桜井和寿の元嫁と娘の現在。離婚後も長女・優歌に会い続け曲も捧げる

桜井和寿さんといえば、過去の略奪不倫が度々掘り返されます。

1997年頃から現在の嫁・吉野美佳さんと不倫を始め、2000年に元嫁と離婚してすぐに不倫相手と再婚したという流れでした。

今日は、桜井和寿さんの初婚の相手の女性と、その相手との間に生まれた第一子の娘について書いてみたいと思います。

実はMr.Childrenの楽曲の中に、娘に捧げた曲があるということで、その曲についても紹介して見たいと思います。

桜井和寿は1993年1月にMr.Childrenのマネージャー”ゆかり”と結婚

桜井和寿さんが擁するMr.Childrenは1989年に結成されました。

3年間のインディーズ活動を経て、1992年にメジャーデビューを果たしました。

メジャーデビューした頃にマネージャーについた5歳年上の”ゆかり”さんと、桜井和寿さんは交際に発展します。

デビューから1年後の1993年に「CROSS ROAD」がミリオンセラーとなり知名度を上げ、翌年1994年1月に桜井和寿さんはマネージャーのゆかりさんと結婚します。

結婚した同年1994年6月に「イノセントワールド」がオリコン1位を獲得し、業界トップのバンドに成り上がります。

そして、さらに同年1994年の10月にゆかりさんとの間に第一子の娘「優歌(ゆうか)」さんが誕生し、桜井和寿さんは父親となりました。

また、1994年の年末には「イノセントワールド」でレコード大賞を獲得するなど、公私共に充実した1年となりました。

よく「下積み時代を支えたマネージャー」と言われるが・・・

桜井和寿さんの不倫ネタが記事になるときに、「下積み時代を支えた女性を捨てた」と表現されることが多く、実際に不倫中はゆかりさん宛の励ましの手紙が多く届いたそうです。

↓元嫁と出会った時期と、Mr.Childrenの活動歴を時系列に並べると以下のようになります。

1990年 小林武史氏を迎える
1992年5月 メジャーデビュー(同じ頃に桜井和寿と”ゆかり”さんが出会う)
1992年12月 シングル「抱きしめたい」とアルバム「Kind of Love」をリリースしヒット。
1993年4月 3枚目シングル『Replay』がCMポッキーのタイアップ決定
1993年11月 4枚目シングル「CROSS ROAD」がミリオン達成
1994年1月 桜井和寿さんと”ゆかり”さんが結婚。(同時期に妊娠)
1994年6月 「イノセントワールド」が大ヒット
1994年11月 「Tomorrow never knows」が276万枚の大ヒット
1994年10月 ”ゆかり”さんが長女・優歌さんを出産

Mr.Childrenはインディーズの最後の方にはすでに小林武史さんを迎え作曲活動を行なっており、楽曲のレベルは若手バンドの中で頭1つ抜けていました。

デビュー前から固定ファンを多く抱え、メジャーデビューが決まった時点でも音楽性の良さは業界から注目されていました。

1年目から人気曲抱きしめたい』とアルバム『Kind of Love』をリリースするなど、日本を代表するバンドになるまでに死角なしの状態でした。

それでも、お金がない時期の桜井さんは配送業やクリーニングの仕事をしながら音楽活動をしており、少しでも楽させてあげようと支えてくれてたのがゆかりさんです。

メジャーから国民的なバンドになるまで、一緒に戦った戦友であることには間違い無いですが、彼女の営業でお陰でMr.Childrenが売れたというのは過大表現です。

たまに「イノセントワールドのタイアップは元嫁が持ってきたのに」と言われていますが、同曲が発売された1994年6月は、すでに彼女は妊娠していて産休か退職をしていました。(発売の4ヶ月後に長女を出産してます)

