
芸歴が長いにも関わらず、いまだに自分の世界観を守り続けているデーモン小暮さん。
長いキャリアの中で、経歴や学歴、素顔などは週刊誌などからとっくにバレていますが、頑なに自身の詳細を非公表にし、キャラを貫き続けています。
過去に何度も「すっぴんが見てみたい有名人ランキング」で1位を獲得しており、スッピンの需要が長く続いたことは驚異といえます。
今日は、これまでに明らかになっているデーモン小暮さんの経歴・学歴の詳細と、すでに流出してる素顔について整理してみたいと思います。
デーモン小暮閣下の本名は「隆」。広島生まれでニューヨーク帰りの帰国子女
デーモン小暮さんの本名は「小暮隆」で、意外にも芸名は本名から由来しています。
家族は銀行員の父と母と姉です。
出生は広島県ですが、幼少期には銀行員の父の転勤でニューヨークに移住。
実は帰国子女だったんですね!
そして、小学生になる頃に日本に帰国し、それからは東京で3年間過ごし、3年生になったころい再び生まれ故郷の広島に戻ります。
小学校6年になると広島から再び東京に戻るという引越しの多い少年時代を過ごします。
芸名 | デーモン閣下、デーモン小暮。 |
本名 | 小暮隆(こぐれ たかし) |
生年月日 | 1962年11月10日 |
身長 | 168センチ |
出生地 | 広島県 |
出身地 | 東京都or広島 |
出身小学校 | 東京都中野区立緑野小学校 |
出身中学校 | 東京都目黒区立第一中学校 |
出身高校 | 神奈川県私立桐蔭学園 |
出身大学 | 早稲田大学 |
デーモン小暮閣下にとっての故郷は東京都でもニューヨークでもなく広島?
閣下は広島生まれでありながらも幼少期をニューヨークで過ごすという強烈な経験をしています。
小学生の頃に一度は広島に戻りますが、中学生になって以降はずっと東京都です。
正直、出身地を”東京都”といっても違和感ない経歴ではありますが、閣下は広島に強い影響を受けていることを語っています。
大人になるまでずっと東京で過ごしながらも小暮さんは、
「一番長く暮らした広島を、『世を忍ぶ仮のふるさと』だと思っている」
と、潜在的に広島という土地を大切に想っているのです。
広島市が広島出身の有名人を起用したPRでは閣下は”広島出身”としての起用を受け入れたこともあります。
しかし、なぜか好きなプロ野球の球団は広島カープではなく巨人だそうです。
毎年のようにカープの本拠地で始球式をしたり、コラボグッズを出したこともありますが。
閣下は大学時代に素顔でTV出演。桐蔭学園から1浪。姉・祐美子も慶應卒のエリート!
デーモン閣下は小学校高学年から広島の学校から東京都中野区立緑野小学校に転校。
中学は東京都目黒区立第一中学校に入学しました。
高校は神奈川の名門・桐蔭学園に進学しました。
桐蔭学園は現在でも時より凱旋しており、良い関係が続いてるようです。
桐蔭学園時代は勉強もそれなりにできましたが、自ら高いハードルを設けて1浪しました。
「これ、話になんないね、っていう点数しかとってなかったので・・・。
我輩の世を忍ぶ仮の父親は銀行員だったので、行くんだったら、ここか、ここより上の学校じゃないと行っても意味がない・・・みたいなのがちょっとあって。
だから現役の年も滑り止め的なところはほぼ受けてなくて。
だから、全滅は当たり前なの」
と、学業はそこそこでありながらも、余裕で入れるような標準的な大学は受験せず、あえて早慶のような名門を受験したそうです。
結果的に現役では受験を失敗しましたが、1浪を経て名門・早稲田大学に合格しました。
早稲田大学時代の閣下はモノマネコンテストに出るなど充実した日々を過ごす
苦労の末に早稲田大学に進学したデーモンさん。
