ダイヤモンド☆ユカイさんは1980年代を代表するロックバンド「RED WARRIORS」のボーカルであり、俳優・タレントとしても幅広く活躍するマルチアーティスト。
近年では「トイストーリー」の「君はともだち」を歌ってる人のイメージ強いです。
ダイヤモンド☆ユカイさんは、私生活では2001年に三浦理恵子との離婚を経験した後、2009年に一般女性と再婚。
再婚後は男性不妊を公表し、夫婦で不妊治療に取り組んだ末に、長女と双子の男児という3人の子どもに恵まれています。
今日はダイヤモンド☆ユカイさんと現在の妻との出会いや馴れ初め、結婚に至るまでのエピソードをはじめ、不妊治療を乗り越えて授かった3人の子どもたちとの暮らしや、家族への思いについて詳しくご紹介します。
ダイヤモンドユカイと再婚相手。結婚した気持ちが芽生えた頃に出会う
ダイヤモンド☆ユカイさんは、2001年に三浦理恵子さんと離婚した後、約8年を経て2009年2月に一般女性と再婚しました。

再婚相手は一般女性のため、名前や職業などの詳しいプロフィールは公表されていませんが、年下であることや、しっかり者であることは判明しています。※妊娠できなかった際に”妻の年齢かも”と疑ったので当時にしてアラフォー以上だと思われます。
現在の妻との具体的な出会いの場所や交際の経緯は明かされていませんが、元嫁・三浦さんとはホームパーティで出会うなど社交的な一面があるため、想像もできない”意外な場所”で出会っていると思われます。
後のインタビューでは「家庭を持ちたい」という思いが強くなっていた時期に出会った女性だったことを明かしており、出会った頃から真剣な気持ちで向き合っていたことが伺えます。
結婚発表で語った「タンポポ」のエピソード
2009年2月に結婚を発表した際、ユカイさんはブログで妻を次のように表現しました。
「子供の頃、田舎道で見つけた野に咲く一輪のタンポポのような女性」
さらに、
「この人を守っていきたい」
という思いから結婚を決意したことを報告しています。
後述しますが、結婚後早々から夫婦でお互いを支え合い、独特な夫婦の形を作り、しっかりと幸せ者になっており、まさに有言実行でした。
ダイヤモンドユカイは不妊治療の末に3人の子供が誕生
ダイヤモンドユカイさんは初婚の三浦さんとの間には子供は授からず、現在の妻との間には3人も子供が誕生しています。
| 続柄 | 名前 | 誕生時期 |
|---|---|---|
| 長女 | 新菜(にいな) | 2010年2月 |
| 長男 | 頼音(らいおん) | 2011年11月1日 |
| 次男 | 匠音(しょうおん) | 2011年11月1日 |
ユカイさんは結婚後、夫婦は子どもを望むもなかなか妊娠せず。
当初は「妻の年齢が原因かもしれない」と夫婦で病院で受診すると、ユカイさん自身が男性不妊であることが判明。
ユカイさんは当時を振り返り、
「まさか自分が原因だとは思ってもみなかった」
という趣旨の発言、初婚で三浦さんが妊娠しなかった原因まで発覚しました。
夫婦は二人三脚で不妊治療を続け、2010年2月には長女の「新芽(にいな)」さんが誕生。
47歳にして、ようやく父親になることができたのです。

