80年代を代表する芸能人カップルとも言われている中森明菜さんと近藤真彦さん。
当時、多くの日本人が2人の恋愛の行方を見守りました。
しかし、2人の関係性が崩れた後の中森明菜さんの衝撃の行動や、その後の風化わりな記者会見などにより、好奇の的となりました。
かつては結婚秒読みとまで言われた2人の恋仲が、どのようにして始まって終わったのかについて整理してみたいと思います。
中森明菜と近藤真彦の馴れ初めから交際・破局までの時系列
| 時期 | 出来事 | 詳細 |
|---|
| 1984年頃 | 出会い | テレビ番組や音楽番組で共演し、お互いトップアイドルとして親しくなった。 |
| 1985年 | 映画『愛・旅立ち』で共演 | 映画で恋人役を演じたことをきっかけに急接近、本格的な交際が始まった。 |
| 1985~1986年 | 真剣交際 | 双方の事務所も当初は交際を黙認。近藤は中森の実家を何度も訪れ、家族にも紹介されていた。 |
| 1986~1988年 | 結婚間近と報道 | 多くの週刊誌が「結婚秒読み」と報道。中森さん自身も「23歳くらいで結婚したい」と語っていた。 |
| 1988年頃 | すれ違いが増える | お互い超多忙となり、交際に陰りが見え始め、同時期に近藤と女優・松田聖子さんの親密な関係を報じる週刊誌も現れた。 |
| 1989年7月11日 | 中森明菜さんが自殺未遂 | 近藤の自宅マンションで左腕を切り、自殺未遂。近藤本人が119番通報し、一命を取り留める。 |
| 1989年7~12月 | 活動休止 | 中森は約半年間、公の場から姿を消す。近藤も交際についてほとんど語らず。 |
| 1989年12月31日 | 「金屏風会見」 | 東京・新高輪プリンスホテルで復帰会見が開催。会場に金屏風が設置されていたため報道陣は婚約発表と予想するも謝罪&破局発表という内容。 |
馴れ初めは映画「愛・旅立ち」での共演
80年代前半、中森明菜さんと近藤真彦さんはそれぞれアイドル全盛期。
当時、多くの音楽番組やバラエティー番組で共演を繰り返し、顔見知りの関係でありました。
年齢は中森明菜さんは近藤真彦さんよりも1歳年下でしたが、ほぼ同期という関係性でした。

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2人の仲を急接近させたのは1985年公開の映画『愛・旅立ち』での共演です。

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同映画で中森明菜さんと近藤真彦さんは恋人役として共演したことで、その後も私生活でも交友が始まり、やがて恋仲になったということです。
家族ぐるみの公認カップルで結婚秒読みとも言われていた
交際当時、中森明菜さんも近藤真彦さんも人気絶頂期で、「昭和最強のアイドルカップル」とも呼ばれました。
2人の交際は週刊誌でも報じられ、両ファンにも知られました。

双方の事務所も2人の交際を黙認するなど、公認カップルとなりました。
中森さんは近藤さんを家族に紹介し、近藤さんは中森家を何度も訪れるなど家族ぐるみの付き合い。
当時の週刊誌では”結婚秒読み”とまで言われていました。
中森明菜さんは”23歳頃に結婚したい”との発言をしていたことから、彼女が23歳になる1988年頃には入籍するのではないか?とファンをヒヤヒヤさせました。
破局理由。中森明菜が近藤真彦の港区の自宅で自殺未遂
順調だと思われた中森明菜さんと近藤真彦さんの交際ですが、憶測された1988年(中森明菜の23歳)までに結婚せず。
むしろ、その後に松田聖子さんとの不倫疑惑が浮上するなど波乱が起きます。

松田聖子さんは1985年に俳優の神田正輝さんと結婚し、1986年には第一子の娘(神田沙也加)が誕生しますが、早々に夫婦仲は破綻。
1989年2月、フライデーから松田聖子さんと近藤真彦さんがニューヨークで密会していたとの報道が出たのです。

なんとも、2人はニューヨークのホテルのラウンジで深夜にこっそり密会していたとのこと。
松田聖子さんは1989年6月に慌てて記者会見を開き、「古くからの友人でお茶をしていただけ」と近藤真彦さんとの不倫関係を否定します。
当時の松田聖子さんは近藤真彦さんの他にも、同時期に俳優・真田広之さんや現地で出会った英語講師との不倫も囁かれるなど荒れていました。
それだけに近藤真彦さんとの密会も、”絶対に何かあった”と、怪しい印象が強く残りました。
近藤真彦と松田聖子の密会釈明会見の翌月に中森明菜が自殺未遂
松田聖子さんが近藤真彦さんとの不倫を否定すると、その釈明会見の翌月に衝撃的な事件が起きます。
1989年7月11日、中森明菜さんが近藤真彦さんの自宅マンションで左腕を切る自殺未遂を起こしたのです。

近藤さんが帰宅して発見し、自ら119番通報しています。
手術により命は助かりましたが、この事件は芸能界に大きな衝撃を与えました。
当時、松田聖子さんの釈明が終わった後だったということで、近藤さんとの関係が原因であると見られました。
婚約発表と思われた「金屏風会見」はただの謝罪会見だった
1989年7月に自殺未遂騒動を起こした中森明菜さん。
その後、しばらくは表舞台から姿を消し、1989年12月31日に新高輪プリンスホテルで復帰会見を行うと発表しました。
報道陣が1989年12月31日新高輪プリンスホテルに集合すると、そこには金屏風が設置されていました。
金屏風は婚約発表などで使われることの多い装飾として知られます。
会見が始まる前からドラマティックな婚約発表とのシナリオが予想されました。
しかし、いざ会見が始まると、
- 中森明菜が涙ながらに謝罪する
- 近藤真彦が結婚を否定する
と、謝罪がメインという肩透かしな内容。

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会見での中森明菜さんはトレードマークの長い髪をばっさりと短く切り、終始「もうしわけない」と涙で崩れきった顔と悲壮感に溢れる印象でした。
設置された金屏風には何の意味があったのか?
誰が金屏風を用意したのか、会見をどのような意図で企画したのかについては関係者の証言が一致しておらず、現在でも定説はありません。
この会見は現在でも芸能史上屈指の「謎の金屏風会見」として語り継がれています。
中森明菜はしばらく表舞台から姿を消し近藤真彦とも破局
1989年の紅白歌合戦の裏で闇深い金屏風会見を行った中森明菜さん。
翌年から新曲を出してファンの前に再び姿を現すものかと思われました。
しかし、次に中森明菜さんが新曲を出したのは1990年7月となり、実に半年間は表舞台から消えました。
近藤真彦さんとの恋も続報はなく破局していることが発覚。
破局理由について本人たちは詳しく語っていませんが、
- 超多忙によるすれ違い
- 結婚への温度差
- 近藤さんの女性関係を巡る報道
- 双方を取り巻く事務所や芸能界の事情
などが原因であったと見られています。
中森明菜はその後も結婚せず
23歳での結婚を夢見ていた若き頃の中森明菜さん。
その年齢の頃には近藤真彦さんと交際関係にありましたが、婚約はせず。
むしろ翌年1989年には大騒動を起こしてしまい、近藤さんとも破局。
その後に良い男性に出会って幸せになるシナリオに期待されましたが、現在までに結婚はせず独身。
多くの同年代のアイドルが結婚して母親になっている中、全盛期に結婚秒読みと言われていた中森明菜さんが独身というのは、何ともキツい皮肉であります。




















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