矢沢永吉さんといえば大ヒットした著書「成り上がり」に記した18歳での上京後のストーリーが伝説として語り継がれています。
18歳以前の地元・広島での生い立ちに関しても壮絶であり、多くのファンに衝撃を与えました。
矢沢永吉さんは幼少期から少年時代の苦い思い出などを赤裸々に公開されていますが、その一方でネット上で長年”ある噂”が流されていました。
それは、矢沢さんの出生に纏わる噂で、直近までに信じてる方が多くいました。
今日は矢沢永吉さんの出生や家族、又は国籍に纏わる噂などについて整理してみたいと思います。
矢沢永吉の出生地と悲惨で複雑な幼少・少年期
矢沢永吉さんは1949年9月14日に広島県広島市南区仁保に生まれました。
家族構成は父親と母親と本人の3人家族です。

矢沢さんは兄弟のいない”ひとりっ子”でしたが、父は前妻の間に生まれた息子と娘を妻と共に原爆で亡くしており、一応は義兄弟がいたということになります。
元々、父親は自転車屋を営んでいましたが、原爆でお店を無くし、父自身も後遺症を患い矢沢さんが小学2年生の頃に亡くなりました。

母親も矢沢さんが3歳の頃に酒に溺れる父に嫌気が差し蒸発(20年後に再会)しており、小学生にして父母のいない環境で育ちました。
| 名前 | 矢沢永吉 |
| 生年月日 | 1949年9月14日 |
| 出生地 | 広島県広島市 |
| 血液型 | B型 |
| 身長 | 176センチ |
| 出身小学校 | 広島市立大芝小学校 |
| 出身中学 | 広島市立中広中学校 |
| 出身高校 | 広島電機大学付属高校(現:広島国際学院高校)→市立広島工業高校の定時制 |
少年時代は親戚の家をたらい回しにされる
矢沢永吉さんが卒業した小学校は大芝小ですが、親戚の家をたらい回しにされた為、小学校は何回も転校しています。
最終的に父方の祖母の元に落ち着きましたが、祖母は生活保護を受けている身でお金がなく、極貧の少年時代を過ごしました。
いつも空腹でお腹を空かし、遊ぶ物もなく祖母に「つまらない」と毎日のように言っていたそう。
教科書代などは免除されるも、小学校の月謝は滞納し、遠足も新聞紙で作ったバッグで行くなど辛い少年期を過ごしました。
野球に興味を持ち始めたいと思うも、グルーブを買うお金がなかったことから諦めてしまいます。
6年生になる頃には新聞配達のバイトを始め、祖母を助けました。

この頃に矢沢さんは将来は絶対にお金持ちになると心に決めたそうです。
新聞配達は中学生になった後も続け、学校では不良とつるむようになります。
中学2年の頃にビートルズを聴きロックに目覚め、エレキを買った友人の家に入り浸ったり、学校をサボってエレキコンサートを観に行ったりします。
ヤンチャになった一方で、近所の妊婦が「ナマコを食べたい」というと海まで行って取りに行ったり、中学3年の頃には好きな女の子と文通をしたり、ロマンチストで優しい一面もあったそうです。

好きな女の子がいたことで勉強に励み、広島電機大学付属高校(現:広島国際学院高校)に進学。

高校時代から仕事と音楽の練習に励み、途中で市立広島工業高校の定時制に転校。
定時制高校ではしっかりと単位を取って無事に卒業し、卒業と同時に地元を抜け出しました。
矢沢永吉に韓国籍説が出た理由。官報に帰化情報が掲載され本名「趙永吉(チョ ヨンギル)」、通り名「巴山永吉」と記載
かつてネット上では矢沢永吉さんに対して、”韓国籍”の噂が出回っていました。
噂の発端は、何者かが偽造した官報の写真です。

こちらの官報の情報によると、昭和53年(1978年)6月8日の29歳の頃、矢沢永吉さんが帰化して日本国籍を取得したということになります。

また、それまでの矢沢さんの本名は「趙永吉(チョ ヨンギル)」で、通り名は「巴山永吉」だったということになります。
しかし、矢沢永吉さんは学生の頃に取得した免許類を公開したことがあり、10代の頃から本名が「矢沢永吉」であることが証明されています。

※東京・赤坂にあるショップ「DIAMOND MOON」ではバイクの免許やパスポートが公開されていました
熱心なファンであれば、”1978年の29歳の頃に帰化した”など、ガセネタであることは一発でわかります。
今では趣味の悪い悪戯だったと理解されていますが、一部では未だに都市伝説のように語り継がれています。
韓国籍を信じる人がいる理由。広島の出身エリア付近にコリアンタウン
明らかにガセネタである矢沢永吉さんの韓国籍説。
今でも時より都市伝説のように語られることがあり、信じている人もいます。
信じてる人は何をアテに信用しているのでしょうか?
矢沢さんと関係で韓国と関係ありそうな部分を整理すると、
- 生まれ育った広島市南区仁保は戦後に多くの韓国人が移住し、実家の近くにもコリアタウンがあった。
- キャロル時代のギター”ジョニー小倉”は在日で有名だった(人違いされてる?)
- 下積み時代に横浜の中華料理で住み込みで働き、代表曲にも「チャイナタウン」がある。(中国と韓国のイメージが混在?)
といったところです。
唯一、それらしい結び付きは広島市南区仁保にある実家付近にコリアンタウンがあるという点です。
「もしや矢沢さんの父も韓国人?」と思いがちですが、矢沢さんの父は韓国人が移住し始めるより前に最初の結婚をし、戦争によって妻子を失っています。
「じゃあ、母親が韓国人?」と考えても、合点がいきません。
母親は失踪した20年後に再会し、その頃には再婚し裕福になっており新婚だった矢沢夫婦に最新家電一式と矢沢さんに変わって結婚指輪を奥さんに買ってあげてました。
韓国では古くから夫が家、嫁が家具家電を用意する文化があり、韓国人の姑が家具家電を買い揃えるということに違和感があります。

また、韓国では姑が毎日自宅に来たり、毎晩のように安否確認の電話をする習慣がありますが、矢沢さんと母は再会後もたまに文通をする程度でした。
矢沢さんが母が亡くなったのを知ったのは数ヶ月後だったり、韓国の親子でこの距離感は考えにくいです。
病死する直前に感謝の書き置きと積み立てた50万を残すなど、行動が”THE 日本のお母さん”で、とても韓国人女性とは思えません。
どの角度から見ても、矢沢永吉さんの韓国籍説は無理があるとしか言いようがないです。












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