
昭和の芸能界最強のプレイボーイだった”ショーケン”こと萩原健一さん。
2019年に68歳で亡くなるまでに4度の結婚を経験。
結婚の回数もすごいですが、その合間に出た熱愛報道の数も尋常じゃないほど多いです。
今日は、ショーケンさんが亡くなるまでに噂になった女性らを分かる範囲で整理してみたいと思います。
また、アントニオ猪木さんから倍賞美津子さんを奪った都市伝説なども兼ねて紹介してみたいと思います。
ショーケンと熱愛報道が出た女性達一覧。元カノたちは見事なまでに美女揃い!
ショーケンさんが過去に結婚した小泉一二三さん、いしだあゆみさん、島田由紀さん、冨田リカさんに関しては別記事で詳細を書いています。
この記事では、ショーケンさんと結婚はしていないものの、熱愛報道、または交際の噂があった女性達についての情報に絞って整理してみたいと思います。
交際してきた女性の特徴としては、”年上”であることと、身長が日本人平均よりも大きい”高身長”の女性が多いです。
また、顔も可愛い系よりも綺麗系ばかりで、女性の好みはとてもわかりやすいです。
時期(年齢) | 相手 | 年 | 身長 |
1970年前後(20歳) | 江波杏子 | 8歳上 | 160 |
1971年(21歳) | 范文雀 |
2歳上 | 174 |
1972年(22歳) | 岸恵子 | 18歳上 | 161 |
1974年(24歳) | 桃井かおり | 1歳下 | 162 |
1975年〜1978年※結婚 | 小泉一二三 | 2歳上 | おそよ175 |
1978年〜1983年※結婚 | いしだあゆみ | 2歳上 | 163 |
1983年(33歳) | 樋口可南子 | 8歳下 | 165 |
1983年(33歳) | 藤真利子 |
5歳下 | 160 |
1985年11月〜1993年(35歳〜43歳) | 倍賞美津子 | 4歳上 | 163 |
1985年(35歳) | 前橋汀子 | 7歳上 | 不明 |
1993年(43歳) | 石田えり | 10歳下 | 162 |
1996年〜2006年※結婚(46歳〜56歳) | 由紀 | 不明 | 不明 |
2011年〜2019年※結婚(61歳〜68歳) | 冨田リカ | 12歳下 | 167 |
芸能界で初めての彼女は8歳年上の江波杏子。大映の問題児で若きショーケンを口説いた
ショーケンさんが芸能界に入って初めて熱愛の噂が出た相手が8歳年上の女優・江波杏子(えなみきょうこ)さんです。
江波杏子さんは東京出身で母・江波和子は戦前に活躍した女優で、父は千駄ヶ谷で割烹大関を営んでいました。
母を幼少で亡くした父子家庭で育ち、幼少期はシャイでしたが小学生の頃に観た洋画で女優に興味を持ち、中学生にして母の女優業を注ぎたいと志し、宝仙学園高等学校に進学した16歳の頃に大映のオーディションに申し込み合格。
デビュー後は悪女や情婦などの役柄を中心に助演を続け、1966年に「女の賭場」で主演を張り大ヒット。
街で本職の人に気さくに話しかけられるなど、悪女のイメージが強い女優となりました。
名前 | 江波杏子(えなみきょうこ) |
生年月日 | 1942年10月15日 |
没日 | 2018年10月27日(76歳) |
出身地 | 東京都東京都渋谷区千駄ヶ谷 |
血液型 | A型 |
身長 | 160センチ |
大映時代は新人でありながらも露出の多い挑発的な私服で街をで歩いたり、大映の上下関係を切り捨てたり、かなりの問題児として知られていました。
ショーケンさんとは彼がテンプターズでバリバリ活躍していた頃に雑誌「明星」での対談がきっかけで出会いました。
ショーケンさんの強いリクエストで六本木のレストラン「キャンディ」で江波さんと対談しましたが、ショーケンさんは一方的に江波さんに可愛がられるだけでした。
初対面の頃のショーケンさんはまだ10代の未成年でしたが、彼女はテンプターズのファンだと彼を照れさせアプローチ。
ショーケンさんは「歌えなくなっちゃいますよ」と、押され気味でした。
ショーケンさんは江波さんに惚れ込み、テンプターズの仕事の打ち上げもショーケンさんだけは出席せずに彼女の実家のお店「大関」に通い、父親からも気に入られ、私生活での親交も深まりました。
江波さんがヌード写真を出すと、ショーケンさんはわかりやすくショックを受け、江波さんは「もう脱がない」と約束したそう。
2人の関係が深かったことは確かですが、江波さんはショーケンさんについて何を聞かれても「可愛い」としか言わずにはぐらかし、最後までしっかりと交際は明言されませんでした。
最初に噂になった相手が昭和の悪女のアイコンというのもショーケンさんらしくて流石ですね!
