サンボマスターといえば、フロントマンの山口隆さんのカリスマ性で成り立つハートフルなバンドです。
一度、サンボマスターのライブをフェスやメディアで目に掛かった人は、すぐに「山口隆さんってどんな人?」と気になることでしょう。
しかし、ネットなどでは山口さんの情報が整理されておらず、今でもまとまった情報が少なく、どんな人なのか掴みにくいです。
今日は山口隆さんの売れる前から現在までの逸話などから、漠然とした人物像をまとめてみたいと思います。
サンボ・山口隆の生い立ち。売れるまでの時系列
1976年(0歳〜) | 福島県のど田舎・北会津に教師をする父親の元に生まれる。 |
1982年〜(6歳〜) | 父親の影響でアメリカのジャズや映画に詳しくなる。よく喋る子供で注意されていた |
1988年〜(12歳〜) | 北会津中学校に入学。ロックに目覚める。英検3級に合格し初めてギターを買ってもらう |
1991年(15歳) | 福島県屈指の進学校・会津高校に入学。ソウルなど音楽の視野が広がる。バンドは組めずノイローゼ気味になる |
1994年(18歳) | 会津高校卒業も受験に失敗し浪人 |
1995年(19歳) | 東洋大学法学部入学。サークルで初めてバンドを組み人前で演奏。サンボの木内・近藤に出会う。 |
1999年(23歳) | 東洋大学卒業。就職せずアルバイト |
2000年(24歳) | 就職しなかった木内に「心中しよう」とサンボマスター結成。 |
2003年(27歳) | メジャーデビュー |
父親は学校の先生で学業優秀。1浪して東洋大学に入学しサンボメンバーに出会う
山口隆さんの父親は学校の先生と、教養のある家庭に生まれ育ち、高校は地元の進学校・会津高等学校を卒業しています。
山口さんの学生時代については別記事で書いています。

中学でロックに目覚めますが、土地柄か理解を得られず、親と英検3級合格したらギターを買うと約束し、なんとかギターの初級セットを買ってもらいました。
高校までにロックの魅力にハマりますが、周囲に音を鳴らす仲間がおらず、何もない田舎町にノイローゼ気味になったこともあったそう。
浪人を経て大学生になり上京し音楽サークルに入ると、ようやくバンドを組むことができ、後にサンボを組む近藤さんと木内さんに出会います。
大学卒業後は就職もせず無職状態で、この頃に大学時代の仲間である木内さんと近藤さんに声を掛け、サンボの前身となるバンドを結成するに至ります。
バンドを組んでブレイクするまでに様々な苦労がありました。
山口隆の下積み時代。就職せずにバイト生活でバンド結成
特に就職活動に向けて準備などもしていなかった山口隆さん。
しかし、一回だけ、就職の説明会のようなところに行こうとしたことがあったそう。
スーツを着込んで電車に乗ると、電車の窓からフラフラ歩いてるドラム・木内さんの姿を発見。
木内さんの姿を見た山口さんは、「木内に悪いな」と説明会には行かず、そのまま帰宅、結果、山口さんはどこにも就職しないまま大学を卒業することとなりました。
その逸話をメディアで木内さんの前でしましたが、2人とも”決して良いことではない”と自虐的に笑っていました。
木内の卒業後に「バンドで俺と一緒に心中しよう」と電話しサンボマスター結成
山口さんは大学を卒業した後も就職せず、バンドも組まず、1年間はお金もない生活を続けていました。
1年後に木内(ドラム)さんが卒業すると、就職せずにダラダラしていると知り「俺とちょっとバンドで心中しよう」と電話し軽い返事でOK。
次にベースが上手い人を勧誘し、一緒にやりましたが、その方は他のバンドもやっており山口さんと感性が合わずに脱退。
そして、ついにカリスマである近藤さん(ベース未経験)の資金力をアテに、ベースを持ってきてくれとお願い。
すると、次の日に待ち合わせをした高田馬場に行くと、10万するフェンダーのJazz Bassの白を持つ近藤さんの姿があったのです。
なんと、近藤さんは即日に池袋の楽器屋で購入したとかで、みんな驚かせ、この逸話は今でもサンボの伝説として語り継がれています。
こうして、3人で足並みが揃い、サンボマスターまでに派生していくのでした。
大学時代から同じコピー屋でバイトするも時給が10円しか上がらず。嘘をついて土下座
山口さんは大学時代から、医療用文献などのコピーをするバイトをしていました。
