渡辺大知(黒猫チェルシー)の学歴と家族。父が火野正平説の理由

黒猫チェルシーのフロントマン・渡辺大知さんといえば、多才な才能が注目されています。

音楽だけでなく俳優や映画監督としても活躍されています。

なんでも出来てしまう渡辺大知さんですが、一体、どのような生い立ちなのでしょうか?

今日はマルチな才能が魅力の渡辺大知さんの生い立ちや経歴について書いてみたいと思います。

また、家族のことや、過去に俳優の火野正平さんの息子説があったことなどについても触れてみたいと思います。

渡辺大知の家族。”音楽好きの父”と”読書好きの母”と姉と弟。父が火野正平説はガセ!

渡辺大知さんは兵庫県神戸市生まれです。

4歳の頃に東日本大震災を経験しており、渡辺さんの幼少期の記憶は、主に震災の頃から始まっているそうです。

家族構成は両親に姉、弟がおり、渡辺大知さんと合わせて5人家族です。

長女(姉)
長男(渡辺大知)
次男(弟)

父は音楽好きで実家にはギターやバイオリン、アコーディオン、ピアノなどのたくさんの楽器があり、幼少期から音楽や楽器に親しんでいました

母は幼少期から絵本などの読み聞かせを献身的にしてくれており、そのお陰で一部の作品がいまだに母の声で回想できるそうです。

母の影響で本が好きになり、各方面のインタビューで好きな作家や小説作品について饒舌になるなどほどです。

姉は渡辺大知さんが大学の卒業制作として制作した映画「モーターズ」のモデルになった女性で、映画の内容からもしっかり者の素敵な女性であることが伺え、弟(大知)がモデルに抜擢したくなるほどの魅力のある方だと想像できます。

弟が一番の仲良しで、子供の頃はほとんど弟と遊んでいたそうです。

ビートルズの楽曲を弟と一緒によく聴いていたということで、弟も大知さんと同じく音楽好きであることが想像できます。

名前 渡辺大知
生年月日 1990年8月8日
出身地 兵庫県神戸市
血液型 O型
身長 179センチ
出身小学校 神戸市立唐櫃小学校
出身中学 神戸市立唐櫃中学校
出身高校 兵庫県立鈴蘭台高校
出身大学 東京造形大学 造形学部デザイン学科

渡辺大知の子供時代。音楽やSMAP、読書好きで自ら短編小説を書く

本人によれば「神戸市の山奥」の唐櫃台(からとだい)という街で育っており、出身小学校は神戸市北区にある唐櫃(からと)小学校です。

子供の頃から活発だった反面、母親の影響で読書も大好きでした。

渡辺大知さんは田島征三の絵本作品が好きなことを公言していますが、「ちからたろう」を初めて読んでもらったのは5歳の時だったそうです。

母から宮沢賢治なども読み聞かせてもらっており、子供にして相当な読解力を身に付けていたことが伺えます。

「外で虫をとるか、家で本を読むか、そんな小学生でした。絵本作家とか、とにかくお話を作る人になりたくて、小さい頃から物語を書いていました」

シャーロックホームズの小説が好きだったことから、「日本シャーロックホームズ・クラブ」にも入会し、子供ながら自ら短編小説を書くこともあったそうです。

現在の渡辺さんの多彩さは、子供の頃から培われていたということですね!

ちなみにポピュラーミュージックにもしっかりと興味を示し、SMAPのファンクラブに入り親にジャニーズに入りたいと訴えて怒られたという逸話もあります。

キラキラしたスターに憧れていたという点では、普通の子供と一緒だったということですね。

火野正平が渡辺大知の父親という噂が出た理由は隠し子説?

一時期、渡辺大知さんの父親が俳優で歌手の火野正平さんだという噂が出たことがあります。

名前 火野正平(しょうへい)
生年月日 1949年5月30日
没日 2024年11月14日
出身地 東京都目黒区
職業 俳優。歌手。

このことは渡辺さん本人も気にしており、あるテレビ番組に出演した際もネタにしていました。

噂が出た原因は、火野さんが過去に遊び人で11股などして”世間が知らない隠し子がいる”という都市伝説が関係しているようです。

ただ出身や年齢的にも渡辺大知さんが息子と結びつける根拠がなく、なぜ渡辺さんが子供だと思われたのかは不明です。

ちなみに俳優の濱田岳(はまだ がく)さんも火野正平さんの息子だと言われていた時期があります。

濱田岳さんに関しては火野さんの若い頃に激似ということで、そんな噂が出てしまうのも仕方ないです。

もちろん、濱田岳さんも火野さんの息子ではありません

濱田岳さんも火野さんもお互いに似ていることを自覚して意識していたようで、2019年に「釣りバカ日誌 新米社員 浜崎伝助」で共演した際に火野さんは、

「やっとホントの息子と同じお仕事が出来ました。ここまで隠してきたけど、光栄です」

と冗談で答えていました。

中学で音楽を始め高校で黒猫チェルシーのメンバーに出会い俳優としても活躍

渡辺大知さんは地元神戸市内の公立校の唐櫃(からと)中学校に進学します。

中学時代は卓球部に所属し、県大会2位になるなど大活躍でした。

中学2年生の時の音楽の授業でギターを演奏したことがきっかけで、父親のギター借りて弾くようになり、ロックに目覚めていきます。

やがて、自分が子供の頃に書いていた短編小説のストーリーと音楽をリンクさせたいと思い始め、作詞作曲もスタートさせます。

「それまで自分が書いていたお話をメロディに乗せられたらいいなぁと。そこから一人で作詞作曲みたいなことをはじめました」

中学3年になると、”憂歌団”のライブ映像を見て自分が音楽でやりたい表現が見つかったそうです。

※憂歌団(ゆうかだん)とは、70年代に木村充揮さんと内田勘太郎さんと中心に結成されたブルース&フォークのバンドで、木村さんのクセのあるダミ声とユーモラスが魅力で、お客さんとの距離が近いライブが特徴的なバンドです。

