
2019年3月に68歳で亡くなった俳優の”ショーケン”こと萩原健一さん。
生前は芸能界屈指のプレイボーイとして知られ、亡くなるまでに4度の結婚を経験しました。
妻子がいながらも共演者と恋仲になったり、夫子がいる美魔女に猛アプローチをかけて略奪したり、現代の芸能人では考えられない結婚、離婚、再婚を繰り返していました。
今日ショーケンが過去に結婚した歴代の嫁をまとめてみたいと思います。
ショーケンの結婚歴と子供。小泉ひとみ→いしだあゆみ→由紀→冨田ミカ
ショーケンさんの歴代の嫁と言われている方は4人います。
入籍せずに事実婚だったという噂がある方(いしだあゆみ)や、知られている4人以外にも事実婚のような関係の女性(倍賞美津子)がいたなど、正確には把握しきれていません。
倍賞美津子さんとの事実婚については別記事で詳細を書いています。
結婚〜離婚 | 嫁 | 子供 |
1974年〜1978年 | 小泉一ニ三(モデル) | 女1 |
1980年〜1984年 | いしだあゆみ(女優) | 無 |
1996年〜2006年 | 一般人(ヘアメイクアーティスト) | 無 |
2011年3月〜2019年 | 冨田リカ(モデル) | 無※相手が元夫の間に1人 |
最後に結婚した冨田さんが12歳年下ということで、若い女性が好きなイメージがありますが、実際は年上の女性が好きなようです。
初婚から2人目までの奥さんは2歳年上で、その他熱愛が噂された女性も年上女性が多いです。
ショーケンの初婚はモデルの小泉一二三。娘・羽衣子の養育費を着ぐるみや天地真理のバッグダンサーのバイトで払う
ショーケンが初めて結婚したのは1974年の24歳の頃でした。
初婚の相手は2歳年上のモデル・小泉一二三(ひとみ)さんです。
名前 | 小泉 一十三(ひとみ) |
生年月日 | 1949年 |
出身地 | 兵庫県 |
馴れ初めは1972年に出演したドラマ「太陽にほえろ」での共演でした。
結婚した翌年の1975年の4月に第一子の娘・羽衣子(ういこ)が誕生。
子供も生まれて結婚生活は順調だと思われましたが、子供が誕生して早々に雲行きが怪しくなりました。
いしだあゆみの略奪婚ではなかった?元嫁・小泉ははファッション関係で活躍し娘は美女に!
1977年に「祭ばやしが聞こえる」で”いしだあゆみ”さんと共演し不倫関係になるより前に、小泉さんとの結婚生活は破綻し、離婚協議が進められていました、
そして、1978年3月に、いしだあゆみさんとの不倫報道は出た9日後に正式に離婚となりました。
離婚後、娘の羽衣子さんは小泉さんが引き取り、ショーケンさんは補償金を払いました。
長女の養育費の支払いは毎月あり、俳優業ができない時期などは着ぐるみのアルバイトをしたそう。
『あの頃、払わなければならなかったのは補償金だけじゃない。毎月、小泉一十三さんに娘の養育費を送る義務もあった。
頭を抱えていたら、下馬二五七さんから、「ハギさん、アルバイトする? ぬいぐるみ着てもらうけど……」
やったよ、ぬいぐるみを着て。子供には、中にいるのがショーケンだなんてわかんなかっただろう。
スッテンテンなんだから、何だってやるさ。三カ月間、ぬいぐるみのアルバイトは一日も休まなかった。天地真理ショーのバックで汗だくになって踊ったこともある。
おかげで養育費の支払いは、一回も滞らせなかった』