そのバイトは卒業後も続けていましたが、時給900円から継続して働いて、最終的には時給はわずか10円しか上がらず絶望していたそうです。
バンドと掛け持ちでバイトをしていたということで、ライブのための休みをもらうのに苦労したそう。
近藤さんがバンドのホームページでライブの告知した後に、山口さんが休みの嘘がバレるために「消してくれ!」とお願いしてきたことも。
ある時に母親の体調が優れないと嘘をつくと、職場のみんながいい人でカンパを始めてしまったそう。
素直な山口さんは堪らず嘘だったことを告白し、土下座して謝罪。
本人曰く、この経験があったからこそ、今でも土下座が上手になったそうです。
その後は山口さんの上司がバンド活動を理解してくれて、掛け合って休みをくれるようになり、最終的には職場でサンボマスターを応援してくれたのです。
最後まで山口さんがが首にならないようにしてくれたり、良い出会いだったと回想しています。
山口隆は車の免許を持っていない。デビュー後に木内の車で楽器盗難の被害に遭う
メンバーの木内さんや近藤さんは車でドライブが好きなのに対して、なんと山口さんは車の免許を持ってないのです。
自分らで運転して会場に向かっていた頃、3ピースバンドながらも、山口さんが免許を持っていなかったということで、近藤さんと木内さんの2人で交代して運転し、それが肉体的にキツかったと回想しています。
山口さんはもっぱら助手席専門だそうです。
2003年のデビュー年の全国ツアーでは、ツアー車に積んでいた山口さんのギターと近藤さんのベースが盗まれた事件がありましたが、その時の車は木内さんの車でした。
ちなみに山口さんは車が嫌いというわけではなく、車好きの話を聞くと「免許欲しい」とは思っていたそうで、教習所に通うタイミングを逃してしまっただけのようです。
ブサンボマスターはファンの気持ちを汲み反対。”塚地武雅・堤下敦・梶原雄太”として”言いたいことも言えずに”がリリース
サンボマスターが新人としてデビューしたのと同時期、テレビではロバートやキングコングなど人気若手芸人が集結したバラエディ番組「はねるの扉」がブームとなっていました。
通称「はねとび」では、当時話題になっていたサンボマスターをネタにした「ブサンボマスター」というルッキズム全開のコントが行われていました。
サンボマスターのルックスを茶化したヴィジュアルに、「不細工だけどモテたい」「イケメンが憎い」という構図。
コントが登場した当時からファンらがネット掲示板で大荒れしていましたが、番組はコントを続行。
コントは番組の中でも人気コーナーとなり、番組で歌われた曲「言いたいことも言えずに」のリリースが決定。
これにはお笑芸人に敬意のある山口さんも「名前だけ使って、実際は自分らは一切関わっていない」として、ファンの気持ちも考え「やめてくれ」と反対。
結局、ブサンボマスターは「塚地武雅・堤下敦・梶原雄太」の名前でリリースすることになり、バンドの名前の起用を阻止することができました。
山口隆はお酒もタバコもやらない
山口さんは”陽気なオジサン”ようなの風貌とキャラをしてますが、実はお酒が呑めません。
ある放浪企画では居酒屋でお酒の代わりにウーロン茶を注文する姿が映されるなど、山口さんがお酒を飲めないことはファンの間でも有名です。
サッポロビールのCMに出演した際、山口さんが弁当を食べてるのもそのせいです。
ちなみに、自身はお酒が呑めないものの「吉田類の酒場放浪記」は好きでよくご覧になっているなど、飲み屋をのんびり放浪する雰囲気は好きなようです。
また、タバコも吸いませんが、喫煙者・近藤さん宅に居座っていた過去があり、過去にブログで喫煙のタクシーもOKと綴っていたので、ニオイや煙には寛大なようです。
山口隆は学生時代から読書好き。小説、写真集、手記などジャンル問わず読み漁る。
山口さんは学生時代から大の読書好きです。
高校が進学校だったということで、納得の趣味ですね。
大学時代はキャンパスの図書館でたくさんの本を読んで、それが楽しかったそう。
ジャンルを問わずに難しい本から写真集まで、色々読み漁っているようです。
これまでにメディアで紹介された山口さんのオススメの本は、「ラジカセのデザイン」、「銀座界隈トキメキの日々」です。






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