一青窈の略奪愛。小林武史を妻・akkoと2人の娘から奪う。子供の現在は音楽家!

日本を代表する音楽プロデューサーである小林武史さん。

90年代から00年代にかけては、プロデューサーでありながらも人気ミュージシャンと対等な知名度を誇りました。

私生活では1995年に結成したユニット「My Little Lover」のボーカル・akkoさんと1996年に結婚し、2人の娘が生まれました。

公私ともに順調だった小林武史さんですが、その後に歌手の一青窈さんとの不倫が公になり、2008年に離婚となりました。

人気歌手が家庭のあるプロデューサーを略奪するというのは珍しい構図で、当時は大変話題となりました。

今日は当時の一青窈さんの略奪愛と、その後について整理してみたいと思います。

小林武史は37歳でMy Little Loverのakkoと結婚

小林武史さんは売れっ子プロデューサーでありながらも、忙しさ故に長く独身の身でした。

20代にして井上陽水坂本龍一高橋幸宏大貫妙子麗美など当時の大物ミュージシャンの活動に参加し、30代になる頃にはサザン、小泉今日子、ミスチルのプロデュースを手掛けるなど大忙しでした。

婚期を逃したと思われましたが、1995年に結成したMy Little Loverではボーカルのakkoさんと交際に発展。

1996年の37歳の頃にakkoさんと結婚しました。

結婚後、小林武史さんとakkoさんの間には、1996年と1999年に女児が生まれています。

My Little Loverの活動は、途中でakkoさんの産休が入るなどしながらも順調にヒットを記録。

結婚した最初の3年間はは夫婦揃って公私ともに充実していました。

ニューヨークへの移住と一青窈の略奪不倫が運命を狂わす

第二子の次女が生まれた頃、小林武史さんとakkoさんはニューヨークに移住。

akkoさんは育児に追われる側、専用の録音スタジオも現地に作って音楽活動も続けました。

2001年に4枚目のアルバム『Topics』を大々的に発売しますが、セールスはイマイチ伸びず。

翌年の2002年にはベースの藤井さんが脱退し、akkoさんも帰国を決意。

2004年にもアルバムとシングルを発売しますが、ヒットしませんでした。

一方で、小林武史とさんはマイラバの仕事とは別に、2005年7月にミスチルとの共催の”ap bank 05”を開催すると、共演した当時28歳だった歌姫・一青窈さんと恋仲となってしまいます。

一青窈さんといえば、かねてから年上男性が好きなことを公言しており、10代の頃から年上の男性にしか興味がないと発言したこともありました。

仕事で尊敬できる上に余裕のある年上男性である小林武史さんは、彼女にとっては理想的な男性だったのです。

2006年7月には小林武史さんがMy Little Loverを離れることを発表。

そして、2007年1月には週刊誌「フライデー」から一青窈さんとの不倫報道が出てしまいます。

報道が出た後も別れる様子ななく、むしろ一青窈さんと小林さんの別の仕事が決定するなど、ファンからは「akkoと離婚するのでは?」と噂されました。

不倫報道から1年後、ファンの悪い予感は的中し、2008年1月に正式に離婚したことが発表されました。

小林武史はakkoと離婚後に一青窈と同棲。激しい喧嘩と破局を繰り返す

小林武史さんはakkoさんと離婚すると、不倫相手であった一青窈さんと同棲を始めました。

堂々とした交際が始まると、一青さんは小林さんから楽曲提供を受けるようになりました。

2010年に発売されたアルバム「花蓮街」では、収録曲のすべてを小林さんが提供し、2012年の「一青十色」でも小林さんがプロデューサーを務めました。

長く公私ともに良いパートナーになってるように思えた2人ですが、実情はかなり修羅場だらけだったそうです。

そもそも2人の不倫がスタートした2005年頃から一青窈さんは『もう無理かも』『もう別れた』などこぼしており、同棲後も『同棲は解消したけど、まだ付き合っている』と話す度に状況が荒れていたそうです。

また、一青窈さんは小林さんと喧嘩になると、泣いて叫んだり手がつけられない状況になり、小林さんの手を焼かせていたようです。

2014年には破局報道。理由は一青窈の結婚願望or小林の新恋人?

一青窈さんと小林武史さんの恋仲ですが、2014年10月には週刊誌によって破局していたことが報じられ、7年にも及ぶ恋愛は終結を迎えました。

元々、喧嘩が多く、別れては復縁を繰り返す不安定な関係だったそうです。

喧嘩の原因としては、結婚して子供が欲しかった一青窈さんに対して、前妻との間に2人の娘が生まれており、再婚には消極的だった小林さんとの間の温度差でした。

また、小林さんは一青窈さんと7年にも渡り付き合っていながら、新しい恋人がいたのではないか?と言われており、そのことが破局に大きく関係してると言われています。

小林さんの新しい恋人と言われていた”サリュ”さんは、小林武史がプロデュースをしているアーティストで、サリュという芸名も小林さんが命名するという熱の入れようでした。

現在のakkoの娘たちと一青窈。小林武史とは良い関係?

2014年に小林武史さんと破局した一青窈さん。

不倫略奪愛の終焉が報じられたわずか1年後の2015年に、なんとギタリストの山口周平さんと結婚

一青窈さんは同年に長男を出産し、2年後の2017年には長女を出産し、さらに2年後の2019年5月には第三子の次女が誕生しています。

現在までに旦那・山口さんとの仲は良好なようで、とても幸せそうです。

一方で、2008年頃に離婚したakkoさんも2014年4月に一般人の男性と再婚しています。

マイラバのデビュー20周年である2015年には小林武史さんプロデュースでアルバムをリリースするなど、いまだに音楽活動では協力体制であるようです。

akkoさんは2015年のインタビューの中で、

「結婚するほど愛し合った2人がいがみあっちゃったりとか、本当に寂しいことだなって。

本当に色々ありましたけど、でも、別にそれも人生、というか」

と懐の深い言葉を残しています。

小林武史とakkoの間に生まれた2人の娘は音楽家として活動

小林武史さんはakkoさんと結婚した1996年同年に第一子の長女が誕生。

長女は”越野アンナ”の芸名で「anderlust」というグループで活動されています。

芸名 越野アンナ(こしの アンナ)
生年月日 1996年7月30日
出身地 神奈川県川崎市
育ち アメリカ・イリノイ州

長女はakkoさんに似て感じですね。

第一子が生まれた3年後の1999年2月25日に第二子の次女が誕生。

次女も「HARUHI(ハルヒ)」という芸名で歌手活動をされています。

芸名 HARUHI(ハルヒ)
生年月日 1999年2月25日
出身地 アメリカロサンゼルス

次女はボーイッシュな雰囲気で、父親似な印象ですね。

小林武史とakkoと一青窈の略奪前後の時系列

1995年 My Little Lover結成
1996年 ボーカルのakkoと小林武史が結婚
1996年7月30日 第一子の長女が誕生
1999年2月25日 第二子の次女が誕生
2005年7月 ”ap bankfes05”で一青窈と出会う
2006年 小林武史がMy Little Lover脱退
2007年1月26日 週刊誌「フライデー」により一青窈との不倫が報道される
2008年1月1日 akkoと離婚したことを発表
2014年4月 akkoが一般人の男性と再婚
2014年10月 一青窈と小林武史の破局が報じられる
2015年4月 一青窈とギタリストの山口周平が結婚
2015年11月 一青窈が長男を出産
2017年7月 一青窈が長女を出産
2019年5月 一青窈が次女を出産
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