令和初期に圧倒的な人気を誇ったロックバンド”UVERworld”の魅力といえば、フロントマン・TAKUYA∞さんのカリスマ性です。
他メンバーの努力も凄まじかったですが、TAKUYA∞さんの常識を超える努力がUVERworldの全盛期を長くリードしました。
技術的なの努力だけでなく、TAKUYA∞さんのファンやメンバー、業界関係者との義理人情も大切にする姿勢も晩年の快進撃に影響しました。
そんなTAKUYA∞さんでも、若い頃に人間として大きな過ちを犯しています。
それはメジャーデビューした翌年2005年に起こした公務執行妨害です。
デビューしたバンドの多くが2年以内に姿を消すと言われる世界で、デビュー2年目で逮捕、活動休止の致命的な足踏みをしていたのです。
今日は、そんなTAKUYA∞さんの過去の過ちと、その後の年齢の常識を超えた快進撃について書いてみたいと思います。
TAKUYA∞は交通違反に切符を切られ警察官の帽子をはたき落とし公務執行妨害で逮捕
過去に逮捕歴があるTAKUYA∞さんですが、当時のUVERworldの状況を見ると、ファン・関係者にとってキツい時期での不祥事でした。
TAKUYA∞さんは20歳だった2000年にUVERworldの前身となるバンドを結成し、2005年の24歳の頃にようやくメジャーデビュー。
デビュー1年目は7月発売のデビュー曲が「BLEACH」のタイアップの恩恵で4位、10月発売のセカンドも5位とまずまずの成果。
しかし2年目の2006年1月に出した3枚目は14位と失速し、”このまま消えるのか?”というムード。
5月に出した4枚目が3位、8月に出した5枚目で6位と盛り返しましたが、いずれもタイアップ付きで安全圏とは言い難かったです。
11月に出した「君の好きなうた」で、遂にタイアップなしで2位を記録。
あっという間に人気バンドに逆王手。
あとひと押しで、”紅白や大型フェスのヘッドライナーも夢ではない!”という時期に、TAKUYA∞さんが公務執行妨害で逮捕されてしまったのです。
TAKUYA∞が警察官の帽子をはたき落とし逮捕。友人との約束に間に合わず苛立ち
TAKUYA∞さんが事件を起こしたのは2006年12月11日の夜9時前です。
友人と会う約束をしていたTAKUYA∞さんは、JR大森駅前のバスレーン付近の侵入禁止エリアに車で侵入し、警察に違反切符を切られました。(この辺りの道路は分かりにくくて有名)
交番で交通反則告知書(交通反則切符)を作成してる巡査に対し、友人との約束があるTAKUYA∞さんは苛立ち。
警察官に「早くしろ」と悪態をつき、警官の制帽を振り払ってしまったのです。
その結果、警察官の制帽を振り払ったことで、TAKUYA∞さんは公務執行妨害で逮捕されたのです。
逮捕後にTAKUYA∞さんは、
「知人と待ち合わせしていて、いらいらしてやりました」
と、友人との約束の時間を気にして苛立ってしまったと、罪を認めました。
事件の4日後の12月15日にはメディアでTAKUYA∞さんの逮捕が報道され、所属のソニーミュージックは即コメントを出しました。
逮捕された2日後の12月13日には釈放されており、TAKUYA∞さんは深く反省してる様子とのことでした。
TAKUYA∞さんのコメントは↓
このたびは、私の起こした不祥事で、ファンのみなさんの応援してくださる気持ちを裏切る形となってしまったことを深くお詫びします。
今の私にできることは、一から自分を見つめなおし、もう一回ゼロからスタートすることだと思っています。
本当に申し訳ありませんでした。
と、素直な謝罪文面でありました。
2004年11月に上京したTAKUYA∞さんは、逮捕当時は東京に来て2年目でした。
東京で車に乗り始めて間もない時期で、慣れない道路のパターンに戸惑い、切符を切られただけでも相当にイラッとしたのが本音でしょう。
大森駅前は乗用車とタクシーとバスの通路が複雑で分かりにくいエリアで、警官への悪態を除けば同情の余地がある案件だったと思います。
令和になり大森駅前の道路のリニューアルが発表されると、地元民は喜びしたとか。
UVERworldは活動休止。TAKUYA∞は改めて謝罪し楽曲「凛句」で反省
2006年12付き15日にTAKUYA∞さんが公務執行妨害で逮捕されたことが報道されると、事務所からすぐに活動休止のアナウンス。
直近に発売予定だったセカンドアルバム『BUGRIGHT』は発売延期を余儀なくされました。
TAKUYA∞さんはファンクラブを通じて、改めてファンに対して謝罪コメントを発表しました。
ファンクラブの皆様
このたびは、私の不祥事によりご心配とご迷惑をおかけしまして誠に申し訳ございませんでした。
自分自身とても不安な状況の中、皆様からのメッセージや手紙に本当に救われました。
