
小坂明子さんといえば、70年代に楽曲「あなた」が大ブレイクしたシンガーソングライターです。
当時、大手事務社や名プロデューサーの手によってスターになる少女が多かった中、小坂明子さんは自身で作詞作曲で16歳にして成功を手に入れました。
今日は、若き天才として注目された小坂明子さんの経歴と現在、そして結婚相手や2人の子供について書いてみたいと思います。
小坂明子は16歳で作詞作曲した「あなた」が200万枚のヒット!現在は楽曲提供や音楽監督、YouTubeで活躍
小坂明子さんは1957年1月2日に兵庫県西宮市に生まれました。
家族構成は両親と姉、兄の5人家族です。
姉は10歳年上で、兄は8歳年上、小坂明子さんは3人兄弟の末っ子でした。
父親はミュージシャン兼作曲家・指揮者でもある小坂務さんで、母はイギリスの血が混じったクオーターです。
幼少期から楽器に囲まれ、恵まれた音楽の環境で育ち、物心ついたことには譜面が読めました。
ただ、ピアノのレッスンなどは嫌いだったようで、しょっちゅうサボっては怒られていたそうです。
小学生、中学生の頃は帰宅部でピアノ一筋、高校も大阪音楽大学付属音楽高校のピアノ科に在籍し腕を磨きました。
名前 | 小坂明子(こさか あきこ) |
生年月日 | 1957年1月2日 |
出身地 | 兵庫県 |
身長 | 152センチ |
血液型 | A型 |
出身小学校 | 神戸大学教育学部附属住吉小学校 |
出身中学 | 神戸大学教育学部附属住吉中学校 |
出身高校 | 大阪音楽大学付属音楽高校 ピアノ科 |
大阪音楽大学付属音楽高校時代に自身の作詞作曲「あなた」が大ヒット!
小坂明子さんは高校に進学すると、1973年の高校2年生になった頃に、当時大ファンだったフォークロックグループ「ガロ」に会えるかもしれないと思いで音楽のコンテストに参加。
自身で始めて作詞作曲した「あなた」がヤマハ主催の「第6回ポピュラーソングコンテスト」、「第4回世界歌謡祭」にてグランプリを受賞。
同曲でデビューすることになると爆発的なヒット、なんと200万枚を売り上げました。
12月31日のNHK紅白歌合戦にも出場しており、この時の指揮者は父親が務めていました。
突如、紅白歌手になった小坂さんの生活は一変し、学校が終わると電車に乗り東京に行って仕事をして、夜行で帰ってそのまま学校に登校することも少なくなかったようです。
小坂明子の現在。楽曲提供や音楽監督、YouTubeなどで活動。
小坂明子さんは高校生にしてシンガーソングライターとして絶大な人気を集めました。
その後は様々なレコード会社を転々とし、1984年に独立すると彼女はそこから作曲家としても活躍。
テレビゲームやテレビ番組に音楽を提供し、1993年には「ミュージカル 美少女戦士セーラームーン」にて音楽提供と音楽監督を務め、なんとトータル456曲もの音楽を提供。
90年代は作曲家としても活躍し、本人のコンサートもコンスタントに実施されていました。
2020年4月からYouTuberとしても活動し、動画内では主にピアノの弾き語りを披露しています。
当時、コロナ禍でありましたが、ステイホーム中の日本に元気を与えてくれてました。
小坂明子は28歳でマネージャー・千葉健治と結婚。2人の男児を出産も長男・龍太郎と死別
小坂明子は1985年10月の28歳の頃、現在の旦那と結婚しました。
結婚した相手は、元マネージャーの”千葉健治”さんです。
旦那の千葉健治さんは、小坂さんが独立した会社「有限会社ティーフォーツー・ミュージック」の代表でもあり、公私共に支え合ってきました。
結婚する前の小坂さんは、当時恋人だった千葉健治さんからたびたびダメ出しを喰らうなど、力関係は対等だったようです。
結婚後、小坂明子さんは夫との間に2人の男児が誕生しています。
小坂明子の2人の子供。長男・龍太郎と次男・たいちゃん。ミュージシャンで活躍も事故死
小坂明子さんと千葉健治さんの間には2人の息子が誕生しています。
長男の名前は「龍太郎」で、次男は本名は不明ですが、”たいちゃん”と呼ばれています。
長男は本名の”千葉龍太郎”としてGRAND FAMILY ORCHESTRA(グランドファミリーオーケストラ)」というロックバンドを結成し活動していました。
次男の”たいちゃん”も、過去にドラマーとして活動していた形跡があり、小坂さんと夫と長男と合わせて音楽一家であることが分かっています。
長男の龍太郎さんはバンドでベースを担当し、ライブ活動を頻繁に行うなど、人気は高かったようです。
龍太郎さんに関しては別記事に詳細を書いています。
腕にびっしりタトゥーが入っているなど、小坂明子さんの息子にしてギャップがあるセンスでした。
しかし、2018年5月に小坂明子のブログで長男が亡くなったことが報告されました。
死因については「不慮の事故」だと綴られていました。
突然の訃報に多くの人が驚き、その死因には様々な憶測が飛美、「違法薬物」や「自殺」を疑う声もありました。
死後、龍太郎さんのブログが掘り返され、自分を鼓舞するような言葉もあったり不安定な面を見せており、”精神的に疲れていたのでは”など考察されていました。
現在では”事故死”という表現に落ち着いているので、当時の憶測はおおよそは間違っていたことが分かっています。
小坂明子さんは龍太郎さんが亡くなった後も、変わらずに元気に活動を続けています。