2011年に27歳の若さで死去したエイミー・ワインハウス。
今日はエイミーさんの経歴と破滅までの道、最期の様子などについて整理してみたいと思います。
また、夫・ブレイクとの出会いと別れ、現在についても書いてみたいと思います。
エイミー・ワインハウスの生い立ちと家庭環境。いじめの過去
エイミー・ワインハウスは1983年9月14日 -にミドルセックス州エンフィールドにて、ユダヤ人の両親のもとに生まれました。

父親のミッチ・ワインハウスは元タクシー運転手で、母親のジェニスは薬剤師でした。


母方と父方の親族に音楽をやっていた人が多く、エイミーもたくさんの音楽を聴いて育ちました。

子供の頃から音楽スクールに通い、兄のギターで弾き方を覚えました。

友人と一緒にラップグループを組んで活動するなどしていました。
中学生になると音楽の名門シルヴィア・ヤング・シアター・スクールに進学。

しかし、学力不足と鼻にピアスをするなどの非行で15歳で転校を余儀なくされます。
幼馴染の歌手で女優のビリー・パイパーは学生時代のエイミーについて、
「彼女はいつも生意気でした。いつもあんな感じで、わかりますよね。難解なことをやったりして、私はそれがすごく好きでした」
「彼女は何でもできました。すごく賢くて、すごく聡明で、あの学校の他のどの女子とも違っていました」
「彼女は自分のやりたいようにやっていて、人を怒らせたり変なことをするのが好きだったから、学校ではかなりいじめられていました」
と当時からエイミーがクリエイティブな人間だったこと、そして周囲に馴染めずにイジメを受けていたことを告白しています。
スターダムにのし上がるも元夫・ブレイクに出会いスキャンダルを重ねる
エイミーは10代にして学校に通うことを辞めてバイトをしながら音楽活動を開始。

自身でバンドを組んだり、クラブに出て歌ったりすると、すぐに界隈で噂になりました。

そして、レコード会社との契約を掴み取ると、2003年にアルバム『フランク』でデビューし。

いきなりイギリスで67万枚を超えるヒットを記録し一躍スターとなりました。
誰にも似ていない独自のパフォーマンスとファンクでハスキーなキャラクターが大ウケし、その後もヒットを連発しました。
しかし、2006年頃からミュージック・ビデオの撮影アシスタントである4歳年上のブレイク・フィールダー・シビルとの交際が始まると状況が一変。

薬物を覚え、かつては健康的だった体型がガリガリになりました。

施設への入退院を繰り返したり、奇行に走ってる姿がスクープされたり、新人時代のホットなシンガーのイメージからは別人となり、ゴシップの格好の餌食となりました。
エイミーは元夫・ブレイクの影響で薬物を覚える。血まみれの喧嘩
エイミーとブレイクは2007年5月に入籍し、同年の5月18日にはマイアミで結婚式を挙げました。
2人で薬物の矯正施設への入退院を繰り返し、または破局と復縁を繰り返すなど不安定なカップルの結婚だけに、別れるのも時間の問題だと言われていました。
結婚翌月の2007年6月にロンドンのパブの店主を殴り、しかもその後訴えを取り下げるよう迫るなどしたことから逮捕・勾留。

8月23日にはロンドンのホテルから夫婦喧嘩で血まみれになったエイミーが出てくるところがキャッチされるなど、新婚早々に危ないスクープが飛び交いました。

その後もだらしない格好で泣きながら彷徨う姿や、夜中にデニムと下着だけで近所を歩く姿などもキャッチされていました。
2007年10月18日にはノルウェーにて、マリファナ所持と密輸疑惑で夫婦で逮捕され、12月17日には夫の司法妨害に加担した容疑で再び逮捕。
さらに最悪だったのは、ライブ中に歌詞を忘れたり歌唱を中断して関係ない行動をするなどし、人気が低迷し始めます。
エイミーとブレイクは2年で離婚するも再婚約、逮捕、破局と波瀾が続いた
結婚早々にヤバいゴシップが続いたエイミーとブレイク。
2008年1月24日には再びリハビリ施設に入所。

