チバユウスケの生い立ちと学歴。幼少から学生時代、売れる前後の極貧下積み時代

90年代後半
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THEE MICHELLE GUN ELEPHANT、ROSSO、The Barthdayで活躍されたチバユウスケさん。

2023年に55歳の若さで短い生涯を終えました。

今日はチバユウスケさんの経歴の学生時代から売れる前までを中心に整理してみたいと思います。

意外なおぼっちゃまな生い立ちから、苦労した下積み時代まで、いつの時代も面白い逸話が多いです。

チバユウスケの基本情報。優秀な両親に兄弟は妹が1人。団地生まれでも大学まで私立育ち

チバユウスケさんの本名は、芸名そのままに「千葉友介」です。

1968年7月10日に神奈川県藤沢市に生まれました。

父は大手広告代理店で優秀なディレクターとして活躍し、母は専業主婦で早稲田大学卒の秀才、下に妹が1人います。

幼少期は藤沢市の善行団地で暮らします。

その後に鎌倉に一軒家を購入し引っ越し。

幼稚園から大学までずっと私立に通いましたが、チバさん曰く御坊ちゃまだったわけではなく、両親が貧しいなりに努力してくれたお陰だったと仰っています。

それでも、実家の自分の部屋にはクーラーが付いており、学習塾などの”子供がやりそうな習い事”を網羅しており、ヴァイオリンのようなお金の掛かる習い事もしていました。

高校を出てから住んだマンションは父所有だった噂があるなど、実態はちゃんとしたお金持ちだったと思われます。

芸名 チバユウスケ
本名 千葉友介
生年月日 1968年7月10日
出生地 神奈川県藤沢市
出身地 神奈川県鎌倉市
血液型 A型
出身小学・中学・高校 湘南学園系列
出身大学 明治学院大学経済学部商学科(現在は経営学科)
家族 父(大手広告代理店勤務)。母(早稲田大卒)。妹。

チバユウスケの幼少期〜小学生

チバユウスケさんの出身小学校は、私立の共学校の湘南学園小学校です。

幼稚園もこの学園の系列校に通学しており、高校までエスカレーター式に進学しています。

幼少期の頃にヴァイオリン教室に通っていましたが、あまり熱心ではなく、教室は2回に1回は「逃げていた」と話しています。

それでも日本武道館でおこなわれた発表会のステージに立つなど、それなりにしっかりと習っていたことが伺えます。

↓その他にも幼少期のチバさんには以下のようなエピソードがあります。

・喘息持ちの体の弱い子供だった

・小さい頃短冊に「船になりたい」と書いた

・肌が弱くプールに入るとジンマシンが出た

・絵本の影響で河童とカエルが怖くなり、成人後も薬局のケロちゃんさえ恐怖に感じる、

・近所の神社でアリジゴクを見つけて感動した

・崖から自転車で飛び降りる遊びをしており、 高い崖のほうは自分では飛ばずに他人をけしかけて飛ばせ、その子は骨折した。

・ずっと私立に通っていたため、給食というものを食べたことがない。

・小学校の運動会で鼓笛隊の大太鼓をやっていた

↑などなどの逸話が有名です。

チバユウスケは中学時代に悪い遊びを覚える

チバユウスケさんはヤンチャな少年でありましたが、中学生になると本格的に悪事を働くようになります。

制服は当時流行りのボンタン、そしてタバコも中学生の頃に覚えました。

万引きやシンナーなどやっていたという話もありますが、こちらは仲の良い友人に常習犯がいただけという説もあります。

散々、不良っぽいことをしていたチバさんですが、当時は政治家になりたいと考え、学食のメロンソーダが大好きだったなど可愛い一面もありました。

ちなみに、悪い仲間と遊んでも、夕食までにはきっちり帰宅していたと誇らしげに語っています。

音楽もジョニー・サンダースなどを聴くようになり、この頃から徐々にロックに目覚めていきます。

チバユウスケは高校で初めてのバンドを結成。浪人し大学ではクハラと出会う

チバさんは湘南学園高等学校に内部進学すると剣道部に所属します。

1年生の頃から洋楽ロックに目覚め、レコードを買い漁り、初めてのギターも入手します。

自ら「ドランカー」というパンクバンドも組み、当時から作詞作曲するという才能の片鱗を見せていました。

バンドではギターがやりかったそうですが、希望が叶わず、「ボーカルでいい」と仕方なく歌うことになったそう。

高校の学園祭では、数年前にチーム同士の傷害事件が勃発してしまった為、学園祭内でのライブは禁止とされ、高校生の内に初ライブとはなりませんでした。

学校生活は毎朝駅のカレーうどんを食べて遅刻し、恋愛では告白の仕方が分からず好きな子に潔く「やらせてくれ」と言う、原チャしか乗れないのに暴走族を作ろうとするなど、当時からチバ節を発揮していました。

