尾崎豊さんといえば、生前は妻子持ちの父親として知られていました。
そして、亡くなる手前まで、女優・斉藤由貴さんと不倫関係にあったことも有名です。
今日は、尾崎豊さんの当時の斉藤由貴さんとの不倫について書いてみたいと思います。
2人の出会いから、不倫発覚、破局後、亡くなった後の斉藤由貴さんの様子など、わかっていることを時系列でまとめてみます。
尾崎豊と斉藤由貴の不倫時系列。留置所でグラビアに惚れる→対談熱望→不倫→I LOVEYOU発売→破局の半年後に変死
1987年12月22日 | 覚醒剤取締法違反で逮捕。留置所で斉藤由貴のグラビアに救われる。 |
1988年5月12日 | 2歳年下の一般人女性・繁美と結婚 |
1989年7月24日 | 嫁・繁美との間に第一子の長男・裕哉が誕生 |
1990年秋 | 11月発売の「月刊カドカワ」で尾崎豊の希望で斉藤由貴と対談し出会う。恋仲になる |
1991年1月 | 斉藤由貴と北海道で不倫旅行 |
1991年4月 | 91年1月に2人が一緒にいるところを一般人が撮影し「フライデー」に載る |
1991年3月 | 尾崎豊の「I LOVE YOU」発売。歌詞の内容に「許されない」など不倫を匂わす言葉。※実際には10代の頃に作った曲 |
1991年5月7日 | 斉藤由貴が囲み会見。「同志」と発言し不倫関係を否定せず |
1991年10月 | 尾崎豊と斉藤由貴が別れる |
1992年4月25日 | 尾崎豊が死去 |
1993年12月 | 斉藤由貴が川崎麻世と不倫 |
1994年 | 斉藤由貴がモルモン教の小井延安氏とスピード婚 |
尾崎豊は88年に結婚し翌89年に長男が誕生。90年に斉藤由貴と対談で出会う
尾崎豊さんは20歳の頃に2歳年下の一般人女性・繁美さんと出会い、1988年5月12日の尾崎さんが22歳の頃に結婚。
結婚した嫁の繁美さんとの出会いなどは別記事に詳細を書いています。