おそらく、ゆかりさんの力でタイアップを獲得したのは、ポッキーのCMに使用された1993年発売の3枚目シングル『Replay』だと思われます。

バンドに貢献された方で間違いないですが、ネット上の記事では「元嫁がいたからこそのMr.Children」のような大げさな表現が多いですね。

桜井和寿の下積みの支えたのは高校時代から約8年交際した彼女

ちなみに桜井和寿さんがペーペーだった頃から共に過ごした女性は別に存在します。

それは高校時代から約8年間交際した彼女です。

桜井和寿さんが高校生だったのは1985年から1987年で、メジャーデビューしたのは1992年なので、おそらく高校1年だった15歳から、メジャーデビューを果たす22歳まで交際したと思われます。

過去のインタビューで、桜井さんは彼女ができたことですごく自信がついて、自分の性格や考え方がガラッと変わったそうで、「音楽と彼女の二つのことだけを一生懸命やった」と回想していたほどです。

過去の不倫のインパクトが強いだけに、その彼女の存在はあまり語られませんが、最初に桜井和寿さんの音楽を信じてくれた女性はメジャーデビュー前に別れてしまった彼女であったことでしょう。

2000年5月に元嫁と離婚。娘の親権は相手に渡る。夫婦仲が冷めていた説

桜井和寿さんは1997年2月に不倫報道、1年間の音楽活動の休止を経て、2000年に最初の嫁・ゆかりさんとの離婚が成立します。

不倫報道が出た後も、不倫相手との関係は解消せず、桜井和寿さんは妻子の待つ家に帰らなかったそうです。

当時、幼かった娘は帰らないお父さんのことを探しては、家族に泣きながら「パパはどこ?」と聞いて回っていたそうです。

桜井和寿さんは、そのことに心を痛めいていたようで、不倫当時のインタビューでは、

「僕は、いい人なんかじゃない。自分のやっていることはわかってるつもりです。きれいごとでなく、自分が誰をいちばん傷つけているか……」

と答えています。

当時の桜井和寿さんへのバッシングは凄まじかったですが、中には同情の声を上げるファンもいました。

2000年5月にようやく離婚が成立し、離婚した1ヶ月後に桜井さんは吉野美佳さんと再婚しました。

娘の親権は当然、元嫁の方に渡り、離婚の際は一緒に暮らしていた豪邸を含め、慰謝料など約5億は払ったと言われています。

仕事の関係者と結婚したことで公私混合。孤独とプレッシャーに怯えていた?

