2010年代からワールドツアーを行うなど、世界中にファンを抱えるきゃりーぱみゅぱみゅさん。
独特な髪型と衣装で、当時は若者の間でもカリスマ性ある存在でした。
そんなきゃりーぱみゅぱみゅさんは、実はデビューする前までは普通の女子高生モデルでした。
今日はきゃりーぱみゅぱみゅさんの学生時代から全盛期までについて整理してみたいと思います。
また、学生時代に披露したすっぴんと、歌手としてブレイクした全盛期の頃のすっぴんについても書いてみたいと思います。
きゃりーぱみゅぱみゅの学生時代。モデルとして活躍しニコ生も?
きゃりーぱみゅぱみゅさんの本名は竹村桐子(たけむら きりこ)で、芸名は「きりこ」から由来しています。
東京都出身で、イメージ通りの都会育ちです。
幼少期からバレエを習い、子供時代はバレエに打ち込んだそうです。
兄弟はおらず、一人っ子として育ち、高校生になるまでは母親に厳しく躾けられて育ちました。
芸名 | きゃりーぱみゅぱみゅ |
本名 | 竹村桐子(たけむら きりこ) |
生年月日 | 1993年1月29日 |
出身地 | 東京都西東京市 |
血液型 | B型 |
身長 | 158㎝ |
出身小学校 | 公立上向台小学校 |
出身中学校 | 公立田無第一中学校 |
出身高校 | 私立立川女子高校 |
きゃりーぱみゅぱみゅの学生時代とモデル時代
きゃりーぱみゅぱみゅさんは西東京市内の公立校の田無第一中学校出身です。
中学時代は陸上部に所属し、短距離走を担当していました。
本人は「中学生の頃は、陸上部。100m走の種目で、外をよく走っていたから、色は真っ黒でしたね」と、当時は普通のスポーツ少女だったことを振り返っています。
中学時代に池袋でスカウトされ、1年間だけ芸能活動。
活動内容はDVDを1枚リリースした他、目立った活動はありません。
現在でもジュニアアイドル時代のことは言及も少なく、”黒歴史なのでは?”と言われています。
当時はファッションなどに興味がなかったそうですが、卒業する間際にはショートヘアになり、メイクも上手になった印象です。
卒業アルバムの撮影をした頃には、歌手になった後の面影がわかるほど洗練されていて可愛いです。
高校は「制服が可愛かった」との理由で私立の女子校・立川女子高校に進学。
高校生になるとファッションに目覚め、常にウィッグを付けて登校し、友人から「きゃりー」と呼ばれ、後に「きゃりーぱみゅぱみゅ」という芸名に採用しました。
高校1年の頃から読者モデルとして活躍し、2009年頃には「KERA」や「Zipper」などで専属モデルとして活躍されました。
高校時代はニコ生でも生配信を行うなど、トレンドに沿った活動をして名前を売りました。
モデル業を行う側、高校3年間を「バーミヤン」でバイトしており、接客センスは良かったものの、髪型を店長に指摘されることが多かったようです。
「接客はいけたんですけど、そのときから身なりのルールがなかなか守れなくて。中華の制服だったから、こういう髪型(頭の両サイドをお団子ヘア)にして、いつも行ってたんですよ。だけどバーミヤンは後ろでお団子にしてネットをかぶせて。衛生面的にしなくちゃいけなくて、いつも店長に怒られてたんです。『その髪型やめろ』って」
今だったら完全にアウトですが、当時のバーミヤンは緩かったようです。
ちなみに自由に見える高校時代ですが、実際は母親が厳しく、門限は19時で、携帯も20時〜7時まで使用禁止と、きゃりーさんは夜の9時に寝て、朝の4時に起きるように工夫していたそうです。
ただ、趣味であるディズニーランドに行く時だけは自由にさせてもらえたそうです。