同年2008年のグラミー賞では主要4部門を含む6部門でノミネートされ、最優秀新人賞や最優秀楽曲賞など5部門を受賞するもアメリカへ入国する為のビザ発行を拒否され、イギリスから衛星中継で出演。
2008年4月25日にも酔って男性2人を暴行したとして事情聴取を受け、5月7日に違法薬物所持で逮捕。
2008年6月16日にロンドンの自宅で「初期の肺気腫」で倒れて入院。
2009年1月にはエイミーの不倫が発覚しブレイクが離婚を迫るもなどしていた。エイミーはブレイクを理解者と受けとめ、逮捕勾留中も夫に会いたいと泣き叫ぶ始末。
2009年7月までに離婚が成立するも、12月までに再婚約、そして数か月後に再度解消。
元夫となったブレイクは2011年4月にサラ・アスピンなる31歳の女性との婚約が発表され、同年6月に第1子を出産。
ブレイクの新嫁・サラは、
「エイミーにはシビル(ブレイク)から手を引いてもらいたい」
「メールの署名に「your wife」とかうんざり」
と発言し、離婚後もエイミーがブレイクに依存してることが明かされました。
エイミー・ワインハウスは2011年7月23日に死去。死因はアルコールの過剰摂取
2011年7月23日、エイミー・ワインハウスはロンドンのカムデンにある自宅にて遺体で発見されました。

当初、死去直前にドラッグとアルコールを過剰摂取していたという証言があり、自殺の可能性も疑われました。
しかし、死後数日の時点では警察からの発表はなく、当初は正式な死因は不明のままでした。
結局、エイミー・ワインハウスの死因は自殺ではなくアルコールの過剰摂取
死後当時、死因の詳細は不明なものの、多くの人がエイミー・ワインハウスは自死したと憶測していました。
しかし、死去から2年後の2013年1月8日、当初の検視官に資格の問題があったために、再度検死が行われ、結果が発表されました。
再検査の結果、エイミーの死因はアルコール中毒であることが明らかにされました。
なんとも、一般に致死量とされる程度の酒を摂取していたことが明らかになり、さらに遺体が発見された寝室の床の上には空になったウォッカの瓶が2本あり、本人が自ら飲んだものであることが明白でした。
元夫のブレイクも死にかけていた?現在までのエイミーのドキュメントやホロライブに否定的
エイミー・ワインハウスの死去から1年後の2012年8月3日、今度は元夫のブレイク・フィールダー・シビルが昏睡状態となりました、
なんともブレイクは酒とドラッグを大量に摂取したのち、窒息し、こん睡状態になったとのこと。
ブレイクとの間に子供を授かっていたサラ・アスピンが、吐しゃ物で窒息をしているブレイクをベッドで発見し、病院に搬送、多臓器不全であったそう。
サラさんはThe Sun紙に、
「医師も予後がわからないため、彼を人工的にこん睡状態にしました。回復することを祈っていますが、二度と目を覚ますことはないかもしれません。45分ほど経ってから手を握るために病室に入れてくれましたが、彼が死ぬ可能性が高かったための特別措置だったようです」
と語っていました。
当初、左の肺が機能していないほか、窒息により脳障害を起こした可能性もあるとして、生命維持装置につながれ命も危ない状態でした。
しかし、その後になんとか一命を取り留めたようです。
元夫・ブレイクとエイミーの遺族。ファンは批判的
2018年になるとエイミーの父であるミッチ・ワインハウスがホログラムツアーを企画。
これに対してブレイクは、
「彼女のMVや音源を聴いているのと変わらない」
「僕はこれまでに作られた全ての作品や企画に反対だ」
「ホログラムツアーも目的がわからない」
と反対のコメントを残しています。
過去にはエイミーの父親が娘のすねをかじっていることを暴露しており、元夫のブレイクと遺族の関係はあまりと良くないようです。
ファンの間ではエイミーがおかしくなったのはブレイクさんと出会い、結婚したからとの認識が強く、彼が彼女に纏わる発言をするたびにファンは彼を非難している状態です。



















コメント