森友嵐士さんといえば1990年代前半に爆発的にブレイクしたバンド”T-BOLAN”のボーカル。
現在でも90年代の邦楽ロックの伝説として語り継がれていますが、当時は人気過ぎて森友さんは結婚していたことを隠していたそうです。
森友さんは嫁と長男長女の4人家族ですが、実は長女は現在の嫁と結婚する前の元嫁との間の子供です。
輝かしいと思われた90年代のT-BOLAN及び森友さんですが、実は私生活では複雑な恋愛や結婚&離婚を経験しています。
今日は森友嵐士さんの初婚の相手・マリアさんについて書いてみたいと思います。
離婚してしまった理由、施設に預けていた娘、その後の集団自殺についても触れてみたいと思います。
森友嵐士は94年にメリーメリーマリーのボーカル”マリア”と結婚し長女が誕生
森友嵐士さんの最初の結婚は1994年7月です。
当時はバンドが多くの女性ファンを抱えていた都合から、極秘での結婚でありました。
初婚の相手はバンド「メリーメリーマリー」のギターボーカの”マリア”さんです。
マリアさんは1971年生まれの23歳で、当時29歳だった森友さんの6歳年下でした。
結婚した当時はまだメジャーデビューはしておらず無名の方でした。
森友さんとマリアさんの出会いや交際期間に関しては公表されていませんが、音楽を通じて知り合ったとの説が強いです。
結婚の同年にマリアに捧げた「マリア」を発売しヒット曲に!
1994年7月に結婚すると、同年の9月に森友さん擁するT-BOLANはマリアさんの名前をそのままタイトルにした「マリア」を発売。
もともとは8月6日に発売されたアコースティックアルバム『夏の終わりにII』で発表された楽曲でしたが、1ヶ月後の9月にアップテンポでシングルカットし発売されました。
「マリア」はバンドの中でも3番目に売れた曲で、現在でもバンドの代表曲として扱われています。
曲の歌詞には、
「ありのままにただ愛してただけ」
「心から今君に伝えたい」
など、マリアさんに捧げる愛の歌であることがわかります。
同曲はフジテレビ「OIOI TOKYO TASTE ROOMS」のエンディングテーマにも使用されました。
結婚してすぐに第一子の娘が誕生。デキ婚だった?
1994年7月にマリアさんと結婚した森友さん。
結婚してすぐに第一子の娘が誕生しています。
子供が生まれた時期的に、マリアさんとの結婚はデキ婚だった可能性が高いです。
娘が生まれて幸せな結婚生活が始まったかと思われました。
しかし、結婚してすぐに離婚に向けて話し合いが始まるなど、結婚生活は順風満帆ではありませんでした。
マリアと離婚。12人の人格が存在する障害で育児も困難。娘は森友が引き取る
1994年7月に極秘結婚し、第一子の長女が生まれた森友嵐士さんとマリアさん。
しかし、結婚後してからわずか半年後の1995年1月に離婚してしまいます。
結婚してすぐに、お互いに本望ではないものの離婚に向けての協議が始まったとのことで、2人の生活に問題があった背景が伺えます。
2015年10月16日に放送された「爆報!theフライデー」にて、マリアさんは幼少期(8歳)から実の父から性的虐待を受け、それは大人まで続き、12人の人格がある多重人格障害であることが伝えられました。
森友さんは結婚当初は気がづかなかったそうですが、マリアさんが生まれた娘に対して母親らしくない振る舞いをしたり、自宅の放火未遂など、普段の彼女からは考えられない行動を繰り返していたそう。
不審に思った森友さんが病院に連れて行き、結果”解離性同一性障害”であることが発覚したのです。
マリアの深刻な多重人格。娘は離婚後に森友嵐士が引き取る
8歳の頃から実父から性的虐待を受け、心に深い傷を負ったため、12人もの人格が存在する多重人格で「解離性同一性障害」を患ったマリアさん。
マリアさんが抱える障害は切り離した感情や記憶が成長して、別の人格になって表に現れるものです。
離婚後に娘は森友嵐士さんが引き取ることとなりました。
その後、森友嵐士さんは一般人の女性と再婚しており、その再婚相手の女性との間には長男が誕生。
現在の森友さんはマリアさんとの間の娘を含め、嫁と息子の計4人家族となっています。