こんなにたくさんの方々に支えられて大好きな音楽を出来ていたことをサイド強く認識しいたしました。
本当にありがとうございます。
皆様へせめてものお詫びとして、活動を自粛している間に思ったことを曲にして皆様に聞いてもらいたいと思いました。
凛句という曲です。音源化される予定ではないですが、皆様に伝わればうれしいです。
気持ちを入れ替えて頑張って行きますので、今後ともUVERworldをよろしくお願いいたします。
TAKUYA∞
バンドに勢いが出始めた時期での逮捕、活動休止。
TAKUYA∞さん本人が一番悔しく、不安に怯えたことでしょう。
謝罪コメントの中で、謹慎中に感じた想いを「凛句」という曲に込めたとあります。
この曲はリリースする予定にない、TAKUYA∞さんの純粋な想いのみで作られた曲です。
「凛句」が収録されたディスクは2007年2月に復活ライブを行う際、会場で100枚限定で配り、その後もファンクラブでも配ったそうです。
非売品である「凛句」のディスクは、現在ではネットオークションなどで数万円から取引されています。
ちなみに「凛句」の歌詞は以下のようです。
傷つけたくないのに 今も心のど真ん中に
堅結びの絆があって 抱きしめてる
もう何も言われてもいい 君が望んでくれるならば
伝えたいと思う力を言葉に代えて今の現状を描き直すには
後何回 涙流して 痛みを知ればいい?
閉ざされた扉を探しに行こう1人でノタレ死ねるならそれで良かった、怖くなかった。
何よりも大切なこと分かってたはずなのに
悲しませて傷つけて僕は知った1人じゃないんだ
言葉にできないくらいのデカい愛を貰ってた傷つけたくないのに 今も心のど真ん中に
堅結びの絆があって 抱きしめてる
もう何も言われてもいい 君が望んでくれるならば
伝えたいと思う力を言葉に代えて
TAKUYA∞は出鼻を挫き遅咲き。年齢を重ね進化し40歳以降にピークを持ってくる
20歳でバンドを組み、24歳でメジャーデビューしたTAKUYA∞さん。
若手の頃からポテンシャルはありましたが、大物になる気配は全くなく、世間的には当時多くいた”イケメンボーカル+その他メンバー”という量産系の印象でした。
しかし、2006年の活動休止からの復活劇は凄まじく、20代のうちに東京ドーム成功、30代で音楽性を変えて男性ファンが激増。
40代には18年目にして日産スタジアム2daysを成功させるなど、異様な伸び率でピークを駆け抜けました。
年月 | 年齢 | 出来事 |
1979年12月21日 | 0歳 | 生誕 |
2000年6月6日 | 20歳 | 前身であるSOUND極ROAD(サウンドごくロード)を結成 |
2003年12月 | 22歳 | UVERworldに改名 |
2004年11月 | 23歳 | メジャー契約。上京。 |
2005年7月6日 | 24歳 | メジャーデビュー |
2006年12月15日 | 25歳 | 公務執行妨害で逮捕。活動休止。 |
2007年2月10日 | 26歳 | 活動再開 |
2008年11月19日 | 27歳 | 12thシングル『儚くも永久のカナシ』が初のオリコン1位獲得 |
2008年12月5日 | 27歳 | 初の武道館ライブを開催 |
2010年11月27日 | 29歳 | 初の東京ドームライブ開催 |
2011年 | 30歳 | 日課となるマラソンをスタート |
2014年3月26日 | 33歳 | マニピュレーター、サックスの誠果が加わり音楽性が進化 |
2015年8月2日 | 34歳 | 日本最大手のフェス「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 」に初出演にして大型ステージで4万人動員 |
2016年6月19日 | 36歳 | 結婚 |
2017年2月 | 37歳 | 第一子誕生 |
2017年2月 | 37歳 | さいたまスーパーアリーナで男祭りを開催。史上初の男性のみで23000人を動員。 |
2019年8月11日 | 38歳 | 「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」のメインステージに登場し史上最多の6万人を動員 |
2019年12月20日 | 38歳 | 東京ドームで男祭りを決行し、男性のみで45000人を動員。 |
2022年12月17日 | 41歳 | 個人ファンクラブ『TAKUYA∞の創り方』を開設 |
2023年7月29日〜30日 | 42歳 | 日産スタジアムで2デイズを実施。29日に約72000人を動員し、30日に男性のみで約70000人を動員。 |
活動再開後にオリコン1位、武道館、東京ドームライブを成功させスターダムに!