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さらに翌年の2011年11月には双子の男児「頼音(らいおん)」と「匠音(ショーン)」が誕生しました。
※「頼音」二卵性双生児の兄。体重2,610gで誕生。名前は「源頼朝」の「頼」と、音楽への思いを込めた「音」を組み合わせて命名された。
※「匠音」二卵性双生児の弟。体重2,356gで誕生。名前はジョン・レノンの息子「ショーン」の響きにちなみ、「匠」と「音」の字を組み合わせて命名された。
この不妊治療の経験は著書『タネナシ。』にもまとめられ、男性不妊への理解を広めるきっかけにもなりました。
子供達を自然の中で育てたい為に都内から栃木県に移住
ユカイさんは第一子が誕生した2010年同年の3月に一家で栃木県佐野市に移住。
移住した理由は「子どもを自然豊かな環境で育てたい」と考えたためです。
佐野市の地元紙のインタビューでは、
「結婚して、娘を授かったのがきっかけですね。それまでは都会の喧騒の中で生活していたけれど、『子どもとは、青空の広い、アットホームなところに住みたい』と思った」
と答えています。
ちなみに何故、栃木県なのかというと、以前に移住先を探して各地を見て回る中で、偶然訪れた佐野市の土地に強く惹かれたことが理由。
その他にも佐野市は高速道路を利用すれば東京へのアクセスが良く、または田舎でありながらも子育て世代に優しく、医療機関が充実、商業施設も整っていたことなども理由としてあるそうです。
2011年には「佐野ブランド大使」に就任。
現在は「とちぎ未来大使」としても活動し、ラジオ番組などを通じて栃木県の魅力を発信しています。
娘・新菜の五輪出場の夢のために夫婦で2拠点生活
男性不妊治療の末に2010年2月に誕生した長女の芽菜さん。
芽菜さんは現在、「アーティスティックスイミング」という音楽に合わせて水中で踊りながら、技の完成度を競う競技の選手として活躍しています。

小学2年で競技に打ち込み、ジュニアの全国大会に上位入賞。
小学校5年生の頃には、
「私には夢があります。オリンピック選手になりたい。井村雅代先生に教わりたいので大阪へ行きたい」
とユカイさん夫婦に打ち明け、家族で夢を応援することになります。
長女・芽菜さんが大阪にある井村アーティスティックスイミングクラブに通うために、夫婦で2拠点の生活をすることに決めます。
妻と娘は大阪、ユカイと双子の息子らは栃木。不仲の「別居」ではない
芽菜さんがアーティスティックスイミングで五輪出場を目指すことになり、夫婦で2軒も家を持つことになります。

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2021年頃から妻は長女とともに大阪で生活し、ユカイさんは双子の息子たちと栃木県で暮らす二拠点生活を送ることに。
2025年5月にはブログで大阪に住む妻が「20年ローン。大阪に中古の家買ったで」と報告して話題になりました。
引っ越し当時、ユカイさんが荷物運搬のことを心配すると、奥さんに「全て1人でやるので、大阪の事は気にしないで下さい」と言われたそう。
一時は「別居」と報じられましたが、これは夫婦関係の悪化ではなく、あくまで長女の競技生活を支えるための選択。
日頃からリモートで連絡を取り合い、お互いを支え合う関係を続けているそうです。
ユカイさんはこの生活を「別居ポップコーン」とユーモラスに表現し、「以前より夫婦仲が良くなった」と前向きに語っています。
ちなみに奥さんがユカイさんと息子の住む栃木に来て大阪に帰る際は、いつも同じうどん屋に立ち寄り、食後は店前でテイクアウトのコーヒーを飲むというルーティンがあるそう。
ダイヤモンドユカイさんは妻とのそんなやり取りに「幸せだなぁ」と投稿しており、現在でも変わらずに奥さんとの時間を大切にしてることが伺えます。
まとめ
- ダイヤモンド☆ユカイは、2009年に一般女性と再婚し、新たな家庭を築く。
- 現在の妻との詳しい馴れ初めは公表されていないものの、お互いを支え合う関係を育み、結婚後は夫婦で男性不妊という大きな壁にも向き合ってきた。
- 治療を乗り越えた末に長女と双子の男児を授かり、現在は3人の子どもの父親として子育てに奮闘中。
- 長女の競技活動を支えるため家族が二拠点生活を送るなど、一般的な家庭とは異なる生活スタイルを選びながらも、家族の絆を大切にしている。
- 不妊治療の経験を積極的に発信し、子育てにも真摯に向き合うダイヤモンド☆ユカイの姿は、多くの人に勇気や共感を与えている。
















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