平成、令和と数々の伝説を残したチバユウスケさん。
90年代に優等生バンドマンが増えた時代背景に逆らうように登場した破天荒なTHEE MICHELLE GUN ELEPHANT。
フロントマンのチバユウスケさんはに至っては、00年代、10年代、20年代までも変わらずにオールドスクールなロックスターの生き方を全うしました。
体に悪そうな私生活は、不思議と色気に溢れました。
今日は、チバユウスケさんの破天荒な私生活を、本人の嗜好品をベースに綴ってみたいと思います。
チバユウスケのトレードマークはビールとタバコ。酔っ払い武勇伝には喧嘩話も多数
どんな時も缶ビールとタバコを片手にしていたチバユウスケさん。
チバさんの好きなタバコはラッキーストライクで、それは中学生の頃にジョニー・サンダースが吸ってるのを見て、憧れて真似したとの事です。
飲み会中にタバコが無くなり仲の良い記者にもらうとするとラッキーストライクではなく怒り、買って行かせて変えさせ、翌日に会うと「一緒じゃん」と喜んだというエピソードは有名ですね。
子供の頃から喘息持ちながらも、発作が出ながらタバコを吸っていた話を笑いながらしていたこともありました。
ある映像作品ではうたた寝しながらも、全く意に介さないでラッキーストライクを吹かし続ける姿が収められていました。
バックステージにいても、一般エリアにいても、インタビュー中でも常にタバコとビール片手でした。
ガレージやロカビリーに通じる楽曲を得意にしながらも車やバイクが趣味にならなかったのは、お酒が好きすぎたせいだとされています。
”ギターよりもビールがない時の方が落ち着かない”という言うほど、チバさんにとってはなくてはならない物でした。
朝から晩までビール漬けの生涯で、チバさんのお酒に纏わる武勇伝は多く残されています。
あるインタビューで、「地方で、『弟子にして下さい』と言われた時の対処法は?」と聞かれ、
「一緒に飲みに行ったらみんな辞めてくよ。ありえない飲み方するから」
と答えており、酒乱ぶりは本人も自覚しているようです。
↓有名なだけでも以下ほどの酔っ払い伝説があります。
- 二階で呑んでいるメンバーをびっくりさせようと電柱に登り落下。体を痛め、翌日のアルバイトを休む。
- ラジオで路上で寝てるチバさんを見たとのリスナー目撃情報に 「それ、俺!俺!初めて言うけど小学生から道で寝てた」とはしゃいだ
- デビュー前のコンベンションにて、悪酔いし「お前らがロックをダメにしてるんだ!」と叫び、音楽関係者を絶句させる。
- 酔い潰れて目が覚めたら道路の上で、ベルトの色が黒から白に変わっていた。
- ワインを飲みながらベッドで寝てしまって 起きたらシーツが赤く染まってて 「生理かと思った」と言った
- 打ち上げで居酒屋の犬にちょっかい出し過ぎてウザがられて噛まれた
- 1998年のフジロックで泥酔しファンに囲まれても逃げれず、スタッフに車に押し込まれ強制退去。
- インタビュー中にやめて(取材)唐揚げを食べたいと駄々をこねた
- 取材中に記者に河原から石を投げた
- DJ出演中のクラブのトイレでたまたま隣にいた一般人に 「ねぇ、ロックンロール好き?」と突然質問した
- DJ出演したクラブで、通路やトイレの入り口付近などで酔い潰れ、ファンから邪魔者扱いされてしまった。
- クラブイベントで酔っ払ったアベとディープキス
- クラブイベントで酔っ払ってクハラカズユキに担がれて退場
- イベントで酔っ払っては奥さんに迎えに来てもらっていた
- 奥さんとの結婚の決め手は泥酔し乗車したタクシーで彼女が嘔吐をキャッチしてくれた為
- イギリスツアーの時に酔っ払って有名な河に履いていたトランクスを流した
- サッカー観戦で酔っ払い客席上段から下段まで転がり落ち”チバが終わった”と思われたが、起き上がってピースしてお酒を買いに行った。
- インタビューで休肝日はあるの?と聞かれ、「“やばいな”っていうときは3本だけ」と答えた。
- ラーメンライスの後にビールを頼めるのが贅沢の証と発言していた
- コロナ禍でお店のビールが余ってるのを聞いて全て注文して飲み干した
お酒のせいで喧嘩。メンバー以外にも、千原ジュニアや鹿野氏まで巻き込む
お酒に纏わる逸話が多いチバユウスケさんですが、酔い任せに喧嘩することも多くありました。