憂歌団というブルースバンドのライブ映像でした。それまでは好きな先輩のこととか、ラブソングばっかり作っていたんですけど、憂歌団のライブを見て『僕もこういうのがやりたい!』って。そのことを近所の散髪屋のおっちゃんに話したら、店の奥から大量のブルースのCDを出してきてくれて。エルモア・ジェイムス、B.B.キング、ビッグ・ジョー・ターナーとか。でも、そういう音楽を聴いている友達は学校にはいなかったので、しばらくは一人で聴いてましたね」

しかし、当時の渡辺さんの周りには、そのセンスに追いつける音楽仲間がおらず、自分の中だけで楽しむしかなかったそうです。

高校で澤竜次で岡本啓佑に出会い黒猫チェルシーを結成。俳優としてもデビュー

中学を卒業した後は県立の共学校の神戸鈴蘭台高校に進学。

高校で「黒猫チェルシー」のメンバーとなる澤竜次さんや岡本啓佑さんと出会います。

2人との出会いは入学したばかりの時期で、渡辺さんが楽器にいるところを目撃され、翌日に向こうから話しかけてきたそうです。

「入学式のあと、一人で楽器屋に行ったんですよ。そうしたら次の日『昨日楽器屋で見たで』と話しかけられて。それが今やっているバンド『黒猫チェルシー』のメンバーです。それで話を聞いたら、中学生のころからバンドをやっていて、もうライブハウスにも出ていると。まさかこんな近いところにそんなやつがいるのか、っていうのはものすごい衝撃でした」

入学当初の渡辺さんはバンドを組んでライブを行うことに興味があり、それをすでに中学生の時点でやっている人が高校の同級生にいたということで、2人との出会いは衝撃的だったそうです。

渡辺さんは高校1年の夏に澤さんと岡本ともにギター部に入部。

澤さんは渡辺さんが初めて組んだバンドで堂々と歌っている姿を見て「一緒にやりたい!」と思ったそう。

そして、高校1年生の終わりの頃には共に「黒猫チェルシー」を結成。

結成した当時を振り返って渡辺さんは、

「バンドを組むのは自分の中では大事件で、革命が起こったようでした」

とインタビューで話しています。

高校時代は神戸市内のライブハウス「神戸マージービート」や「バックビート」でライブを行い、当時にして固定ファンが付くぐらいの腕前はあったようです。

高校3年生の時にはライブハウスの推薦で、バンドは音楽番組「音燃え」に出演しています。

また、高校3年生の末に2000人のオーディションを勝ち抜いて、映画「色即ぜねれいしょん」の主役に抜擢されています。

演技未経験だったということで、撮影はかなり過酷で必死だったそうです。

ちなみに映画のヒロインは臼田あさ美さん、そしてブレイク前の安藤サクラさんも出演していたということで、現在でもサブスクなどでそれなりに再生されています。

渡辺大知の大学時代。東京造形大学の造形学部デザイン学科を卒業

渡辺大知さんは高校卒業後は、東京造形大学に進学。

学科試験の厳しくない大学ですが、両親が進学に反対されたことから1位で入学することを目指して、受験生時代は1日15時間も勉強したそうです。

大学ではデザイン学科の映画を専攻しました。

大学1年生だった2009年8月に高校3年生の頃に撮影を終えていた主演映画「色即ぜねれいしょん」が公開。

演技未経験だったにも関わらず、その演技が評価されて、日本アカデミー賞新人賞を受賞。

さらに大学1年の頃は俳優業だけでなく黒猫チェルシーがファーストシングル「アナグラ」でメジャーデビューを果たします。

大学時代のうちにNHKの朝ドラ「カーネーション」と「まれ」に2年連続で起用されるなど、音楽も廃俳優業も順風満帆でした。

仕事で忙しくても大学をしっかりと卒業

渡辺大知さんが素晴らしいのは、俳優業とバンドで売れて忙しかったにも関わらず卒業したことです。

入学する前の勉強も誰よりも頑張っていた背景からも、いかに渡辺さんがストイックで努力家かが分かります。

長らく黒猫チェルシーでのバンド活動と俳優業の二足の草鞋を履いて頑張っていましたが、2018年6月にバンドは活動休止。

しかし、休止になった分、俳優の仕事もさらにボリュームアップし、映画監督としても成果を重ねています。

2024年にはバンド名を「黒猫CHELSEA」に改めて渡辺さんと澤さんの2人体制での活動を再開させるということでとても楽しみです!

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