フジファブリックのギターボーカルでありメインライターであった志村正彦さん。
2009年のクリスマスイヴに、29歳の若さで亡くなりました。
志村正彦さんの亡くなった状況に関してはリアルタイムでは詳細は明かされず、明確な死因も発表されませんでした。
今日は志村正彦さんの死の前後の情報を整理し、当時から噂された死因についてまとめ、最後の写真が楽曲も紹介して見たいと思います。
志村正彦は自宅のパソコンの前で死去。当時は自殺説や急性アルコール中毒の説があった
志村正彦さんは、2009年12月24日に自宅で遺体となって発見されました。
担当マネージャーが志村さんと連絡が取れないことを不審に思い、25日に訪問した際に発見。
志村さんの死去は、発見された当日12月25日のうちに公式ホームページから発表されました。
同月にはライブに出演しており、29歳の若さで急逝、それで検死の結果「病名不明」というのは、明らかに違和感があります。
亡くなった当初、死因は不明とされ、自殺説、お酒説など色々と憶測が立てられました。
志村正彦の自殺は先輩バンドマンの和田唱がブログで否定
29歳の若さで急逝された志村正彦さんですが、死因を巡っては”自殺説”も出ていました。
目立った病気などしておらず亡くなった同月にはライブにも出演し、亡くなる後の日にもフェス出演が予定されており、”体調不良で辞退”などのアナウンスもありませんでした。
29歳の若者が唐突にこの世を去るとなると、自殺の可能性が高いとされたのです。
生前に志村さんと親交があった先輩ミュージシャンの和田唱さんは、死去が発表された翌日の2009年12月26日にブログを更新。
志村さんの死を悔やみながら、翌年2010年1月3日に追記で「関係者から自殺ではないことを確認した」とし、噂されている自殺を否定。
また、翌年に発売された2010年2月号「TONE」では、志村さんの最後のインタビューがあり、
「30代になる来年、本当に楽しみなことばっかりですよ」
「来年の7月に大きなライブがある」
など、近い将来の希望を語っているなどし、とても自殺を考えている人とも思えない発言をしており、自殺の線は完全に消えました。
急性アルコール中毒の説。前日にART-SCHOOLの飲み会に参加
自殺説の他にも”お酒説”も言われていました。
フジファブリックの楽曲「パンチドランカー」は志村さんがお酒に溺れていた頃に作ったという逸話があるなど、酒好きとして知られています。
志村さんは亡くなる前日の23日にも夜に飲み会に参加し、飲んだ後は交際していた彼女が自宅まで送り届けていたのです。
そのことから、飲み会でお酒を飲み過ぎて急性アルコール中毒を発症して帰宅後に帰らぬ人になったのでは?との憶測がされたのです。
その説に対しては、前日の飲み会を主催したバンド「ART-SCHOOL」のボーカル・木下理樹さんの「志村さんはほとんどお酒を飲んでいなかった」との証言から、否定されました。
自宅に送り届けた恋人も志村さんから「大丈夫」と言われ別れたことからも、急性アルコール中毒説は無しと言えます。※この恋人が椎名林檎の説がありましたがガセネタです
それでも、「飲み会では1杯だけ飲み、帰宅後に自宅で追い酒したのでは?」との憶測もありましたが、志村さんは2007年頃から健康や仕事の進行を気にしてか、ぼっちの深酒を控えており、その可能性は低いです。
そもそもアルコールで亡くなっていた場合、検死でアルコール反応が出て発表されているはずなので、お酒の説は最初から無理があったと言えます。
志村正彦のブログ。死因は不整脈が現実的?不健康な食生活と過労&寝不足
クリスマスイヴに自宅のパソコンの前で椅子に腰掛けたまま眠るように亡くなっていた志村正彦さん。
生前は睡眠時間が2時間の上に、常に創作作業に取り憑かれていたそう。
亡くなる14日前の12月10日に更新された志村さんは自身のブログの中でこそ、
1ツアーやるとなると、1ツアーに1回は必ず風邪をひいていた過去のフジファブリックですが、最近全然ひきません。
体調もかなり良好です。
どこも痛くも痒くもない。
インフルエンザが流行っているみたいですが、僕らは大丈夫です。
ここまで健康だとなんか…年末にこう…風邪が来そうで怖いのです。
まあ、ひいている暇など微塵も無いのですが。
でも、かかってしまう時はかかりますよね。分かります。どんだけ、予防接種しても、マスクしても、栄養つけても、かかる人はかかります。そりゃあ仕方ないですわ。
なったら治すだけですね。
もうこうなったら、フツーにライブの無い来週あたりにむしろ風邪ひいときたい。
と、健康の健全を訴えていました。
ただ、少し前の記事には、
- 医師に仕事休まないと早死にすると言われた
- 体調が悪くて体重が40キロ台に入りそう
- スランプで焦る
などの記述がありました。
生前の志村さんは主食がミンティアとコーラという不健康な食生活。
死後の志村さんのお墓にはファンからコーラのお供物がたくさん置かれていたほどです。
同年2009年のドキュメンタリーでは、フラフラになって作詞作曲作業に取り組む志村さんの姿が映し出されており、日頃からストイックに創作を活動に取り組んでいたことが伺えます。
志村正彦は過労と栄養失調が原因で心疾患(致死性不整脈)が現実的?