「ディズニーランドはすごく好きですし、エンターテインメントの頂点だと思っていて。私の母親がすごく厳しくて、学生の頃の門限も普段は19時までだったんですね。でも、ディズニーランドに行くときは特別で、閉園の22時までいていいし、その日はお小遣いもくれたんですよ。それが自分にとっては飴と鞭状態で、普段厳しい分、めちゃくちゃ楽しかったという思い出が強く残っていて。」
きゃりーぱみゅぱみゅさんは緩急自在な世界と裏腹に礼儀正しいと好評ですが、これも母親の生活習慣の教育と自由の飴と鞭のメリハリの恩恵なのかもしれません。
きゃりーぱみゅぱみゅの若い頃(全盛期)とすっぴん
ファッションに目覚めた高校時代は、卒業後に服飾系の専門学校に進学して、デザイナーを目指そうとも思っていたみたいです。
また、お笑いが大好きで芸人を目指そうとも考えたそう。
しかし、ファッション誌「KERA」の専属モデルに起用されていた頃、イベントでDJとして出演していた際、音楽プロデューサーの中田ヤスタカさんに見出されます。
「何が自分の強みなのかを考えた時に、私は原宿の文化が好きだったり、ちょっとしたグロテスクなものや衝撃的なものがすごく好きだったので、ただ可愛いだけじゃなく、賛否両論あるような、ちょっと毒々しいものをやってみたいなって。そもそも、世間にこんなに受け入れられるとは思ってなかったんです(笑)」
きゃりーさんは歌手としてデビューするために、音楽のレッスンにも励ようになりました。
そして、高校3年生だった2010年にインディーズから「きゃりー」名義で、「ミラクルオレンジ」をリリースして歌手デビュー。
高校の卒業アルバムをSNSにアップしたことがありますが、すでにデビュー済みというだけあって現役高校生とは思えないほどに華やかです。
きゃりーさんはデビューした当時から、その後に全盛期までに印象がちょっとずつ変わっています。
↓高三でインディーズデビューした2010年。
あえて当時、流行っていたプリクラをジャケットに使っています。
↓「PONPONPON」でメジャーデビューし、若者を中心に広く認知された2011年。
衣装は今の世界観と変わらないですが、メイクや顔の雰囲気は学生時代の面影が残ります。
2012年はCDシングル「つけまつける」をリリースし、邦楽アーテイスト史上最多の73ヵ国に配信され世界的なヒットを記録。
ビジュアルもパワーアップし、まるでお人形のようです。
同年には紅白歌合戦にも出演し、この頃からきゃりーぱみゅぱみゅの全盛期が始まったとされます。
2013年には早くもワールドツアーを開始。
この頃のきゃりーぱみゅぱみゅはヘアメイクも衣装も、アイディアが無限に広がっており、見てるだけでワクワクできるミュージシャンでした。
インディーズデビューした2009年から追ってみると、まるでカメレオンのようにイメチェンを繰り返してきたことがわかります。
きゃりーさんが出始めた2000年代後半は派手なメイクや装飾が激しい衣装が流行っていたので、その中で個性を出したのはすごいことでした。
きゃりーぱみゅぱみゅの高校生時代と全盛期のすっぴん比較
音楽のために合わせたヘアメイクや衣装が、後の圧倒的なカリスマ性に繋がったと考えると、やはり関わった人達の総合芸術だったと思います。
濃いメイクが代名詞だったきゃりーぱみゅぱみゅさんですが、SNSなどですっぴんを公開したことがありました。
↓20代の全盛期の頃に公開したすっぴん写真です。
酔っ払った際に撮影して投稿した写真でしたが、小顔で子供っぽくて可愛いと好評でした。
↓高校生モデルだった頃にも、雑誌ですっぴんを披露したことがあります。
20代の頃と比べると、確かに微妙に印象が違います。
しかし、髪型や顔の角度などを考慮すると、顔のベース自体はあまり変わっていないようです。