
WANIMAのボーカルを務めるKENTAさん。
明るくて活発な印象のあるKENTAさんですが、実は育ちはかなり訳ありです。
バンドではギターのKO-SHINさんと4歳からの幼馴染として面白話をすることが多いですが、バックストーリーが過酷で「どんな生い立ちなの?」と気になります。
今日は、KENTAさんの複雑な家庭環境や生い立ちなどについて書いてみたいと思います。
KENTAの生い立ち。4歳でKO-SHINと出会うも貧しく複雑な家庭に育つ?
KENTAさんの本名は「松本健太」で、熊本県天草市出身です。
家族構成は両親と5歳年上の姉の4人家族です。
幼少期から姉の影響でレゲエやHIPHOPを聞いて育ち、4歳の頃には現在のWANIMAのメンバーで幼馴染のKO-SHINさんと出会い、彼の影響でパンクロックも聴くようになりました。
KO-SHINさんとの幼少期のエピソードは過去にSNSに投稿しており、畑のスイカを抜いて遊んでたら怒られて海に投げ込まれた、かくれんぼでKO-SHINさんが自宅に帰って日が暮れるまで探したなど、驚愕のエピソードは尽きません。
家庭は貧しく、幼少期からKO-SHINさんと魚を釣って市場で売って餓えを凌いでたそうです。
小学校から高校まで地元で、出身校も全て”立倉岳”です。
子供の頃から運動神経が良く、体育の時間や運動会では大活躍しました。
名前 | KENTA |
本名 | 松本健太 |
生年月日 | 1988年4月13日 |
出身地 | 熊本県天草市 |
身長 | 170センチ |
血液型 | O型 |
出身小学校 | 熊本県天草市立倉岳小学校 |
出身中学 | 熊本県天倉市立倉岳中学校 |
出身高校 | 熊本県立倉岳高校 |
KENTAは立倉岳中学校のサッカー部で主将で活躍しながらも陸上大会で決勝進出!
KENTAさんは中学に進学するとサッカー部に入部。
サッカー部では持ち前の運動神経とリーダーシップを生かし活躍し、3年生の頃には主将となりました。
KO-SHINさんも同じくサッカー部だったようですが、禁止だった炭酸飲料を隠れて飲んだり、試合中に相手ボールの際に「マイボール!」と叫びすぎて退場になったりと面白いエピソードがたくさんあります。
KENTAさんはサッカーだけでなく、中学1年生の時には熊本県中体連で陸上短距離100mで県の決勝に進出していたという、かなりのスポーツエリートでした。
また、部活以外でも中学校の文化祭に出るためにKO-SHINさんを含む5人組のバンド「freedom」を結成。
この頃から音楽で夢を見るようになりました。
KENTAの倉岳高校時代。WANIMAの前身「HANIMA」を結成しバンド大会で優勝!
KENTAさんは倉岳中学を卒業すると、同じく地元の県立の共学校・立倉岳高校に進学。
幼馴染のKO-SHINさんも一緒に同じ高校に進学されました。
母校はとても田舎のようで、1953年開校でしたが、生徒数が年々減少していき、最終的には60名程度となり2009年からは同じ県立校の天草高校の分校になってしまっています。
中学時代までは運動部で活躍していたKENTAさんですが、高校では部活には入らずWANIMA」の前身バンドである「HANIMA」を結成し音楽に専念。
地元の熊本で行われたバンドコンテストで熊本地区予選や九州予選などで優勝するなど結果を出し、本格的に将来は音楽で飯を食う意思を固めました。
HANIMA時代は地元天の草に自分たちのスタジオを作りライブを行ったり、自ら環境作りに勤しみました。
大学には進学せずに上京。KO-SHINは自衛隊に入隊するも2年で辞めてバンド結成
KENTAさんは高校卒業後に大学には進学せず、2006年の18歳の頃にHANIMAを解散し上京。
一方で中学時代から一緒にバンドを組んでいた幼馴染のKO-SHINさんは自衛隊に入隊しました。
KO-SHINさんは2年で自衛隊を辞めて、20歳の頃(2008年)にもう一度KENTAさんを音楽を再開。
同じ頃(2010年)に「WANIMA」の前任のドラムだったWAKITAさんと出会い、現在のバンドを結成しました。
WANIMAで成功を収め2019年に地元・天草でライブをした際にKENTAさんはMCで、