多くのバンドが消えるというデビュー2年目にUVERworldは活動休止という足踏みをしてしまいました。
この時点でTAKUYA∞さんは26歳と、このままではトップ前線に戻るのは絶望的だと思われていました。
しかし、2007年2月に復活を果たすと、同年に「endscape」「シャカビーチ」と名曲を続けて発表。
2008年には12thシングル『儚くも永久のカナシ』でオリコン初登場1位を記録。
2009年にバンド初の武道館ライブを実施。
武道館では1曲目に2006年の逮捕後の謹慎期間に作曲した「凛句」を歌唱し、感動的な恩返しを果たしました。
30歳を目前に控えた2010年には、20代最後にして東京ドームでのライブを成功。
気が付けば、活動休止からわずか4年でスターダムまで登り詰めていました。
30歳からマラソンを始め歌唱力アップ!UVERworldの音楽性の幅も広げ人気拡大
TAKUYA∞さんは30歳になった2011年頃から毎日欠かさずにマラソンをするようになりました。
”トップに立ちたい”という信念の元、お酒やタバコを辞めて、フロントマンとしてできる限りのコンディション作りに励みました。
2014年にはバンドにサックスを加え、同年のアルバム「0̸ CHOIR」と「TYCOON」ではこれまでと違ったアプローチと明らかに強化されたTAKUYA∞さんの歌唱力で、分かりやすく進化していきました。
音楽フェスにも積極的に出演するようになり、情熱的なMCセンスも磨き、さらに多くのファンを獲得。
20代の頃は女性ファンが中心でありましたが、これらの試みで男性の心を掴み、男性ファンが急増しました。
2017年には大箱である”さいたまスーパーアリーナ”にて男性限定ライブを決行し、音楽史上初となる男だけで23000人動員を記録。
2019年には東京ドームで男限定ライブを決行し、男45000人を集めました。
メンバーが40代を控えた時期にこの伸び率は異様で、音楽業界の常識を大きく覆しました。
40代以降がTAKUYA∞の真骨頂?年齢を重ねて若返り音楽も進化を続ける
TAKUYA∞さんは30代で音楽性を変え、日課にしたマラソンで歌唱力が強化され、磨いたMCで多くの男性のハートを掴みました。
40代に入って以降も、
・全く老けない(むしろ若返ってる)
・歌唱のレンジが広がっている
・ファンが増え続けている
と進化が続きました。
年齢を重ねても老けないどころか、なぜかTAKUYA∞さんが若返ってる現象はネットでも度々話題になっていました。
歌唱力も30代の頃よりも40代以降の方が高音などに艶が出ています。
アルバムのリリースや、ライブの頻度は変わりないものの、ファンクラブの入会者が毎年増え続けていて大変だそうです。
2023年7月29日から30日の日産スタジアムの2日間ライブでは、初日29日に男女合わせて72000人を動員。
そして、2日目の30日のライブは男性だけで70000人を動員するという快挙を成し遂げました。
20周年にして、20代30代の人気を超え、今がピークという超希少なバンドとなりました。









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