矢沢永吉さんといえば、若い頃に多くの女性と噂になり結婚も2度しています。
しかし、不思議と女性を傷つけているイメージはなく、むしろ誠実なロックスターとして愛され続けています。
最初の嫁・”すみ子”さんとの下積み時代は堂々と語り継がれています。
なぜ、離婚相手がキャリアの中で象徴的な存在の1人になっているのか。
今日は、初婚相手”すみ子”さんの出会いと結婚生活、離婚後までについて整理してみたいと思います。
矢沢永吉と初婚相手・すみ子の馴れ初めはディスコ。川崎で同棲し下積みを支えた
1968年、矢沢永吉さんは音楽で成功する夢を持って高校卒業と同時に18歳で広島から神奈川県横浜市に移住。

横浜に移住後「ヤマト」というバンドを結成し、肉体労働のバイトをしながらディスコ「グルッペ」などでパフォーマンスをしながら夢を追っていました。
1972年、前妻のすみ子さんが、「グルッペ」を訪れます。
矢沢永吉さんはすみ子さんを見つけると一目惚れ。

出会った当初の心境を、
「ディスコに来たマブイ女 それが女房だった
結婚前提でつきあってくれ 出会ったその夜に言った 同棲が始まった」
と綴っています。
すみ子さんと出会ったその日に結婚まで意識し、必死に口説いたというから驚きです。
矢沢永吉は川崎で”すみ子”と同棲し結婚
2人が出会った当初、矢沢さんは23歳で、すみ子さんは20歳、歳の差は3歳でした。
1972年に出会ってすぐに川崎のアパートで同棲生活がスタートし、同年の内に入籍となりました。
当時、すみ子さんは銀行員の仕事をしていましたが、仕事を辞めて矢沢さんを支えました。
矢沢さんが初めて奥さんから頂いたプレゼントは服と靴だったそうで、矢沢さんの身なりなども気使ってくれたそう。
結婚当初は全くお金がなく、挙式はもちろん、旅行もなし、結婚指輪は矢沢さんの母が買ってあげたそうです。
結婚同年の1972年にキャロルが結成。
キャロルが大きなライブが決まった際は、その結婚指輪を質屋に入れて、衣装のジャケットとブーツを購入したというから驚きです。
子供が誕生。キャロルが人気になった後も家族優先
お金がない中でも、帰宅後に奥さんと一緒にどさんこラーメンが幸せだったと回想しています。
結婚してすぐに長男の栄一郎が誕生し、その後に1年か2年のペースで次男の寛十郎と長女の綾子さんが誕生。
「長男の栄一郎、次男の寛十郎の時も嬉しかった。
でも、娘って聞いた時、異常に嬉しかった。
何でだろう?娘抱いてさ、俺、いったよ。
『お前は今日から矢沢家の一員だ』って」
すみ子さんとの間に子供を3人授かり、キャロルも徐々に売れ始めました。

キャロルのメンバーらはお金が入ると、東京で家賃8万の物件に住み、毎日女を取っ替え引っ替えして深酒して遊んでいたそう。
その一方で妻子持ちの矢沢さんだけは川崎の家賃1万7千円のアパートに帰り、家族サービスに励んでいました。
側から見たら貧困層のような生活ですが、この頃は幸せとエネルギーに満ち溢れていたと語っています。
矢沢永吉が最愛の嫁・すみ子と離婚した理由。キャロル解散後の多忙なソロ活動と不倫
キャロル時代の矢沢永吉さんは小さなアパートに妻子と肩を寄せ合い幸せに暮らしていました。
結婚生活の歯車が狂い始めたのは1975年のキャロル解散です。

1975年にキャロルが解散すると、矢沢永吉さんはソロに転身。
ソロになった矢沢永吉さんは自身で創作する範囲が広がり、家族との時間が徐々に減ります。

1977年にはソロとしても売れっ子となり、ライブにレコーディングに大忙し、家族とのすれ違いが起きてしまいます。
矢沢さんは当時のすみ子さんに、
「朝8時に出勤して夕方6時に自宅に戻る男と結婚したかった」
「家に仕事をもちこまないで」
と言われたこともあったそう。
その一方で、ミリオンセラー、後楽園球場での単独公演、長者番付1位獲得と仕事は順調そのもの。

ソロデビューから数年で日本を代表するロックスターと変貌しました。
キャロル時代はどんなに忙しくても家族との時間があり、貧しくても幸せでしたが、ソロでブレイクした後はその真逆の状態となりました。
家族の時間が作れないだけでなく、やがては他所の女性と遊ぶようになり、夫婦仲は完全に破綻していきました。
矢沢永吉は現在の嫁・マリアとの不倫中に子供を授かる
1989年、矢沢永吉さんは初婚のすみ子さんと離婚。
離婚理由に関しては「愛が無くなったから」と仰っていました。
なんとも、矢沢さんは1977年頃にロサンゼルスで知り合った、モデルのマリア(今嫁)さんとの不倫関係となっていたのです。

1980年にはマリアさんとの不倫は週刊誌にもキャッチされていました。
なんと1985年にはマリアさんとの間に第一子の娘が誕生。
不倫相手との間に子供が生まれていながらも、すみ子さんとの籍は抜いていなかったのです。
1989年に離婚すると、すみ子さんに払った慰謝料はポルシェ3台分(3000万〜6000万)。
最愛の嫁と3人の子供を捨てての離婚劇に、当時は世間から大バッシングがありました。
矢沢さんは離婚した翌年の1990年にはマリアさんと早々に再婚。
現在までにマリアさんとの婚姻は続いており、マリアさんは矢沢さんのキャリアのピンチを支えるなどしています。
2度目の結婚では夫婦で支え合う良い関係を築けたようです。
矢沢永吉は離婚後も妻子(すみ子と3人の子供)と関係を持つ。2009年に死去した噂も
現在の嫁・マリアさんと再婚した矢沢永吉さんですが、初婚の嫁と子供たちとの関係を完全に断ち切りませんでした。
むしろ、離婚後もすみ子さんを矢沢さんの会社の役員に据えるなど、良い関係は続きました。
子供達にも自身の映像の仕事を振るなどしており、仕事を通じて付き合いは続きました。
矢沢さんは妻子を捨てたことに関しては無念な胸の内を明かしています。
「できれば、ぼくは何度も何度も戻りたいと思った。
いま振り返ったら、まだ川崎に住んでいたとき、 すごい人間らしさがあったねキャロルをつくる前に女房とふたりで アパートに住んでいてね。
どさんこラーメンに行くのが 唯一の楽しみで…それで浮島というところが川崎にあってね そこへ二人でボンゴに乗って夜景を見に行って帰ってくる。
その時に長男がお腹に入っていたね。あの時代…。
この前も女房と話してたんですけど、あの時代が結婚して 最高の時だったね。悲しい話だけど…。」
すみ子さんへの感謝と3人の子供達への愛情を度々口にしていました。
2009年にすみ子は58歳で他界?
ネット上では矢沢さんの元嫁であるすみ子さんが2009年に58歳で他界したという噂もあります。
矢沢さんの会社関係やクレジットにすみ子さんの名前が一切無くなったことが理由のようです。
現在までに矢沢永吉さんの口からは何も言及はなく、死去説はファンの間のみで囁かれています。
彼女はいなければキャロルの成功も、ソロとしてのブレイクもなかったと、今でもファンはすみ子さんへ敬意を示しています。












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