離婚後のマリアは再婚し2人を出産するも集団自殺。ネットで中心になって7人で逝く
1995年1月に森友嵐士さんと離婚したマリアさん。
離婚した3年後の1998年にロックバンド「メリーメリーマリー」を結成し9月にメジャーデビュー。
その後にバンドは「juice the punk」に改名して活動を続けました。
2003年には一般人の男性と再婚し、2人目の子供(女の子)を出産しています。
しかし、2回目の結婚も上手くいかなかったようです。
マリアは再婚相手からもDVを受ける。ブログ「死にたい症候群」で募集で集団自殺
めでたく再婚したマリアさんでしたが、再婚相手からもDVを受け別居、5ヶ月の娘と都内を転々し施設に預けるなど、2度目の結婚でも幸せにはなれませんでした。
2004年10月に埼玉県で、当時にして最大となる7人での集団自殺がありましたが、この中の内の1人である”文京区33歳女性”がマリアさんであると発覚しています。
車の中で練炭を燃やし、死因は一酸化炭素中毒でした。
「埼玉県皆野町の駐車場で男女7人が集団自殺した事件で、中心的立場となった東京都文京区の無職女性(34)が1999年に解散した人気グループ、T―BOLANのボーカリストの元妻だったことが15日、分かった。」引用:デイリースポーツ
「2004年10月12日午前6時半ごろ、埼玉県皆野町にある『美の山公園』の駐車場に停められたレンタカーのワゴン車内で、10~30代とみられる女性3人、男性4人の合計7人が練炭による集団自殺しているのが発見されました。この頃、集団自殺が頻発していましたが、当時としては過去最多の人数でした」(事件ライター)
マリアさんは『死にたい症候群』というブログを運営しており、当時の界隈では影響を持っていたそうです。
埼玉での7人での事件の前には、神奈川で6人の集団自殺があったそうですが、これらもマリアさんのブログの影響が強かったとの見解があります。
「マリアさんが影響したとみられる集団自殺は、これだけではありませんでした。9月にも埼玉県で男女4人、神奈川で女性2人が自殺しており、計13人が自ら命を絶っています。自身のブログに《本気の方募集 練炭 睡眠薬 車の方法で男女問わず》と書き込み、道連れを募集。《7~8人でやるのって新しいよね》との書き込みが最後でした」(同・ライター)
”メリーメリーマリー”のフロントマンとしてメジャーデビューできるほどのカリスマ性を持った彼女だからこその影響力だったと思われます。
当時の彼女の日記には、
「研究所で、僕が主人格じゃないらしいことを聞いた。驚きだ。
僕は〇〇という人間の中にいる1つの人格マリアなのだそうだ。信じられない。
今、このことをタイプしながらも手が震えている。
信じられない、この先僕はどうなるんだ。
統合なんてやっていくと、それじゃあ僕は消えてなくなるということなのか」
とマリアさんの中にいる男性の別人物が、自分が主人格ではないことにショックを受ける投稿が残されていました。
マリアさんのこれらの投稿が、人生に絶望してる人たちからの共感を集めていたようです。
それでも遺書には、
「ごめんなさい。お母さん死んでしまうけど、あなたたちを2人を産んでよかった」
と綴っており、良き母親であろうとした姿勢は最後まで変わらなかったそうです。
森友嵐士とマリアの結婚と離婚後の時系列まとめ
1994年7月 | 森友嵐士とマリアが極秘結婚。その後に娘が誕生。 |
1994年8月 | アコースティックアルバムで「マリア」を披露 |
1994年9月 | 「マリア」をシングルカットしリリース |
1995年1月 | 離婚し娘は森友が引き取る |
1998年 | マリアが「メリーメリーマリー」を結成しメジャーデビュー。その後に「juice the punk」に改名。 |
2003年 | マリアが一般男性と再婚。第二子の次女を出産。旦那のDVに苦しみ別居 |
2004年10月12日 | マリアが酸化炭素中毒で集団自殺。亡くなる前に娘を施設に預ける。 |
現在 | 森友嵐士も一般女性と再婚し相手と子供が誕生。マリアとの娘を含めて4人家族となる。 |