新潟のライブの打ち上げでは、メンバーのクハラさんと取っ組み合いの喧嘩になり、お店の椅子を壊してしまうこともありました。(チバが自腹で弁償)
有名なのは、音楽評論家の鹿野淳さんが酔ったチバさんから「新譜を聴きに来い」と高円寺に呼び出された話です。
車で高円寺に向かい、鹿野さんが新譜を聴いてると、突如酔ったアベさんが「お前の車最高だな」とマーチンのブーツで鹿野さんの車のボンネットでトランポリンし破壊。
鹿野さんが怒るとチバさんがアベの援護のつもりか乱入、三つ巴戦になり、アベさんのパンチをチバさんの鼻を直撃し怪我。
結果、その後に撮影されたアルバムのジャケットはチバさんは鼻に絆創膏を付け、目立たないアングルになりました。※車を破壊したアベさんから後日に謝罪の電話があり、弁償代は良いから葬儀でギターを弾けと約束するもアベは2009年に鹿野氏よりも先に死去。
芸人の千原ジュニアさんはチバさんの死去後、YouTubeでブランキーの中村達也さんと生前のチバさんと飲みの場で揉めたエピソードを話していました。
YouTubeではオブラードに話されていましたが、実は2002年頃にもジュニアさんは同じ話を自身のトークショーで行っていました。
千原さんが人気バンドマンが集う飲み会に誘われて行くと、そこにチバユウスケさんがおりベロベロ。
チバさんは千原さんが連れて行った後輩の三浦誠己さんの帽子をポーンとはじき、千原さんが「自分なにしてんの?謝って」と、一度は謝ってくれ事が収まります。
しかし、その後もチバさんは千原さんの髪を急に引っ張るなどだる絡み。
千原さんが「ちょっと!さっきから何やねん!おい表出ろ!」というと、チバさんは「なに?オレはケンカはしないよ」と返し、千原さんは「ケンカも出来ないんなら酔って人に絡むな。いいから表出ろ!」と表にチバさんを連れ出します。
表で2人になり不穏な空気が流れる中、メンバーのウエノさんが「お前が悪いんだから謝れ!」とチバさんを謝らせ、無事に握手で仲直りし、「なかったことにしよう」と飲み直したのです。
ジュニアさんは”今となっては良い思い出”と嬉しそうに回想していました。
チバユウスケはシラフの時は常識人。酔って喧嘩した相手には必ず謝罪
常に酔っていたチバユウスケさんですが、実はシラフの時はかなり真面目です。
あるDJイベントでは、酔いが回る前のチバさんが黙々と真面目に回している姿も目撃されています。
チバユウスケさんは酔っ払ってケンカをした後は1人で落ち込むこともあったそう。
喧嘩した相手には後日、律儀に「ごめんなさい」と電話し、暴れて備品を壊してしまった際はちゃんと弁償するなどアフターケアはしっかりしていました。
往年は新幹線での移動時は、ビールを飲むとトイレが近くなるので控えめに。
または「スタジオ内でも怒られなさそう」との理由でバドワイザーにするなど、チバさんなりにお酒に気を遣うようにはなっていたそうです。
チバユウスケの遅刻伝説
チバユウスケさんの伝説に”遅刻”の纏わるエピソードは欠かせません。
学生の頃は駅前のカレーうどんにハマり、毎朝のようにうどん屋に寄っては遅刻。
THEE MICHELLE GUN ELEPHANTを結成した当初はリーダーでありましたが、遅刻が多い事を理由にリーダーを降ろされ、その後も遅刻の罰で坊主にさせられたこともありました。
ツアー先のホテルでは、ステレオで目覚ましをセットしても、電源が入る「カチッ」って音で目を覚まし、消してまたすぐ寝てしまうそうです。
ある時、マネージャーが起きないチバさんにキレて肋を蹴り、折ってしまったこともありました。※楽曲「ジョニー」はその時の曲との噂あり
自分の寝言でビックリして起きてしまったり、ツアー中にアベさんを起こすつもりが隣で一緒にスヤスヤ眠ってしまったことも。
仕事での遅刻もよくあることで、ある雑誌の取材では20分以上も遅刻しておきながら、「良かった、間に合った」と言って顰蹙を買ったこともありました。
また、ある仕事の打ち合わせに遅刻してきた際、の第一声が謝罪の言葉ではなく、
お店のスタッフの方を見て、「ハイネケン!」
そんなというエピソードも残っています。





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