早稲田生時代は俳優の養成所に入ったり、バンドを組んだり、物真似コンテストに挑んだりと活発な毎日を過ごしました。
大学生の頃から伝説的ポルノデパート「ファイブ・ドアーズ」でアルバイトするなど、刺激的な空間をアイデンティティにしていました。
塾の講師のアルバイトもやっており、ある時に教え子から「ゴジラの鳴き声コンテスト」があると教えられて応募するとラジオ局から電話があり出場。
デーモン閣下はコンテストで見事に優勝し、東宝から優勝賞金10万円を受け取りました。
小暮さんの存在は大学生の間で知れ渡り、同じ早稲田の先輩で特撮映画出演実績もあるラサール石井さんからは真剣に入門勧誘を受けたこともありました。
また、早慶戦の試合前にマイクパフォーマンスとしてゴジラの鳴き真似を披露し、スタジアム観衆全員からの喝采を浴びたという伝説も残しています。
『タモリ倶楽部』の「大学生のコンパ芸」を紹介する放送回にも世を忍ぶ仮の名で友人等と出演し、ゴジラの鳴き真似や、他の宴会芸などを披露し注目を集めました。
『たけしのお笑いサドンデス』に出演した際にはビートたけしさんから、
「将来タレントになれる」
と太鼓判を押されました。
大学ではフォークソングクラブに所属し「走り幅跳び」、「顔面大陸棚」、「生老婆(ナマローバ)」「紫馬肥(ムラサキウマゴヤシ)」、「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関するバンド」というバンドを組み、当時から独特な世界観の音楽で周囲を楽しませました。
デーモン閣下は大学時代の自分について、
「やりたいことは全部やろうと思ってたので、とりあえず面白そうなものは全部手を出したのね。・・・で、まず演劇は学校のサークルではなく、俳優養成所に行ったのね」
と回想している通りに大学生がやりたがりそうなことは片っ端から手を出していました。
実姉のアナウンサー・小暮裕美子さんも慶応卒で超優秀!
デーコン閣下は早稲田大学卒業ですが、実は姉の小暮裕美子さんも慶應大学を卒業と兄弟揃ってエリートです。
姉の小暮祐美子さんんは記者からアナウンサーとなり、現在はお偉いさんに出世しています。
兄弟揃って行動力で社会で良いポジションを獲得しており、非常に優秀なDNAを持っていることが伺えます。
現在のデーモン閣下のスッピン。93年の週刊誌が最新?有名なやつは合成写真
デーモン閣下のすっぴんがどんな顔なのか、いつの時代も需要があります。
コンスタントに早稲田生時代にテレビに出演していた頃の写真がネットで拡散されますが、あまりにも若いため、現在の顔が想像できません。
ネットで確認できる一番最新の閣下のスッピンといえば、30歳の頃(1993年9月)に週刊誌から隠し子報道が出た際に掲載された写真が最後です。
学生の頃よりも雰囲気が強くてなっており、非常にイケメンです!
若い頃のデーモン閣下の女性問題を知ると、「なんでそんなにモテたの?」と疑問に思いますが、当時の素顔を見てみると納得ですね!
この顔立ちで歌が上手くて知識人となると、モテて当然のように思えます。
一時期ネットで頻繁にアップされた閣下のスッピン。実は合成写真
ちなみに、閣下があまりにもスッピンを晒さないということで、あるネットユーザーにフェイク写真を作られて拡散されてしまったことがあります。
主に作られたのは2012年頃で、当時の閣下は50歳でした。
拡散された写真はあまりにも老けており、30歳の頃の週刊誌から出たスッピンを知ってる人からすると、全くの別人であることはすぐに分かります。
後になって、この写真が合成であると分かりましたが、当時はこの写真が本当に閣下のスッピンだと信じる人が多かったです。
改めて調べ直していない人は、今でも当時の合成写真が閣下の素顔だと信じ続けていることでしょう。