サンボ・近藤洋一の凄さ。大学で年600万稼ぐパチプロ。ベース初心者でメジャー。ソラニンで俳優

00年代中盤
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サンボマスターといえば、ボーカル・山口隆さんが目立ちますが、バンド内でのメンバーの立場はあくまで平等です。

決して気を使って平等にしているわけではなく、実際にベースの近藤洋一さん、ドラムの木内さんも山口さんに劣らず凄い人なのです。

ベース・近藤洋一さんは生物的なポテンシャルが凄まじく、大学時代、バンド結成時、デビュー後まで局面で素晴らしい仕事をしているのです。

今日は近藤洋一さんの経歴と、何がどれだけ凄いのかということについて整理してみたいと思います。

サンボマスターのベース・近藤洋一の凄すぎる経歴

1993年〜(〜18歳) 栃木の名門・石橋高校に進学。生徒会長を務める。サッカー部に所属し野球部の応援では団長を務める。
〜2001年(〜22歳) パチンコで月50万を稼ぐ。山口・木内や恵まれない東洋大の後輩を養う。
2000年2月(22歳) 山口さんの無茶振りで生まれて始めてのベースを購入。サンボマスター結成
2001年4月(23歳) 大学を卒業。ベースを始めて1年ちょっとでアルバム「キックの鬼」リリース
2003年7月(26歳) メジャーデビュー
2010年4月(32歳) 映画「ソラニン」に出演しサンボメンバー唯一の俳優デビュー

近藤洋一は栃木県下野市出身。難関校・石橋高校出身で生徒会長

近藤洋一さんは1977年6月16日に栃木県下野市 に誕生しました。

サンボマスターメンバーを年齢順に並べると、山口隆(ボーカル)>木内泰史(ドラム)>近藤洋一(ベース)です。

しかし、浪人などの都合で大学の学年は山口>木内>近藤となっています。

インタビューなどでは口数が一番少ない近藤さんは、少年時代や学生時代の逸話があまりありませんが、たまに登場する話がいちいち凄いです。

近藤洋一は高校時代はサッカー部で生徒会長。野球部応援の団長を務めていた!

近藤洋一さんは地元・栃木県の公立の名門・石橋高校出身です。

ワイルドなイメージのある近藤さんですが、実はかなりの秀才だったのです。

石橋高校ではサッカー部に所属し活躍し、学校生活では生徒会長を務めていました。

野球部の応援では団長を務めるなど、リーダーシップが認められていたようです。

母校の石橋高校野球部は2024年の夏の大会で作新学院、国学院栃木と強豪を撃破し、初めての甲子園を決めました。

近藤さんは甲子園のアルプスまで応援に駆けつけ、宮城代表の聖和学園に5−0での甲子園初勝利を見届けました。

勝利後に校歌を歌う姿をSNSにアップしました。

その後も大会が終わるまでSNSで石橋高校を応援。

自分の仕事場に母校の応援キャップを持ち込むなど、かなりの熱の入れようでした。

母校の石橋高校は初出場にしてベスト16という結果を残し、選手らが卒業する翌年の2月28日に母校を電撃訪問。

自身がアルプススタンドで聴いてた石橋高校の応援歌を吹部と共に奏でました。

また、部員や応援した生徒らに記念品としてサンボマスターの「全員優勝」のキャッチフレーズが入ったタオルを贈りました。

近藤さんは、

「野球部でもほかの部活動でもレギュラーになれずにスタンドから応援した人もいるし、今年、受験がうまくいかなかった人もいっぱいいると思うが、『君はもう優勝しているから心配しないで』ということが伝わったら」

と、スタンドで応援していた部員と、受験がうまくいかなかった生徒たちの気持ちまで考えたとコメントをしていました。

近藤洋一の東洋大学時代はカリスマ!パチンコで月50万以上を稼ぎ仲間や後輩を食わす

近藤洋一さんは石橋高校を卒業した後は東洋大学経済学部に進学。

音楽のサークルに入り、そこで後に一緒にバンドを結成する2学年上の山口隆さんと、1学年上の木内泰史さんと出会いました。

近藤さんの音楽経験といえば、中学の頃に自宅にあったクラシックギターを触っていたことと、高校で応援団長として大声を出したことぐらいで、サークルでバリバリに音楽をやっていたわけではありませんでした。

それでも自宅にはCDがたくさんあり、2学年先輩の山口隆さんのライブは欠かさずにノルマのチケットを買って鑑賞しに行っており、音楽のことは大好きでした。

近藤洋一は学校のはみ出し者たちのカリスマ!パチンコで年600万を稼ぎ仲間を支える

大学時代の近藤さんは、大学の白山キャンパス(東京都)と朝霞キャンパス(埼玉県)の間にある要町(東京都)で1人暮らしをしていました。

当時の近藤さんはパチンコの腕前がプロ並みで、月に50万以上を稼ぎ、年収にして600万もある大学生でした。

近藤さんは資金力があったということで、食えない後輩や、サークルで仲良くなった山口さんと木内さんを世話するなどカリスマ的存在だったのです。

当時に近藤さんの自宅は、本人が不在でありながらも玄関は開けっ放しになっており、多くの仲間の溜まり場になっていました。

山口さんは近藤さんに「タクシーで来てください」と言われ、タクシーで近藤さんの家まで行き、到着すると近藤さんがタクシー代を払ってくれたと回想しています。

山口さんは大学時代は近藤洋一さんの自宅に入り浸っていたとし、大学時代の思い出のほとんどが近藤さんの家だったと話しています。

大学在学中に山口隆のお願いでベースを購入しバンド始動。3年後にメジャーデビュー

山口さんは卒業した後に就職せず、1年後に木内さんも同じく卒業後に就職せず、2人で「心中しよう」とバンドを組むことを決めます。

最初に入ったベースが山口さんと合わず脱退してしまい、2人は近藤さんの資金力をアテに「気合い入れたいからベース持ってきて」とお願い

なんと即日に池袋の楽器屋まで行き、初心者でありながらもフェンダーの10万もする白のベースを買って持ってきてくれたのです。

近藤洋一は史上最強のベース初心者?ベースを始めてすぐにライブ、レコーディング、メジャーデビュー。

近藤さんはベースを全く弾いたことがないという状態ですが、強引に加入。

加入した同年のうちにライブハウスで人前で演奏し、さらに1年ちょっと後にはレコーディングし楽曲をリリース。

初期のサンボのハードコアなライブにしっかりと馴染み、初心者とは思えない自信と存在感を発揮していました。

そしてベースを弾き始めて3年後にはメジャーデビューと、トントン拍子でプロのベーシストの領域に達したのです。

近藤洋一はサンボメンバーの中で1人だけ俳優デビューした男

近藤さんの伝説は学生時代と結成当時だけでなく、サンボマスターとして売れた後にも続きました。

それは、2010年にヒットした映画「ソラニン」で俳優デビューをしていたということです。

共演者は宮崎あおい、高良健吾、桐谷健太と超豪華、そこに違和感なく溶け込んでる近藤さん、色々と凄いです。

演技も落ち着きがあって自然体で、まるで昔から俳優をやっていたかのような味があり、ファンを驚かせました。

現在までにサンボマスターメンバーで俳優をやったことがあるのは近藤洋一さんだけです。

山口さんも木内さんも音楽のセンスや個性が素晴らしいですが、近藤さんの謎の潜在能力の高さは、”メンバーで一番すごい”と言って良いと思います。

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