娘の養育費のために、3ヶ月も休まずに着ぐるみを着て働いたそう、また芸能界の後輩に当たる天地真理さんのバッグで踊ったことまであったそうです。
ショーケンさんは娘が成人するまで、一度も養育費をサボらずに払い続けることができたそうです。
その後の妻子の情報は少ないですが、小泉さんはモデルの仕事を続け、70歳近くでも美しい姿を見せていました。
ファッションコーディネーターという仕事をされていて青森県弘前市で開催の「ファッション甲子園(2002年)」の審査員や、「GOOD DESIGN HYOGO(グッドデザイン兵庫)」の選定委員としても活躍。
元サッカー選手のリトバルスキーさんとの結婚の噂もありましらが、それはガセネタでした。
ある時期に当時学生だった娘と一緒に雑誌に載ったことがあり、その際、娘はとても美人だったそうです。
その後に娘の芸能界入りも予想されましたが、現在までに羽衣子さんらしいタレントは存在せず、今は一般人として静かに暮らしていると思われます。
いしだあゆみと2度目の結婚。2度の逮捕劇の末に離婚
ショーケンさんは小泉一二三さんとの結婚生活が破綻した後、1977年にドラマ「祭りばやしが聞こえる」で共演した”いしだあゆみ”さんと恋仲になります。
ショーケンさんとにとって”いしだあゆみ”さんは2歳年上で、芸能界の先輩でもありました。(売れたのも彼女が先)
いしだあゆみさんとショーケンさんの出会いと結婚、離婚までの詳細は別記事に書いています。
2人が恋仲になった時期は、小泉さんとの婚姻期間と被っているので、一応は不倫でした。
しかし、1978年3月にいしだあゆみさんとの熱愛が報道されると、その9日後に小泉さんと離婚。
いしだあゆみさんと恋仲になる前から、すでに離婚協議の話がまとまっていたということで、不倫報道後に小泉さんと大揉めすることはありませんでした。
世間的にはいしだあゆみさんの略奪婚というイメージがあり、世間からのバッシングもあり、さらにはいしだあゆみさんは両親からショーケンさんとの交際を反対も、いしだあゆみさんはショーケンさんへの想いを貫き、同棲生活を続行。
そして、1980年に正式に結婚することとなります。
結婚後に薬物や飲酒運転で逮捕。呆れて離婚するも”いしだあゆみ”は生涯独身を貫く
当時、ショーケンさんは30歳でいしだあゆみさんは32歳でした。
ただ、1983年にショーケンさんが大麻所持で逮捕。
それでもいしだあゆみさんは「彼を支える」と健気に宣言。
しかし、翌年には飲酒運転などで再逮捕。
これには、さすがのいしだあゆみさんも「呆れた」と離婚を決意。
結局、2人の間には子供も生まれず、わずか4年で結婚生活は幕を閉じました。
離婚後、いしだあゆみさんは多くの作品で深みのある美女を演じ大女優の道に。
これはショーケンさんとの結婚生活で傷付いたことが芸の肥やしになったと言われています。
生涯独身を貫いたのは、ショーケンさんを超えるほどの男性に出会えなかったからでは?と言われており、本人も結婚生活を「愛されていました」「私からしたら理想の夫婦だった」と回想。
2019年にショーケンが亡くなると、事務所を通じて「ご冥福をお祈りします」と声明。
2025年にいしだあゆみさんが亡くなった際、看取った妹が「人生に悔いなし」との言葉を証言しており、ショーケンさんと過ごした時間だけで結婚や出産の幸せも事足りたと解釈できます。
1996年に島田由紀(ヘアメイク・アーティスト)と3度目の結婚。逮捕や裁判沙汰が原因?