受験に失敗し浪人。予備校に通い太る。大学でクハラと出会う

大学受験は失敗し、1年浪人。

浪人生活では予備校に通いながらも不摂生な生活を続け、体重が80キロ近くまであったそう。

1浪の末に明治学院大学経済学部商学科に合格。

1人暮らしをスタートさせたのは予備校生になった後か、大学に受かった後かでした。

大学進学後に学内の音楽サークル「ソング・ライツ」に加入し、デビューした頃とは異なるメンバーで「thee michelle gun elephant(ミッシェル・ガン・エレファント)を結成

大学の学園祭で人生初ステージを経験

その後、同じ大学にクハラさんも入学、クハラさんは初対面では「チバさん」でしたが、数時間のうちに呼び捨て&タメ口となりました。

クハラさんは、1990年11月の明学大の学園祭「白金祭」で行われたTMGEのライヴを観て、チバさんに「おまえの後ろで叩かせてほしい」と立候補、チバさんは当時のドラムをクビにしてクハラさんを加えました。

大学2年→3年のタイミングで留年し、その時にクハラさんとは同級生となりました。

大学時代からバリバリ音楽活動を開始し多忙でしたが、大学の方は何とか卒業できました。

チバユウスケの売れない時代。靴下重宝の極貧下積み生活

チバユウスケさんは浪人、留年の都合で大学を出た時は24歳でした。

就職が決まっていたウエノさんに対し、チバさんは「いいじゃん。俺についてきたら間違いないよ」と就職を蹴らせるなど、気合にみなぎっていました。

ライブ活動に便利な新代田で暮らし、音楽活動とバイトに明け暮れました。

チバさんのバイト歴は写植、スタジオ、ゲームセンター、写真屋、喫茶店。

「喫茶マイアミ」でのバイト経験から、「夢のマイアミ」という曲が誕生。

一番長く働いたのが横浜のあるゲームセンター「アメリカン・グラフティー」でした。

出身地を横浜だと言いたいが為に、自宅から最寄りな訳でもない横浜でバイトしてたそう。

ゲームセンターのバイトでは暇になるとすぐに週刊少年ジャンプを読み、お客さんに両替を頼まれると「両替機があんだろ」と相手にせず、基本的にはやる気がない態度。

それでも、知人が遊びに来ると、テトリスの際にはクレジットを最大に上げ、UFOキャッチャーではケースを開けて景品を選ばせてくれたそう。

常にお金がなく、食べ物がない時は笹さえも食べ、マックのソースを多めにもらって酒のアテにしていたことも。

時には高校生の頃から集めたレコードを切り売りしてお金を作って凌ぐこともありました。

洗濯もスニーカーとシャツを一緒にドカっと洗っていたなど、極貧1人暮らし感溢れる逸話が残っています。

また、クハラさんに「チバは靴下の穴が空いてることが多い」と指摘された通りに、洗濯後に穴を発見しても、もう一度履いてからしか捨てれず、捨てる時にはめちゃくちゃ悩んで泣く泣く捨ててたそう。

台所などの掃除には、捨てると決断した靴下を手にはめて使用していました。

チバユウスケのデビュー前後の伝説

当初はミッシェルのリーダーだったチバさんですが、遅刻が多くてリーダーを下されます。

また、遅刻の罰として坊主にさせられたこともありました。

↓素行面でも、

・思いつきで家の中でレコード盤を燃やして黒煙が上がり大ごとになる

・アベさんの実家から送られてきたカキを半分をカキフライにして食べ半分を腐らせる

などなど、チバさんの私生活は破茶滅茶でした。

それでも、アベさんを誘う時に「アベくん薬やってないよね?うち禁止だから」と、超えてはいけないラインは守って活動していました。

25歳だった1993年にミッシェルはインディーズデビュー。

インディーズデビューした25歳の頃は、厄年という理由で、首に厄除けのお守りをぶら下げていました。

インディーズでは、新宿ロフトで客席にダイブし客が避けたため背中から落ち翌日バイトを休み、横浜のライブではダイブ後にステージに帰ってこれないままライブが終了するなど気合が空回りする時もありました。

この頃に、後に結婚する吉祥寺の古着屋に勤める女性と出会い、センスが磨かれます。

地道な活動で着実に力を付け、界隈で知られる存在に。

そして、1996年に「世界の終わり」で期待の新人としてメジャーデビュー。

デビュー前のコンベンションでは悪酔いして、音楽関係者を前に「お前らがロックをダメにしてるんだ!」と叫び、関係者を絶句させるなど相変わらず。

デビュー直後のインタビュー時には熱くなりすぎて、突然「俺、泣くかも」と言い放って 部屋を出て行ったこともありました。

デビュー後のMCは一生懸命によく喋り、ファンの会報も小さい字でビッシリ書くなど献身的な姿勢で勝負しました。

その甲斐あってか、6枚目シングル「バードメン」がスマッシュヒット。

「バートメン」を皮切りに、ファンの母数は増えていき、自慢のライブパフォーマンスで人気を拡大。

気付けば90年代の邦ロックを代表するような存在となっていました。

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