「正直、天草にはあんまりいい思い出がなくて。18年をここで過ごしたけど、逃げるようにして東京に出ました。
だけど、これまで出会ってきた人や、今日来てくれている媒体の人や、PIZZA OF DEATHの人にも『天草いいところだね』って言ってもらえて。
天草を離れて初めて、天草のいいところがわかりました。
今日天草に来てくれた人達にもずっと歌い続けるし、これからもたくさんの人に歌を届けたい」
と話し、当時は地元のことがあまり好きではなく、逃げるように上京した胸の内を明かしていました。
それでも、今では改めて自分が18年間過ごした天草の良さに気付き、今では好きな場所だそうです。
KENTAの複雑な家庭環境。祖母”はつえ”が母親代わり。「Mom」「存在」は祖母、「1106」は祖父を想う歌
2025年の母の日キャンペーンキャラクターのCMに向けてWANIMAの楽曲が提供されました。
KENTAさん作曲の「存在」が母の日キャンペーンのテーマソングになりましたが、KENTAさんは”祖母を思い浮かべながら作った”と発言。
この発言から、KENTAさんの生い立ちに対する関心が強まりました。
CMのテーマソングが決まった際には、
「いろんな家族の形がある中で複雑な家庭環境に育ち、劣等感を感じたりトラウマになってる方も多いと思います。
僕はそれを音に変えることで何とか今までやってこれました。
時間がない中で沢山の方々がこのMVを完成させる為に力を貸して下さいました。
支えてくれたみんなの存在に感謝しかありません。
大事に想う方の存在を感じながら聞いて下さい。」
とコメントを出しており、”複雑な家庭環境”や”トラウマ”という言葉を用いていることから、本人の生まれ育った環境が酷かったことが伺えます。
「存在」のリリース手前にはSNSで、
お久しぶりです。ケンタです。
母の日に大切な方へ花を贈ろうという素晴らしい企画にお誘い頂きました。
この歌は母親代わりをしてくれたばぁちゃんに向けて作りました。
大事に想う人を思い浮かべながら存在を確かめて欲しいです。
と、ファンにもハッキリと「母親代わりをしてくれたばあちゃん」と伝えています。
思い返せば、KENTAさんは昔から祖母のことが大好きで、祖母についてたくさん語ってきました。
KENTAさんの祖母”ハツエ”さんはファンの間でも知られた人物で、生前はKENTAさんのSNSなどにも登場していました。
祖母関連の話題が多く出る一方で、母親についてはほとんど触れていません。(一時期はネット上で勝手にKENTAさんの母親の死亡説が流れたほどです)
このことから、KENTAさんと実母の間には大きな溝はあると見られ、とても複雑な家庭環境で育ったことが想像できます。
KENTAは子供の頃から祖父母が大好き!楽曲「Mom」や「1106」。
KENTAさんは「存在」をリリースた際、母親代わりに育ててくれた祖母を思い浮かべながら、自身の実体験を歌詞に綴った楽曲だと紹介しています。
2025年に「存在」をリリースする前にも2019年に「Mom」という曲で祖母に対する気持ちを歌にしていました。
「Mom」の歌詞には「何もかも許してくれた ダメな時は叱ってくれた」「育ててくれた そばにいてくれた」「母親代わり 気使う弁当」と、自分を母親の代わりに育ててくれた祖母への熱いフレーズが多くあります。
2014年にリリースした『1106』は、大好きな漁師だったじいちゃんの命日の歌でした。
「1106」の歌詞の内容は、息子が地元の父親に贈る手紙のような触れ出しで、「弱音1つ吐かずに海に向かう 平気なフリして何度助けられただろう」という、祖母と孫で我慢して凌いだ日々を想像さすフレーズが盛り込まれています。
過去にKENTAさんはKO-SHINさんと音楽との成功を夢見ていた時期にも金や女よりも温もりを求めていたことを明かしていました。
「いつも俺とコーシンは二人で夢見てきた。味わったことのない幸せを。味わったことのない温かい食卓をね!テーブル一杯オードブル。生まれて初めての囲んだことのない食卓を、そしていつかは温かい(団欒の)ご飯を食べたいな~、そんな日を夢見てきた」
温かい食卓に憧れるような複雑な家庭に育ちながらも祖父母の存在に支えられてたということです。