ショーケンさんは46歳になった1996年5月に3度目の結婚をします。
結婚相手はヘアメイクアーティストの島田由紀さんです。
入籍する際、いしだあゆみさんの時と同様に相手親族から猛反対があったそうです。
結婚して8年目の2004年10月に、再び交通事故を起こし業務上過失致傷罪で現行犯逮捕。
さらに、監督・スタッフ・共演者への暴言・暴行を繰り返したため途中降板となった主演映画『透光の樹』の前払いの出演料半額分(750万円)の返還をプロデューサーから求められるも拒否し大揉め。
ショーケンさんはプロデューサーに電話をかけ、実在する大物の名を挙げて「必ずやっつけますから」と電話で脅迫し、ギャラ全額(1500万円)の支払いを要求。
そのことから2004年11月に制作側から恐喝未遂容疑で告訴され、翌年2005年の月に再逮捕。
素行問題で仕事を休止し離婚
2005年6月に東京地裁で懲役1年6か月・執行猶予3年の有罪判決を受け、しばらく仕事ができないことに。
さらに2005年7月に出演した番組内で、「大麻解禁にしましょうか」と問題発言するなど迷走し、私生活では離婚調停が始まりました。
そんなことがあった翌年の2006年3月に、結婚10年目にして由紀さんと離婚することとなりました。
2011年に既婚で子持ちの冨田リカと略奪婚。結婚後に死病も海外移住で第二の人生を楽しむ
2011年2月7日に66歳にして4度目の結婚。
4人目の嫁は12歳年下の読者モデル・冨田リカさんです。
名前 | 冨田リカ |
生年月日 | 1962年3月6日 |
出身地 | 神奈川県 |
身長 | 167センチ |
血液型 | A型 |
出身大学 | 洗足学園短期大学。東洋英和女学院大学心理学専攻(43歳) |
職業 | 読者モデル。教育カウンセラー。元幼稚教室運営。元OL。 |
冨田リカさんは若い頃に幼稚教室や会社員務めをするなど一般人寄りのキャリアを誇り、36歳の頃に広告業界の方と結婚し1人子供を産んでいます。
2003年に40歳にしてTBS番組「ジャスト」の「マダムに会いたい」というコーナーに出演し、”あの美人過ぎるアラフォーは何者だ?”と話題になりスカウト。
41歳の頃には雑誌「STORY」にて読者モデルとして登場し、「本当に保母さん?」と女性読者に衝撃を与え、彼女のページの販売アイテムが伸びるなど影響力を持ちました。
43歳で大学に入り直して心理学を学び、一時期は幼児教室を経営するなど、自立したキャリアウーマンです。
実業家としての顔がありながらも、2010年の40代の頃に雑誌で美しいヌードを披露するなど、多方面で活躍するカリスマ性溢れる方でした。
ショーケンさんは冨田さんに猛アプローチを繰り返し交際に発展。
2010年8月18日に萩原健一との交際報道が出ると、前夫と離婚。
離婚した翌年の2011年2月6日に箱根で挙式し、祝賀パーティーには市川森一さんも出席しました。
結婚した当初、
「ジェットコースターのような人生だったけども、今後は2人でメリーゴーラウンドのようなゆっくりした人生を歩みたい」
とスローライフを宣言。
新婚生活が始まってすぐにショーケンさんは10万人に1人が患う希少癌(消化管間質腫瘍)を発症。
結婚後は横浜の自宅を売却して世田谷に3億の豪邸を建て、その後は一度はシンガポールに移住。
これまで馬車馬のように走り回った人生でしたが、シンガポールで周囲を気にせず買い物やお茶をしてリカさんの手料理のご飯を食べるという生活がとても幸せだったそう。
初めて、普通の人間らしいささやかな幸せを感じることができ、現地では自然に泣いたり笑ったり、まるで別人になったようでした。
帰国後は都内の7000万の高級マンションで結婚生活を送りました。
晩年のショーケンさんは病気を隠して芸能活動を細々と続ける傍ら、東洋思想や仏教研究に取り組んでおり、これらは冨田リカさんの影響もあったと言われています。
結婚後、ショーケンさんとリカさんは共に公の場に出ることも多く、2人はとてもお似合いでした。
2019年に亡くなる最後まで既婚関係が続き、最後に選んだ女性としては充分過ぎるほど素敵な嫁さんでありました。
ショーケンが亡くなった後の詳細が不明。遺族は葬儀に参加できずお墓の場所も知らされず
亡くなった際、冨田リカさんは、
「これまでに本人の強い意向により、病のことは公表せずに参りました。最期はとても穏やかで安らかに、ゆっくりゆっくり、眠る様に息を引き取りました」
と声明。
亡くなった直後、萩原さんの親族や仲間は面会する時間もないまま火葬と葬儀が済まされました。
これは3人目の嫁と離婚後に揉めた影響からで、萩原さん自ら冨田さんに指示していたとのことです。
死後、1年後に週刊誌にショーケンさんの親族が墓の場所も知らなず取り残され続けているという記事が出ており、冨田さんも現在は仕事をされておらず、公の場を避けているようです。