ショーケンは2歳年上の台湾国籍の美人女優・范文雀と半同棲も岸恵子と浮気
ショーケンさんと2回目に噂になった女性は2歳年上の女優・范文雀(はんぶんじゃく)さんです。
范文雀さんは戦後の1948年4月15日に東京都中野区に、音楽家の台湾人の父との間に一男一女の長女として生まれ、国籍は台湾でありましたが、両親ともに日本育ちで中国語は話せませんでした。
父は5歳の時に帰国、母、兄とともに広島市の祖父母宅(中華料理屋「「胡蝶園」)へ身を寄せましたが、実の祖父ではなく、中国の家での使用人が祖母の愛人として同居し、実の家長は祖母という複雑な子供時代を過ごしました。
文雀さんだけが祖母に溺愛され広島市栄橋の本宅で贅沢暮らし、母と兄と父(3年後に帰宅)は古い従業員寮の一部屋で暮らし、家族が東京に移住した際、祖母が文雀を離さず、彼女だけが15歳で東京に家出するまで広島で過ごすことになりました。
学歴は広島ノートルダム清心中学校を経て清泉女子大学英文別科を卒業し、1970年に上智大学外国語学部比較文化学科に入学と、学業は優秀でした。
名前 | 范文雀(はんぶんじゃく) |
生年月日 | 1948年4月15日 |
没日 | 2002年11月5日(54歳) |
出生地 | 東京都中野区 |
出身地 | 広島県広島市 |
身長 | 174センチ |
血液型 | O型 |
ショーケンさんと范文雀さんの出会いは1971年の映画「めまい」での共演です。
テンプターズ解散直後の初めて個人として出演した映画でした。
当時のショーケンさんは21歳で、范文雀さんは23歳でした。
共演後に2人は半同棲生活を送りました。
2人の交際が何年続いたのか不明ですが、1972年に岸恵子さんと共演して以降から隠れて会うなど、次第に彼女との半同棲も解消され自然とフィードアウトしたとされています。
范文雀さんは1973年に寺尾聡さんと結婚することになるので、それより1年以上前にはショーケンさんとの関係も終わっていたことでしょう。
「約束」で既婚の18歳年上の女優・岸恵子と共演しパリで密会を繰り返す
ショーケンさんは1971年に共演した范文雀さんと半同棲しながらも、翌年1972年に「約束」で共演した18歳年上の女優・岸恵子さんと密会を繰り返します。
当時、ショーケンさんは22歳で、岸恵子さんは40歳でした。
名前 | 岸恵子 |
生年月日 | 1932年8月11日 |
出身地 | 神奈川県横浜市 |
身長 | 161センチ |
岸恵子さんは1957年に11歳年上のフランス人映画監督のイヴ・シャンピさんと結婚し、1963年に長女を出産し、パリ在住の既婚者でした。
当初「約束」は、ショーケンさんは助監督として関わっており、岸恵子さんの抜擢はショーケンさんがファンだったことが理由です。
ショーケンさんは岸さんの送迎運転手や買い物を手伝っていたのですが、岸さんが彼を気に入り、監督に『萩原君みたいな相手役がいい』と進言したことでショーケンさんも出演することになったのです。
初対面の際、「少年との芝居は嫌だ」と岸さんが発言していた為、ショーケンさんは自己紹介の際に年齢を上にサバ読んで言ったそう。
キスシーンの撮影では、岸さんが本当に舌を入れてきてショーケンさんは動揺してNGを連発、監督に「何度もしたくてわざとだろ」と怒られたそう。
「約束」の撮影が終わった後も2人の関係は続き、岸さんは既婚者でありながらもパリでショーケンさんとの密会を繰り返しました。
