アベフトシの解散後~死去[時系列]。塗装業で吉川晃司と喧嘩。自転車事故の真相

90年代後半
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アベフトシさんといえば、2003年に解散した伝説のガレージバンド・THEE MICHELLE GUN ELEPHANTのギタリストです。

スラッとタッパのあるスタイリッシュな外見から、あの独特な激しいカッティング奏法、このギャップに多くのギタリストが憧れました。

THEE MICHELLE GUN ELEPHANTが解散した後、メンバーらは新しいバンドを結成し新しい居場所を作りましたが、アベフトシさんには目立った話題はありませんでした。

2009年に不慮の事故で亡くなってしまいましたが、解散後から死去するまでの期間は何をしていたのでしょうか?

今日はアベフトシさんがミッシェル解散から死去するまで、どんな活動などをしていたのか、時系列にして整理してみたいと思います。

アベフトシのミッシェル解散後から死去するまでの期間の活動。KOOLOG、CARRIE、シーナ&ザ・ロケッツ、吉川晃司。

2003年10月11日 THEE MICHELLE GUN ELEPHANT解散
2004年〜2006年 KOOLOGにI参加するも2006年に脱退
2006年 CARRIEを結成するも同年中に解散。スタイリストの嫁・高橋恵美と離婚し元The 5.6.7.8’sのYAMAと再婚
2007年頃 実家の広島に帰って父の営む塗装業(ペンキ屋)に就く。
2008年9月15日 シーナ&ザ・ロケッツの広島公演に出演し5曲演奏
2008年12月29日〜31日 吉川晃司のライブに参加。飲み屋で殴り合いの喧嘩。
2009年7月22日 自転車走行中に転倒し急性硬膜外血腫で死去。満42歳没

アベフトシは解散後にKOOLOGに参加も辞退。CARRIEを結成するも即解散

2003年にTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTが解散すると、他メンバーらはすぐに新しいバンドや音楽プロジェクトをスタート。

アベフトシさんも、解散翌年の2004年から元SNAIL RAMPのAKIOさんのソロプロジェクトKOOLOGIに参加しました。

KOOLOGIのコワモテな雰囲気にアベフトシさんは良い感じで馴染み、ヴィジュアルは好評でした。

AKIOさんとアベフトシさんのギターも相性がよく、幸先の良いスタートでした。

しかし、わずか2年でアベさんは活動を辞退

アベフトシさんが抜けた際の詳細は不明ですが、KOOLOGIはその後にメインボーカルも交代するなど、メンバーが定まらない時期がありバタバタ。

おそらく音楽性の違いなどが辞退の理由だったと思われます。

2006年に和氣亜耶、清水義将、山岡卓寛と”CARRIE”を結成も即解散。短期間で離婚と再婚。

2006年にKOOLOGIを抜けると、同年の内に和氣亜耶さん、惑星の元ベース清水義将、山岡卓寛さんらとCARRIEを結成しました。

アベフトシさんがバンドを結成したというのは、界隈ではかなり話題になりました。

ボーカルの和氣亜耶さんは若干22歳のハンサムな女性で、アベフトシさんの激しいギターとの相性は素晴らしく、今後はトップ戦線に立つようなバンドになるのではないか?と期待されました。

しかし、数本のライブだけ行い、レコーディングの半ば途中で結成した同年の2006年の内に解散

ネット上に僅かなライブフォトとライブ音源が残っているのみで、幻のバンドとなってしまいました。

動画サイトに上がっているバンドのライブ音源のコメント欄には、「もし、このバンドが形になっていれば」「聴いてるだけワクワクが止まらない」と惜しむ声で溢れています。

結局はミッシェル時代に味わった才能や情熱、充実感を取り戻せず絶望したのでは?との見方がされています。

また、同年には初婚相手の高橋恵美さんと離婚し、短期間で元The 5.6.7.8’sのYAMAさんと再婚するなど私生活でバタバタしていましたが、広島行きと関係があったかは不明です。

アベフトシは広島で実家の父の塗装業を継ぐ。ペンキ塗り兼業でシーナ&ザ・ロケッツや吉川晃司のライブに出演も殴り合いの喧嘩

KOOLOGIを辞退し、自分で組んだCARRIEも解散。

この頃のアベさんを知る業界の方は、「弾きたいものがないから弾かなかった」と回想し、数々の大物ミュージシャンからオファーが届くも、全部蹴っていたそう。※椎名林檎か東京事変からもオファーがあったとか

その後のアベフトシさんは2007年〜2008年頃に実家のある広島に帰り、音楽業界を離れることになりました。

地元に帰ったアベフトシさんは、デビュー前まで1年ほど働いていた亡くなった父が営んでいた塗装業に就職

THEE MICHELLE GUN ELEPHANT時代の貯金と、解散後も継続して入ってくる収入もあり、食いには困っていなかったことから、そのまま実家の家業を継ぐものだと思われました。

