宇多田ヒカルの転落死した母・藤圭子への歌。元夫・前川清との関係

90年代後半
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平成を代表する歌手だった宇多田ヒカルさんといえば、母・藤圭子さんも昭和歌手として活躍されていたことで知られます。

親子2代でそれぞれの時代で”売れっ子歌姫”だったことはすごいことです。

側から見たら、”2世タレント”、”親の力で成り上がった”と見られるかもしれませんが、実際の宇多田ヒカルさんと母の関係は壮絶です。

今日は宇多田ヒカルさんと母・藤圭子さんの関係、そして自殺した母に捧げた曲について書いてみたいと思います。

また、母が最初に結婚した相手・前川清さんと宇多田ヒカルさんの関係についても書いてみたいと思います。

宇多田ヒカルの幼少期・少女時代。母は精神病で父は仕事漬け。渡米し転校を繰り返す

宇多田ヒカルさんは1983年1月19日にニューヨークで誕生しました。

出産時の宇多田ヒカルさんは、予定日から3週間以上過ぎた後も産まれず、医師の判断で帝王切開するも、ほぼ死産の状態

医師から「残念ですが」と告げられるも、父が何度も「光」の名前を呼ぶと、徐々に血の気が入り、無事に蘇生したそうです。

母の宇多田純子さんは芸名・藤圭子として昭和の時代に活躍したスター歌手

そして、父の宇多田照實(てるざね)さんは音楽プロデューサーでした。

「光(ひかる)」の名前の由来は、母が妊娠時に網膜色素変性症という徐々に視力を失う病気を患っていたということから、「我が子から光が失われないように」という願いが込められています。

幼少期・少女時代は日本とアメリカを行き来。精神病になった母から「悪魔の子」と罵られる

母・藤圭子さんは”娘を世界で通用する歌手にしたい”と、ネイティブな子に育てる為に、日本で歌手活動を資金を集めては、渡米を繰り返し、幼少期は何度も引っ越し

母は元々、性格的に変わったところがあったそうですが結婚して出産した後に精神のバランスをさらに崩し精神病を患いました。

母は精神病でありながらも通院拒否、そして金銭トラブルなどで親族との関係を悪くします。

その矛先は宇多田ヒカルさんにも向き、『アンタは悪魔の子だ』などと罵声を浴びせたり、「もう二度とお父さんに会わせないよ、明日からNYに住むから」といきなり転校させたり、ほぼ虐待のような仕打ちを受けました。

頼りたい父も音楽プロデューサーという忙しい仕事柄、なかなか構ってもらえず、子供の頃に描いた親の絵も、スタジオで仕事に励む父の背中でした。

小学生になる前に一度は離婚するも、すぐに再婚、その後も宇多田ヒカルさんが歌手として成功した後までに両親は7度ほどの結婚と再婚を繰り返しました。

親のエゴとバタバタに振り回され、少女時代は自分の感情を殺して我慢するようになっていたそうです。

最終的に日本の通学歴だけでも「アオバジャパン・インターナショナルスクール」入学、「清泉インターナショナルスクール」編入。

芸能活動が始まってから「アメリカンスクール・イン・ジャパン(ASIJ)」に転校となっています。

ネット上には宇多田ヒカルさんのたくさんの制服姿の写真が存在し、「なぜ?」となっていましたが、親の都合で日米の学校を取っ替え引っ替えしてた事情を知ると納得ですね。

宇多田ヒカルのデビューと同時に母は引退。紀里谷との結婚を”金目当て”と反対。その後もトラブル多発の末に自殺。

1998年に宇多田ヒカルさんのデビューが決定すると、すぐに母は表舞台から姿を消します。

宇多田ヒカルさんはデビューして4年後の2002年9月6日、19歳の時に映画監督の紀里谷和明さんと結婚。

この際、母は「相手はお前のお金だけが目当て」と紀里谷さんとの結婚に猛反対。

このことがきっかけは分かりませんが、宇多田ヒカルさんが結婚した同年に、母と父は別居。

別居後の母はニューヨークを拠点に、気まぐれに世界中を旅する生活を送りながらも、時時家族にはをかけていました。

”銀行が信用できない”と、普段から数千万単位の現金を持ち歩き、2006年にはアメリカの空港で大金を持ち歩いてることを怪しまれ420万ドルを没収されるという騒動を起こしました。

没収事件の直後、自分で日本のテレビ局各社に電話し、各テレビ局に取材を要請。

取材の中でファーストクラスで世界中を飛び回っていることや、これまでにカジノに5億以上使っていることを告白

母は早口で目の焦点が合っておらず、テレビ局が気を使って正気に見える部分を編集して放送するなど、この頃すでに病気の進行が進んでおり、翌年の2007年には父と最後の離婚

そして、6年後の2013年に自死することとなります。

宇多田ヒカルの母・藤圭子は2013年に新宿区の高層マンションから飛び降りる

2013年8月22日に母の藤圭子さんは新宿区の高層マンションから飛び降りました。

現役人気歌手の母親が62歳で自死したというニュースは衝撃的で、メディアでも大きく扱われました。

母は父と離婚後に30歳年下の元マネージャーの男性と同居、男性は父の要請で母の介護をしていたそうです。

亡くなった際に住んでいたマンションも男性と一緒に住んでいており、男性は朝に警察が尋ねてきて初めて藤圭子さんが飛び降りたことを知ってショックを受けたそうです。

当初は他殺や宇多田家の陰謀説が流れましたが、調査した警察はアルコールも薬物も検出されず、さらには遺言状もあったというですぐに自殺と断定しました。

藤圭子死後の宇多田ヒカルのコメント。遺書に”葬儀はいらず”。遺灰を海に撒く

娘の宇多田ヒカルさんは、母・藤圭子さんの死後、しばらくの沈黙の後、自身のブログから追悼コメントを出しました。

8月22日の朝 8月22日の朝、私の母は自ら命を絶ちました。様々な憶測が飛び交っているようなので、少しここでお話をさせてください。

彼女はとても長い間、精神の病に苦しめられていました。その性質上、本人の意志で治療を受けることは非常に難しく、家族としてどうしたらいいのか、何が彼女のために一番良いのか、ずっと悩んでいました。幼い頃から、母の病気が進行していくのを見ていました。症状の悪化とともに、家族も含め人間に対する不信感は増す一方で、現実と妄想の区別が曖昧になり、彼女は自身の感情や行動のコントロールを失っていきました。私はただ翻弄されるばかりで、何も出来ませんでした。