極端で不健康な食生活に加えて、睡眠時間2時間の過労、そして制作活動のストレス。
現在の段階では、志村正彦さんの死因は過労や栄養失調が原因の心疾患(致死性不整脈)との見方が現実的だとされます。
有名人が不整脈や心疾患で亡くなると詳細を公表されないケースが多く、志村さんもそれに該当したと思われます。
死後、すでに10年以上が経過し、死因の追加情報がないことから、その可能性は極めて高いです。
志村正彦の最後の曲と最後の写真
2009年の12月にこの世を去った志村正彦さん。
当初、死因を巡って「亡くなるギリギリの頃はガリガリだった」との噂があったことで、12月付近の志村さんを収めた写真を求める方が続出しました。
志村さんが最後に公に姿を現したのは亡くなる11日前の2009年12月13日にZepp tokyoで行われた「tacica ’09三大博物館」です。
同イベントで共演したTRICERATOPSの和田唱さんは、志村さんの死後にすぐにブログで追悼。
その追悼記事では、和田さんが志村さんと一緒に撮った写真がアップされていました。
いつ頃に撮ったツーショットなのか分かりませんが、仮に13日の共演時に撮ってたとしたら、この写真が志村さんの最期に最も近い時期の写真となります。
極端に痩せてる印象はなく、”いつもの志村さん”です。(顔色が少し悪い?)
ライブに行った人のレビューにも、志村さんがガリガリになっていたという感想などはありません。
もし、この写真が12月13日のイベントの際に撮影したものではない場合は、約2ヶ月前の5周年ツアーでの写真が最後になります。
10月23日の新宿年金会館でのライブ写真です。
2019年に発売された2009年の志村さんを収めたコンテンツの特典にこの写真のポストカードが付属されています。
死後によく公式などで使用される写真であるため、この写真が最後のライブフォトである可能性が高いですね。
また、亡くなる直近で撮影されたとされる2010年2月号「TONE」での志村さんの写真を見ていても激痩せしてる様子ではありませんでした。
いずれにせよ、ファンの前に姿を現していた頃までは、ガリガリとは言えず、本人のブログからも痩せたのは12月24日まで1週間ほどの期間だった、もしくはガセネタ(激痩せ)ということになります。
志村正彦の最後のアルバム「MUSIC」。音源は生音で公表
志村正彦さんの最後の作品は、翌年2010年7月28日に発売された5枚目アルバム「MUSIC」です。
# | タイトル | 作詞 | 作曲 |
---|---|---|---|
1. | 「MUSIC」(ボーカル: 志村正彦) | 志村正彦 | 志村正彦 |
2. | 「夜明けのBEAT」(ボーカル: 志村正彦) | 志村正彦 | 志村正彦 |
3. | 「Bye Bye」(ボーカル: 志村正彦) | 志村正彦 | 志村正彦 |
4. | 「Hello」(ボーカル: 志村正彦) | 志村正彦 | 志村正彦 |
5. | 「君は僕じゃないのに」(ボーカル: 志村正彦) | 志村正彦 | 志村正彦 |
6. | 「wedding song」(ボーカル: 志村正彦) | 志村正彦 | 志村正彦 |
7. | 「会いに」(ボーカル: 山内総一郎) | 加藤慎一・志村正彦 | 志村正彦 |
8. | 「パンチドランカー」(ボーカル: 志村正彦) | 志村正彦 | 志村正彦 |
9. | 「Mirror」(ボーカル: 山内総一郎) | 志村正彦 | 山内総一郎 |
10. | 「眠れぬ夜」(ボーカル: 志村正彦) | 志村正彦 | 志村正彦 |
これらの曲が、発売された志村さんが作った最後の曲群といって良いでしょう。
このアルバムは作詞作曲こそ志村さんですが、しっかりとレコーディングなどが済んでいなかったことから、他メンバーらが力を合わせて完成させた作品です。
いくつかの曲は志村さんの生歌のまま収録されており、それが素の志村さんらしさが出ていてファンには好評のようです。
最後のアルバムのタイトルが「ミュージック」というのも、何か良いです。







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