーとなりました。
ファンクラブ結成を通じて友人とオフコースのメンバーと約1年グループ交際が始まり、恵子さんと小田和正さんは交際に発展。
当時、恵子さんが19歳で小田さんは25歳でした。
出会いから再会、交際までがまるでドラマのようですね!
小田和正と妻・恵子の結婚生活。子供は生まれず。現在も仲良し
35歳で現在の嫁・恵子さんと結婚した小田和正さん。
結婚当初、恵子さんが妊娠してるという報道はなく、現在までに子供が産まれているという情報もありません。
小田和正と嫁の新井恵子との間に子供がいないは理由は、小田和正さんが子供が苦手だからだそうです。
過去に小田さん本が子供が苦手という発言をされています。
「町で大声ではしゃぐ子供が嫌いで、もし自分の子供が出来たらそんなことしない子供に育てる自信がないから、子供がいないんです」
子供が嫌いというよりも、厳密には人の迷惑にならない子を育てる自信がないから子供を作らないということです。
ちなみにオフコース時代には「生まれ来る子供たちのために」という子供に向けた楽曲を作ったことがあります。
現在でもライブで子供にマイクを向けることがあるなど、子供が嫌いというわけではないようです。
夫婦仲は良好で不倫報道は一切なし。嫁とのラブラブ報道や入籍前に彼女に捧げた楽曲
子供が生まれていない2人ですが、夫婦仲は悪くありません。
これまで不倫の報道は一度もなく、夫婦喧嘩の噂もありません。
むしろ交際10年目で入籍する前に、わざわざラブソングを作るほどに恵子さんのことを大切にしています。
入籍したのは1982年9月ですが、実はその1年前に「I LOVE YOU」(81年)をリリースしていました。
「あぁ、早く9月になれば I LOVE YOU」
同曲の歌詞には明らかに1年後に入籍する恵子さんに捧げた内容でした。
その後のインタビューで小田さんは「そのすべてをこのキーワード(I LOVE YOU)で乗り越えていけたらな」と語っています。
ちなみに当時のオフコースの脱退劇への想いや、1980年12月8日に暗殺されたジョン・レノンへの想いも含ませていたようです。
結婚後は2人で一緒にいるところを週刊誌に書かれるなどラブラブぶりを発揮しています。
一緒にゴルフに行くとも発言しており、夫婦であり友達のような関係でもあるようです。
ファンが自宅までサインをもらいに行くと、小田さんと一緒に恵子さんも玄関先まで出てきてくれて、時には優しく会釈もしてくれるそうです。
コアなファンは小田さんのことだけでなく、妻・恵子さんのことも尊敬しているほどです。