桜井和寿さんが前の嫁さんと別れた理由は、1997年に報じられた吉野美佳さんとの不倫であることが共通認識です。

しかし、実は不倫する以前から最初の嫁さんとの夫婦関係が冷え切っていたことも言われていたのです。

現在でも、「もともと離婚する予定だった」という都市伝説も存在するほどです。

桜井和寿さんはメジャーデビューしてすぐに元嫁と出会い、交際に発展。

早々にミリオンを達成し世間から持ち上げられ、結婚した同年にはメガヒットを記録しレコ大も受賞と、バタバタした毎日を過ごしていました。

桜井和寿さんの生活はほとんど仕事に全振りした状態で、公私混合してしまっていたのです。

Mr.Childrenの作詞作曲とフロントマンを担当してることへのプレッシャーも凄まじく、孤独を感じていたとされています。

ある時期から家に帰らず、外に癒しを求め始めるようになったのです。

そんな中で出会ったのが、5歳年上の嫁さんよりも桜井さんと世代が近く、しかも同じ業界人であった吉野美佳さんだったのです。

一部では、当時の桜井さんが天然でさっぱりした性格の吉野美佳さんに流れてしまったのは仕方ないと、同情の声もあるのです。

桜井和寿は離婚後も父親の責任を全う。娘と会う日を楽しみに歌まで作曲

2000年に離婚が成立した桜井和寿さんと元嫁・ゆかりさん。

1994年10月に誕生した娘・優歌さんの親権は元嫁の方に渡りましたが、離婚後も会うことが許されたそうです。

不倫中のインタビューでも、娘を傷つけていることを気にかけていた桜井和寿さんだけに、面会の許可は嬉しかったことでしょう。

桜井和寿さんは娘・優歌さんと会う日のことを「デート」として、毎回楽しみにしていたようです。

Mr.Childrenがワンピースの劇場主題歌を担当した時は、桜井和寿さんが娘と映画館でワンピースを観たことがきっかけで決まったそうです。

また、過去にミスチルの楽曲で娘・優歌さんに捧げたと憶測される曲が何曲かあります。

桜井和寿が娘のために作った?「優しい歌」と「my sweet heart」

90年代後半から不倫相手の家に入り浸り、妻子の待つ自宅に帰らなかった桜井和寿さん。

当時にして幼児であった娘との時間は僅かでしたが、離婚後は娘に会うことが許されました。

長女の存在は桜井和寿さんの音楽活動に影響を与えていたとされ、娘のために作った曲も存在します。

実際には、本人から「娘のために作った」という言及はありませんが、歌詞の意味や曲の雰囲気から、「これって娘のために作った?」と思わせるような曲があるのです。

その曲というのが「優しい歌」と「my sweet heart」の2曲です。

「my sweet heart」の歌詞には、

「君はストロベリーソーダ 僕はスパークリングワイン 時間をかけて飲んで 楽しいおしゃべり この後どこに行こうか? それとも送ろうか? ママが心配してるよ 電話入れたらどう?」

と、あからさまに娘に会っている時の光景が歌になっています。

また、

「何所の誰かも知らない友達のお話 えんえんと続ける でもそれも嬉しい 急がなくてもいいよ 大人になんのなら なるたけゆっくりがいい ほらアイスクリームはどう?」

など、娘との会話の状況が浮かぶような歌詞も含まれています。

「優しい歌」に関しては娘の名前が「優歌(ゆうか)」ということから、強い関連性が予想されています。

娘・優歌に関するガセネタ。アイドルになった説や「抱きしめたい」

一時期、桜井和寿さんの娘さんに対して、怪しい噂がネットで広がったことがあります。

主に”なんと娘が現在はアイドル!”というような噂です。

噂されたのは地下アイドル「S☆B」の桜井優歌さんと、乃木坂46」の桜井玲香さんです。

2人共に苗字が「桜井」であること、そして94年に生まれていたことから桜井和寿さんの娘だと疑われていました。

実際に桜井さんの娘と、疑われた2人の生年月日を並べてみると確かに近いです。

桜井和寿の娘・優歌 1994年10月生まれ
地下アイドル「S☆B」・桜井優歌 1994年12月
乃木坂46・桜井玲香 1994年5月16日

乃木坂の桜井玲香さんは、桜井和寿さんの娘であることを隠すために、芸名を「玲香」に変えたと噂されていました。

「S☆B」の桜井優歌さんは、娘であることを隠すために、誕生日をズラして公表してると噂されました。

当たり前ですが、全くのガセネタです!

また、Mr.Childrenの楽曲「抱きしめたい」が、娘のために作った曲という話もありますが、「抱きしめたい」が収録されたアルバムがリリースされたのは1992年です。

娘が誕生したのは1994年と2年前の楽曲なので、時系列的にこの説もガセネタであります。

まとめ

桜井和寿さんの元嫁は1993年に結婚した5歳年上の元マネージャー・ゆかりさん。

元嫁との間には1994年10月に第一子の娘「優歌」が誕生している。

結婚生活は、仕事の関係者と結婚したことから私生活がなくなり、ブレイクしたMr.Childrenの創作のプレッシャーに苦しんでいた。

1997年頃から桜井和寿さんは不倫相手の家に帰るようになり、娘は寂しがり桜井さんも心苦しかった。(不倫が始まる前から、離婚する予定だったとの都市伝説がある。)

2000年に元嫁との離婚が成立して以降、休日などに会えるようになった。

娘の影響でワンピースの主題歌が決まったり、娘のために作った曲が存在するなどMr.Childrenの活動にも影響を与えていた。

過去にアイドル2人が桜井和寿さんの娘だという噂が出たが、2人ともガセネタであった。

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