母が長年の苦しみから解放されたことを願う反面、彼女の最後の行為は、あまりに悲しく、後悔の念が募るばかりです。誤解されることの多い彼女でしたが… とても怖がりのくせに鼻っ柱が強く、正義感にあふれ、笑うことが大好きで、頭の回転が早くて、子供のように衝動的で危うく、おっちょこちょいで放っておけない、誰よりもかわいらしい人でした。悲しい記憶が多いのに、母を思う時心に浮かぶのは、笑っている彼女です。

母の娘であることを誇りに思います。彼女に出会えたことに感謝の気持ちでいっぱいです。沢山の暖かいお言葉を頂き、多くの人に支えられていることを実感しています。ありがとうございました。

宇多田ヒカル

宇多田ヒカルさんは、自分の母が長く病気に苦しめられたこと、家族としては何も施しができなかったこと、今でも母の素敵だった頃の姿を潜在的に思い浮かべることなどを綴りました。

また、亡くなった当初は他殺説があったり、報道で母の苗字が間違っていたこと、憶測や報道の勘違いがひどかったために、それらに対しても注意喚起していました。

「宇多田純子です。父と離婚後も、母は旧姓の阿部ではなく宇多田姓を名乗ることを希望し、籍も父の籍においたままでした」

離婚してる状態ではありますが、母の火葬は宇多田家が仕切ることも伝えました。

母の遺骨は宇多田家で海に散骨。「海が見えるところに行きたい」

気になるのは母・藤圭子さんの遺骨がどこにあるのか?ということです。

母側の阿部家に納骨されるか、父側の宇多田家に納骨されるのか、両方なのか。

基本的に藤圭子さんは若い頃に兄と父とは絶縁しており、唯一関係が良かった母は死去。

宇多田家に納骨されのでは?と言われていましたが、死去した2ヶ月後の10月に、母の実兄がテレビ出演し、宇多田家から「母の遺骨は散骨しました」との手紙が届いたことを明かしました。

どこに散骨したのか気になるところでしたが、死後の宇多田ヒカルさんのSNSに、

「母の遺骨は本人の希望通り散骨して、どこにもお墓はないから、お墓参りしたい時どうしたらいいのかな」

との投稿があり、その後も「海が見える所に行きたいな」と呟いていたことで、海に散骨していたことが明らかになっています。

両親の別居後、母はたくさんの国に行くことが好きで世界中を放浪していたということで、世界中どこにでも繋がっている海に散骨というのも納得ですね。

宇多田ヒカルは亡くなった母の為に楽曲「花束を君に」

宇多田ヒカルさんが2016年にリリースした楽曲「花束を君に」は、亡くなった母の為に作った曲です。

2013年に死去し、3年後に完成させたという曲です。

曲の文頭には母さんが死化粧をして葬儀を迎える日の朝を連想さすフレーズ。

「涙色の花束を贈ろう」との歌詞は、遺骨を海に散骨しお墓が存在しない母に、お供えできるのは”涙”という花束だけという意味を感じます。

「どんな言葉並べても 君を讃えるには足りないから」という歌詞には、偉大な歌手であり、産後も不遇に負けじと自分の為に頑張ってた頃の母へのリスペクトの気持ちが感じられます。

また、「抱きしめてよ たった一度 さよならの前に」との歌詞は、病気が重症化していたとしても、死別する前に、幼少期の頃のような母に戻って、もう一度、屈託のない愛で抱きしめてもらえると、どこかで信じてた、そんな切ない気持ちが伺えます。

母の死後。宇多田ヒカルが母の最初の夫・前川清を会いたいと発言。前夫も「娘(宇多田ヒカル)だったら嬉しい」

宇多田ヒカルさんは2023年に出演したテレビ番組の中で、”会いたい人”のトークテーマで、母の前夫・前川清さんの名前を挙げました。

前川清さんは、母が19歳の頃に最初に結婚した相手ということで、「会ったら面白いのではないか?」と考えているそう。

番組ではネタっぽく話していましたが、宇多田ヒカルさんは精神病が進行する前の母親との時間が少なかっただけに、歌手全盛期で元気だった頃の母の姿は知りません。

前川清さんから、素敵だった頃の母の話をたくさん聞きたいのが本音では?と憶測できます。

偶然にも前川清さんも宇多田ヒカルさんのことが大好きで、再婚相手との息子に”宇多田ヒカルが自分娘”だと嘘をついてたこともあったそう。

息子さんはすっかり、宇多田ヒカルさんが自分の兄弟だと勘違いしていたそうです。

ちなみに宇多田ヒカルさんがテレビで自分に会いたいと言ってくれたことを知ると、インスタで「自分も会いたい」と発言し、2人の関係はさらに注目されました。

一部では「すでに会って友好関係にあるのでは?」と思われましたが、その後は連絡先すら知らず、いまだに友達にはなっていないようです。

お互いに歌手ということで、いつかどこかで素敵な共演を果たす日が来ることでしょう。

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