実は岸さんはショーケンの前には作家の小田実氏と約2年間交際があるなど、フランス流のプレーガールとして知られていたため、ショーケンさんとも不倫関係にあると思われました。
岸さんはショーケンさんと噂になった翌年1973年にはフランス人の旦那と離婚。
別れた原因にショーケンさんの存在があったかまでは不明です。
ちなみに2人の関係はあくまで純粋な姉と弟で、不倫関係になかったとの見方もあります。
「約束」の出演を悩んだ際にショーケンさんが恋人の范文雀さんに相談していたこと、1974年にショーケンさんが小泉さんと結婚し娘が生まれると、岸さんが娘に名付けようとしていた「羽衣子(ういこ)」の名前をショーケン夫婦に渡したなど逸話があります。
また、離婚後の1975年に「雨のアムステルダム」で再共演していることがあります。
2000年頃に岸さんの母が亡くなった際にも最初に駆けつけてくれたのがショーケンさんだったなど、仮に離婚の火種になるような関係だったとしたら違和感があります。
2019年のショーケンさんが亡くなった直後のトークショーで岸さんは、
「本当にショックでした。ショーケンは素晴らしく才能のある方でした。弟のようにしていましたから」
と発言しており、そこに恋愛感情があるような雰囲気はありませんでした。
1974年の「青春の蹉跌」で共演した”桃井かおり”。初めての年下も初婚の嫁・小泉一二三との2股が怪しい
ショーケンさんは1974年に映画「青春の蹉跌」で1歳年下の桃井かおりさんと共演。
作品の中での熱烈なシーンから恋仲が疑われました。
若き日のショーケンさんが年下の女性と噂になるのは初めての例でした。
実は2人は1973年に同じ「太陽にほえろ」に出演していましたがそちらではガッツリとした絡みはなく、1974年の「青春の蹉跌」でついにしっかりと共演。
当時のショーケンさんは共演する女優と必ず恋仲になるという”共演者キラー”のイメージが付き纏っていたために、桃井かおりさんとの恋仲も噂が先行していました。
名前 | 桃井かおり |
生年月日 | 1951年4月8日 |
出身地 | 東京都世田谷区 |
身長 | 162センチ |
2人が恋仲になっていたのは確かだったようですが、お互いの口からハッキリとした言及はなく、「本当はそういう仲ではない」と考える人もいました。
しかし、ショーケンさんが亡くなった後、ジャズライターでラジオプロデューサーの小西啓一氏がラジオ番組で、若き日の桃井かおりが廊下でショーケンさんを待っているところを目撃したなど、信ぴょう性あるソースからの証言も出ています。
桃井かおり以降のショーケンの女癖が最も最悪?初婚の小泉一二三との二股や”いしだあゆみ”との不倫
ショーケンさんは1973年に「太陽にほえろ」で共演した小泉一二三さんと恋仲になっています。
ショーケンさんは1975年に小泉さんと結婚し、同年には第一子の娘が生まれています。
時期的に桃井かおりさんと交際していたのは一時期的で、下手したら桃井さんと小泉さんが被っていた(2股)可能性も高いですね。
ちなみにショーケンさんと小泉さんの結婚生活はすぐに破綻状態となり、1977年には「祭りばやしが聞こえる」で共演した”いしだあゆみ”さんと不倫関係になっています。
翌年1978年には”いしだあゆみ”さんとの不倫報道が出て、その9日後には小泉さんと離婚。
