歌手の”藤あや子”さんといえば、古くから”魔性の女”の異名を持ちます。
年齢不詳の美しさに加えて、ミステリアスなオーラ、歌唱に垣間見る深みある表現力、そして影のある男性遍歴がその理由です。
今日は、藤あや子さんの最初の旦那や、その後の恋人などのスキャンダルを整理してみたいと思います。
藤あや子はデビュー前に授かり婚。旦那は高校時代から交際の2歳年上
藤あや子さんは歌手としてデビューする前の1981年の21歳の頃、最初の結婚をします。
結婚した同年に第一子の長女・未来(みく)が誕生しており、”授かり婚”であることが分かっています。
旦那は藤あや子さんとよりも2歳年上で、彼女が16歳の頃から交際を続けてきた男性・Fさんです。
職業はトラックの運転手の一般人男性でしたが、かつては地元で暴走族をやるなどヤンチャな方だったようです。
Fさんは藤あや子さんが高校生の頃から交際を続けてきた方で、お互いに裕福ではなかったことから、純粋な恋愛だったことが伺えます。
ちなみに藤あや子さんは結婚する直前の19歳の頃、地元・秋田で開催された「ミス花嫁コンテスト」で優勝しており、一般人ながらも田舎では目立った夫婦だったようです。
藤あや子の最初の結婚は1年で終わる。旦那は離婚後に自殺
1981年に最初の結婚をした藤あや子さんですが、その僅か1年後の1982年には離婚します。
離婚の理由は不明ですが、「うつ病」や「旦那が定職に就かずフラフラしていた」など言われています。
21歳にして母親になり、産後うつなどで夫婦関係がギクシャクしたなどの憶測もあります。
離婚後も、元旦那は娘との面会が許されていたそうです。
元夫が自殺した理由は?週刊誌に三味線の師匠と1年間の事実婚
元旦那は、離婚後に自殺。
自殺の詳細は不明ですが、愛する嫁と1歳の我が子と別れたショックから自死を選択したのでは?と言われています。
また、藤あや子さんは離婚後に農業と兼業して民謡グループに所属し、ホテルや老人ホームを回っていた際に、三味線の高橋さんと婚約をしたことが、元夫の自殺の理由との説もあります。
なんとも、藤あや子さんは三味線の師匠・高橋さんと1986年の25歳の頃に秋田県大曲市で挙式までしていたとのことです。
相手の高橋さんは藤あや子さんと同じくバツイチの子持ちで、元嫁と離婚後は数百万単位の慰謝料を払っていながらも、藤あや子さんにぞっこんだったとか。
入籍はせずに事実婚という関係になり、元夫はそのことを知って「子供に自由に会えなくなるから辞めてくれ」と反対。
晩年にはシンナーに溺れ、1986年に自宅のかもいにスカーフをかけ首吊り自殺。
1年後に藤あや子さんが元夫の死から人の人生の短さを悟り、再婚相手を捨てて音楽の道に走ったとされています。
これらの出来事は藤あや子さんが歌手としてデビュー前のことで、後追いで伝えられたのみで基本的には詳細は不明。
元旦那が亡くなったのは離婚した1982年同年という情報も残っていたり、上記のように1986年とも言われていたり、あまり整理されていません。
2006年に週刊誌が藤あや子さんの過去を報道し、訴訟問題となり、結果的には週刊誌に賠償命令が下されました。
そのことから、デビュー前の情報は曖昧とも受け取れます。
デビュー後にレコード会社のディレクターと不倫関係。別れ話後に藤あや子の自宅で自殺
藤あや子さんは1982年に前夫と離婚後、1985年にテレビ番組 『勝ち抜き歌謡天国』に出演。
本名の「高橋真奈美」として出場し、見事に優勝。
1987年には「村勢真奈美」の芸名で歌手デビューを果たし、1989年にはお馴染みの芸名「藤あや子」として再デビュー。
デビュー後はすぐに売れることはなく、長い下積み生活が強いられました。
徐々にブレイクの兆しが見えてきた頃、藤あや子さんは所属するレコード会社の既婚男性・Iさんと不倫関係に陥ってしまいます。
不倫相手・Iはソニーミュージックの大阪支社で演歌の宣伝を担当し、藤あや子さんのプロモーションなどを担当していました。
一緒に地方のキャンペーンを回るうちに不倫関係になったとのことです。
当時の藤あや子さんは一児の母でもありブレイク前夜の歌手でもあり、かなり複雑な状況でした。
不倫相手は別れ話が出始めた時期に藤あや子の自宅マンションで自殺
藤あや子さんとディレクターの不倫は長く続きませんでした。
元々、Iさんはソニーミュージックに所属歌手に手を出したことが問題視されていました。
Iさんは藤あや子さんと一緒になるために妻子持ちでありながらもソニーを退社するなどグチャグチャ。
1991年頃から、藤あや子さんはスキャンダルを懸念し、不倫関係を解消したがります。
一方で不倫相手・Iさんは、藤あや子さんに完全に惚れ切っており、別れを拒絶。
そんな矢先、1991年1月6日に不倫相手の男性が藤あや子さんの東京の自宅で自殺してしまいました。
第一発見者は、当時10歳の藤あや子さんの長女だったそうです。
この事実はリアルタイムでは伝えられず、後追いで報じられファンを驚かせました。
ちなみに、皮肉にも藤あや子さんは不倫相手が自殺した翌年1992年に「こころ酒」がヒットし、その後も順調に売り上げを伸ばし、紅白出場と全国区の歌手に上り詰めました。
木村一八と真剣交際も逮捕が原因で破局
藤あや子さんは2003年の42歳の頃に、8歳年下の俳優・木村一八さんとの熱愛が報じられます。
当時すでに2人は交際半年で半同棲中であり、お互いの家を行き来し食事を共にするなどしている様子が報じられました。
馴れ初めは2002年頃に共演した舞台で、木村一八さんから藤あや子さんに惚れ、格差があるも懸命に口説き、交際に発展したとのことでした。
二人は交際報道をを認め、木村一八さんは公の場で「結婚を前提に交際している」と真剣交際であることを明かしていました。
破局原因は木村一八の逮捕歴や素行問題で事務所の反対
藤あや子さんと交際していた木村一八さんは破天荒芸人・横山やすしさんの長男です。
木村さんは父のDNAが強く、若い頃から素行不良が問題になっていました。
19歳だった1988年にタクシー運転手に暴行を加えて傷害容疑で逮捕。
1992年にドラマ「十年愛」で俳優として芸能活動に復帰しましたが、3年後の1995年にはアメリカ人の少年を相手に暴行を加えたとして2度目の逮捕。
そんな木村さんとの交際だったため、当初から藤あや子さんの事務所は2人の交際に反対でした。
所属事務所から別れるように再三にわたり説得された藤あや子は、結局結婚を迎える前に別れを切り出し、木村一八とは約1年ほどの交際期間を経て破局を迎えました。
破局後の2006年3月に木村さんは日本刀を持ち歩いてたとして銃刀法違反で逮捕。
後に、美術品であることが発覚し不起訴となりましたが、仕事の量が激減。
元恋人の木村さんの逮捕同年に藤あや子さんのデビュー前の男性関係の報道も重なり、”魔性の女”というイメージが色濃くなりました。※その他に藤あや子所属のバーニングの根回しという都市伝説も残りました





















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