しかし、業界はアベフトシさんの才能を放ってはおけず、2008年の内にシーナ&ロケッツや吉川晃司さんなどの現場に呼ばれます。

結局は音楽の仕事も兼業する形となりました。

吉川晃司の書籍「愚 日本一心」で晩年のアベフトシとの喧嘩などが綴られる。兄弟として共に活動を開始する手前に死去

生前のアベフトシさんが最後に立ったステージは吉川晃司さんの2008年12月の29〜31日のライブです。

吉川晃司さんが2012年1月に発売した書籍「愚 日本一心」の中で、アベフトシさんと同じステージに立つまでの話などが綴られています。

初めて吉川晃司さんとアベフトシさんが会談した際、当時すでにペンキ屋をやっていたアベフトシさんに吉川さんが、

「ギタリストがギター弾かないでどうすんだよ。ギタリストがペンキを塗るのは本分じゃないだろう」

との言葉を投げかけると、アベさんは負けじと、

「吉川晃司ってのはアイドルだろ。なんで俺がアイドルの後ろでギター弾かなきゃいけなんだよ」

と言い返したそう。

その後、吉川さんに「逃げてるだけじゃねえの?」と言われ怒ったアベフトシさんが吉川さんにキック、吉川さんも1発殴り返し応戦

翌日にアベさんの方から「昨日はすみませんでした」と謝罪、それに対して吉川さんは「お互い一発づつだからおあいこだ」と許したそう。

その流れからアベさんが「(ギター)やってみようかなとおもって」と切り出し、吉川さんは「おうやろう」と、同じステージに立つことが決まったとのことです。

そして、出演した年末のライブは大成功。

翌年2009年のお正月に打ち上げでは、白ワインを飲んでご機嫌なアベさんが「おい、今日からお前はわしのアキニじゃけな」と歩み寄り。

吉川さんは「アニキに対してお前ってそれはおかしいだろう」と返すも、アベさんは引かずに「いやお前はお前じゃ。じゃがアニキはアニキじゃ」と2人の絆が深まったとのことです。

吉川晃司との活動が内定していた矢先に死去。フェス出演やアルバム参加が叶わず悔やまれる

2009年8月に吉川さんはライジングサンフェスへの出演が決まっていましたが、従えるギターはアベフトシさんに内定。

次作のアルバムのレコーディングもギターはアベさんに決まっていました。

しかし、8月のライジングサンフェスを待たずして、アベフトシさんは事故死、再共演は果たせずにお別れすることになったのです。

アベフトシさんが亡くなった際の吉川さんは、これから育まれるはずだった兄弟の絆が途切れてしまったことを悔いるコメントをしていました。

アベフトシが逝っちまった。
って、おい、冗談じゃない。
おまえなぁ、交わした約束はどうするんだ?
破棄しちまうのか?
ライジングサンだって、一発弾きに来るんじゃなかったのかよ。
「新しい絆じゃぁ。兄貴って呼んでええかぁー?」って、打ち上げで白ワインかっ喰らってご機嫌だったじゃないか。
俺の次のアルバムでギター弾きまくるんじゃなかったのかよ。
馬鹿たれ。
俺はさっきまで、笑って仕事してたじゃねぇか。
冥福を祈るしかねぇって、そりゃねぇわ。
行かねぇからな、葬式なんて嫌だね。
なぁみんな、そうだろ?
わかんねぇや、今夜はやめとく。
酒を呑む。
白ワインにして。

死後、数々の追悼コメントが出ていましたが、吉川さんだけ空気感が違う声明を出し、「え?」ってなっていました。

それもこれも、上記のやり取りがあったせいだと知ると納得ですね。

アベフトシの死因の真相。当初は殴られた説も自転車での飲酒運転説が有力か

アベフトシさんの死因は急性硬膜外血腫(きゅうせいこうまくがいけっしゅ)という、側頭骨骨折による原因多い死因です。

メディアでは、アベフトシさんが亡くなった際の詳細は伝えられず、ただ急性硬膜外血腫と伝えられただけでした。

当初、頭に強いダメージを負った際に死因になることが多く、アベフトシさんが誰と喧嘩したり、暴行を受けたのではないか?と憶測もありました。

しかし、その後に自転車を走行してる際の横転が原因で亡くなったとの説が有力とされました。

趣味で自転車にハマる?車の免許を持たずチャリに日常的に使用し飲酒後にも乗ってしまった説が有力な理由

自転車の走行中に横転して頭を強く打ったことが死に繋がったとの説が強く言われていますが、詳細が伝えられてないことで死の真相を巡っては多くの憶測を生みました。

趣味としてアベフトシさんが自転車にハマっていたと蔓延していますが、実は単純に車の免許を持っていなかったのです。

仮に趣味で本格的な自転車に乗っていたとしたら、ヘルメットを被って走行するはずなので、脳に死に至るほどのダメージがいくケースは稀です。

メディアで”自転車で走行中に横転”と報じられなかった部分を見てみると、公にしたくない何かがあったことが想像できます。

そこで、お酒が好きだったことから、酩酊状態で自転車に乗っていたのでは?と考えられます。

自転車でも飲酒運転に該当することから、状況の詳細を公表するのを避けたのでは?との見方ができるのです。

公式なソースから事故の詳細は出ていませんが、酩酊状態で自転車を走行し横転して亡くなったと勘繰る人が多くいるということです。

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