そして、1980年には”いしだあゆみ”さんと2度目の結婚をするというジェットコースターのような流れでありました。
2度の逮捕で”いしだあゆみ”との結婚生活が破綻した頃に「もどり川」で共演した樋口可南子or藤真利子
ショーケンさんは”いしだあゆみ”さんと結婚した当初はラブラブでしたが、1983年に大麻所持で逮捕されると、翌年1984年には飲酒運転で再逮捕、同年の内に離婚することとなります。
いしだあゆみさんとの離婚理由はショーケンさんの度重なる逮捕劇が原因だと思われていますが、一部では離婚前年に出演した映画「もどり川」で共演した女優との不倫が理由では?と言われています。
ショーケンさんがいしだあゆみさんと既婚中に出演した「もどり川」は人気女優である樋口可南子さんや藤真利子さんとのラブシーンがあるなど、色々と荒れた作品でした。
2人のどちらか、もしくは2人と不倫をしていたのではないか?と言われているのです。
特に樋口可南子さんに限っては、神代(くましろ)辰巳監督と取り合ったという噂もあるほどなので、樋口さんの線は間違いなさそうです。
ヴァイオニストの前橋汀子と交際。同じ時期に倍賞美津子と不倫関係
ショーケンさんは1985年頃からヴァイオリニストの前橋汀子さんと交際。
当時の前橋汀子さんは”美しすぎるクラシック奏者”として、伊丹十三や深田祐介、蜷川幸雄さんなどとも噂がありました。
名前 | 前橋汀子(まえはしていこ) |
生年月日 | 1943年12月11日 |
出身地 | 東京都練馬区 |
職業 | ヴァイオリニスト |
ショーケンさんと前橋汀子さんの交際は週刊誌にも撮られましたが、交際期間自体は長くなかったようです。
ある前橋さんのコンサートで最前列のショーケンさんがいびきをかいて中断になったという都市伝説もあります。
同じ時期に倍賞美津子さんとも週刊誌に撮られていたので、もしかしたら2股だったのかもしれませんね。
倍賞美津子さんとの交際については別記事で詳細を書いています。
倍賞美津子と破局し石田えりと交際
ショーケンさんは1985年に倍賞美津子さんとW不倫をし、その後に賠償さんが夫・アントニオ猪木さんと離婚。
猪木さんと離婚した後は堂々と同棲交際を続け、事実婚当然の関係でありました。
しかし、1993年にドラマ「課長サンの厄年」で共演した10歳年下の女優・石田えりさんとの浮気が発覚。
石田えりさんの熱愛報道と同時に、賠償さんはショーケンさんと暮らしていた自宅を飛び出し破局。
名前 | 石田えり |
生年月日 | 1960年11月9日 |
出身地 | 熊本県八代市 |
血液型 | A型 |
身長 | 162センチ |
石田えりさんは1984年に自身のアルバム「ゆれてもゆれても」のレコーディングで出会った芳野藤丸さんと1985年に結婚。
しかし、5年後の1990年に離婚。
離婚会見では石田さんが包丁を握るほどの大喧嘩を繰り返したことを告白し、記者をドン引きさせ、終いには、
「結婚生活そのものには懲りていないんです。理想の形で愛し合える人ならば、また結婚します。男、好きなんですよ(笑)」
と「結婚には懲りない」「男好き」と宣言とまでしていました。
離婚会見で「男好き」の宣言した3年後に、芸能界のプレイボーイであるショーケンさんを賠償さんから略奪したのは、何か特別な縁があるように思えます。
ちなみにショーケンさんは1996年に一般人のヘアメイクアーティストの島田由紀さんと結婚しており、石田えりさんは長く続きませんでした。