結婚した翌年の1989年7月24日に長男となる裕哉さんが誕生。
長男が誕生する前後のことについても他記事で詳細を書いています。

尾崎豊さんと斉藤由貴さんが最初に出会ったのは、子供が生まれて僅か1年後でした。
斉藤由貴さんとは1990年11月発売の雑誌「月刊カドカワ」での対談で出会いました。
この対談は尾崎豊さんの方から熱望して実現しており、対談内容では尾崎豊さんの方から斉藤さんに歩み寄るような言葉が並びました。
実は、尾崎豊さんは1987年に麻薬取締法違反で逮捕された際、留置所にあった斉藤由貴さんのグラビアに癒され、そこで「太陽の破片」を作曲、同曲で復帰し久々のヒットを記録。
当時の尾崎豊さんからすれば、斉藤由貴さんは悩める時期に光を与えてくれた恩人だったのです。
対談後の91年1月に北海道小樽で不倫旅行。報道前発表の「I LOVE YOU」の歌詞に”許された恋じゃない”
1990年の秋に雑誌の対談で出会った2人ですが、すぐに不倫関係となりました。
そして、1991年1月には2人でお忍びで北海道小樽に不倫旅行。
旅行先で、一般人の方に仲睦まじく肩と顔を寄せ合いながら買い物する姿を撮られてしまいます。
その写真は、同年4月6日発売の写真週刊誌「フライデー」に掲載され、2人の不倫関係は世間に知られることになります。
最愛の妻と生まれて間もない赤ちゃんがいる身でありながらの不倫ということで、当然のように世間からは大バッシング。
また、フライデーによって不倫報道が出る1ヶ月前の3月21日に発売された名曲「I LOVE YOU」の歌詞には、
”何もかも許された恋じゃないから”
”ひとつに重なり生きていく恋を夢見て傷つくだけの2人だよ”
など、儚い不倫を連想さす内容であったことから、「もしかして不倫を肯定してる?」と、油に火を注ぎました。※実際の同曲は1983年発売の『十七歳の地図』のシングルカット
尾崎豊と斉藤由貴の不倫は1991年10月で終了。破局から半年後に死去。モルモン教の影響?
1991年4月に不倫報道が出ると、1ヶ月後の5月7日に斉藤由貴さんが囲み取材。
報道陣に囲まれた斉藤由貴さんは、不倫関係については曖昧な発言を続け、あくまで「同志」と発言。
それでもハッキリと不倫関係を否定しなかったことから、2人の不倫は事実と受け取れました。
その後、不倫報道が出てから半年後の1991年10月に2人は破局。
破局の理由に関しては、斉藤由貴さんが信仰してるモルモン教の影響では?と噂される一方で、”実はまだ不倫は終わってないのでは?”と疑う声もありました
実際は不倫発覚後に親族から妻子の元に戻るよう説得があり、妻子のために別れたとのことで、それらはただの噂でした。
これから崩壊しかけていた家族を建て直そうという時期でしたが、斉藤さんとの不倫が終わってから半年後の1992年4月25日に尾崎豊さんは変死しました。
斉藤由貴は尾崎の死を聞き泣き崩れドラマのリハーサルを中止し帰宅
斉藤由貴さんが尾崎豊さんの死の知らせを聞いたのは、出演中のドラマのリハーサル中でした。
尾崎豊さんの死を知った斉藤由貴さんはその場で泣き崩れ、立ち上がることができなかったそうです。
そのまま事務所の車に乗って帰宅することになり、リハーサルは急遽中止。
当時の斉藤由貴さんの市村マネージャーが取材陣に囲まれて説明。
死の直前まで不倫関係が続いているとの噂を牽制してか、「最近は連絡を取っていなかった(斉藤が)」と、あくまで友人関係であることを強調。
すでに不倫関係ではなかったことは事実のようですが、仕事にならないほどの落ち込みようだったことから、その時の斉藤由貴さんには、まだ尾崎豊さんへの未練があったのでは?と思われました。
斉藤由貴は尾崎豊が死去した翌年にも川崎麻世と不倫。その後に結婚するも不貞行為を繰り返す
尾崎豊さんの死後、傷心だった斉藤由貴さんですが、亡くなった翌年の1993年7月16日に今度は川崎麻世さんと不倫報道が出ました。
僅か2年前まで尾崎豊さんと不倫関係にあり、彼の死後は辛そうにしていただけに色々と驚きでした。
川崎麻世さんとは1992年の舞台で共演したことで惹かれ合い、多い時で週6日も密会不倫を続けていたとのことです。
カイヤさんに見守られてるの謝罪会見は芸能界の歴史に残りました。
斉藤さんも同じく会見を開き、不倫をハッキリ認めました。
斉藤由貴さんは、この川崎麻世さんとの不倫の翌年1994年にはモルモン教の小井延安さん結婚し、その後に3人の子供が生まれます。
子供が大きくなった後の2017年に再び医師の男性とW不倫し離婚。
2017年の不倫相手の医師は、リビングで斉藤さんの下着を被ってる姿が週刊誌に載り、「下着医師」のようなあだ名が付けられていたりと散々でした。
尾崎豊にとって斉藤由貴は復活の光だった?「太陽の破片」「I LOVE YOU」の源。不倫常習犯のイメージが残念
尾崎豊さんと不倫関係にあった斉藤由貴さん。
実は斉藤由貴さんは、尾崎豊さんの前には渡辺謙さんと不倫していた時期もあったりと、不倫常習犯でありました。
相手 | 時期 |
渡辺謙(俳優) | 1986年 |
尾崎豊(歌手) | 1991年 |
川崎麻世(俳優) | 1993年 |
小井延安(モルモン教)※結婚 | 1994年 |
下着医師 | 2017年 |
不倫ばかりしていた斉藤由貴さんですが、尾崎豊さんにとっては大切な女性だったことは事実です。
晩年の尾崎豊さんは10代の頃に作った曲を超えられずに葛藤し、薬物に依存してるという壊滅状態。
斉藤由貴さんのお陰で「太陽の破片」を完成させ久々のヒット、新しい世界観への道が開けました。
不倫中に発売された「I LOVE YOU」には、それまでの代表作「15の夜」に筆頭するヒットを記録しました。
結果的に2人は別れてしまいましたが、斉藤さんが尾崎さんの創作活動に与えた影響は計り知れないです。
仮に2人が一緒になる世界線が見れたなら、もう少し尾崎豊さんを楽しめたのでは?とも思います。










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