YUKIは長男を突然死(SIDS)で亡くす。死別した子供に向けた曲の存在

ジュディマリ解散後もソロ歌手として成功を収めたYUKIさん。

私生活でも真心ブラザーズの倉持陽一さんと結婚し、現在までに子育てと両立し公私共に順風満帆な印象がです。

しかし、実は2003年に出産した第一子の息子を悲しい形で亡くされています

今日はYUKIさんの亡くなった長男と、その当時の状況、その後に子供に向けて作られたと言われる楽曲について書いてみたいと思います。

YUKIは2000年に倉持陽一と結婚し2003年に第一子を出産

YUKIさんが現在の旦那・YO-KING(倉持陽一)さんと結婚したのは2000年9月です。。

初対面は結婚する7年前の1993年4月に共演したラジオ番組「eZ a GO!GO!」でした。

ラジオで共演し交友が始まり、1994年8月にYO-KINGさんが所属する「真心ブラザーズ」のライブを鑑賞して以降は、「あたし、今倉持陽一さんが好きなの」とファンを公言

1995年に真心ブラザーズがRCサクセションの「キモチE」をカバーした際にはYUKIさんもゲストボーカルで参加。

当時から彼に惹かれていたYUKIさんでしたが、ジュディマリのギタリストのTAKUYAさんと交際しており、YO-KINGさんも学生の頃から交際していた彼女がいました。

1997年にTAKUYAさんと別れ、1998年頃にジュディマリのバンド仲が悪くなると、YUKIさんはYO-KINGさんに相談することが増え、やがて恋仲となっていきます。

そして、2000年9月30日の大安の日に入籍することとなりました。

結婚して3年目で第一子の長男を出産

2000年9月に5歳年上の真心ブラザーズのYO-KINGさんと結婚したYUKIさん。

結婚してから数年、子供がなかなか生まれないことから、

「YUKIちゃんが忙し過ぎて夫婦の時間がないのでは?」

「子供が作りにくい体なのでは?」

と心配されていました。

結婚して3年後の2003年4月に第一子の男児を出産すると、ファンも共に「よかった!」と歓喜しました。

出産当時、YUKIさんは31歳でYO-KINGさんは35歳でした。

YUKIは31歳で産んだ長男を乳幼児突然死症候群(SIDS)で亡くす

2003年4月に31歳にして第一子の男児を出産したYUKIさん。

その後も2006年8月第二子の男の子を出産し、2009年5月にも第三子の男の子が誕生し、合計で3人の男の子を出産しています。

性別 出産時期 年齢
第一子(男・長男) 2003年4月誕生 2005年3月に1歳11ヶ月で突然死
第二子(男・次男) 2006年8月誕生 2025年時点で19歳
第三子(男・三男) 2009年5月誕生 2025年時点で16歳

現在までに3人の子供が生まれているYUKIさんですが、第一子の長男は1歳11ヶ月で突然死しています。

長男が亡くなったのは2005年3月で、当時のYUKIさんは33歳でした。

亡くなった当時、YUKIさんは直筆で旦那さんのYO-KINGさんと共にホームページで連名で報告していました。

こんにちわ。

今日は、かなしいお知らせをしなければなりません。

先日、私たちの息子が安らかな永い眠りに就きました。

いつも通り元気に過ごし、いつも通りきげん良く、いつも通り「おやすみ」と言ったままの突然のお別れでした。

1年と11ヶ月の間、私たち3人は本当に幸せでした。

私たちは息子を、精一杯愛しました。

これからもずっと、愛しています。

息子の誕生から今日までいろいろと気にかけて頂き、ありがとうございました。

これからも私たちは、いつも息子と一緒です。

そして彼の分までしっかりと、生きていこうと思います。

よろしくお願いします。

2005年3月17日 YO-KING YUKI

亡くなった理由は”乳幼児突然死症候群(SIDS)”だと言われています。

長男の死因となった乳幼児突然死症候群(SIDS)とは?タバコ説はガセネタ

YUKIさんは自身の子供を乳幼児突然死症候群(通称SIDS)で亡くしたとされています。

このSIDSは予兆もなく乳幼児が死に至る原因のわからない病気で乳児の7000人に1人の確率で発症するといわれており、0歳児の死亡原因の3位にこのSIDSが挙げられています。

亡くなった当時はSIDSの詳細を知らない人が多く、「YUKIのタバコの副流煙では?」などいい加減な噂も出ており、死因の詳細を誤解してる方が多くいました。

その後、ネットが発達しSIDSが世間的に広く知られるようになると、長男が亡くなる前夜にいつも通り元気で機嫌も良く、「おやすみ」と言って就寝したと仰っていたことから、当時からの嫌な噂も落ち着きました。

YUKIは長男の死の直後に武道館公演を完走

YUKIさんは2005年3月に長男を不幸な形で亡くしました。

最愛の子供を亡くした後、YUKIさんは悲しみに暮れ、毎日のように泣いて過ごしたそうです。

YUKIさんは当時、「33年間生きた中で一番辛かった」と話していました。

そんな状況でありましたが、長男が亡くなった2ヶ月後の5月20日に日本武道館で大規模なライブを行うこととなりました。

当公演は当時行っていたツアー「joy」のファイナル公演で、とても重要なライブでしたが、仮にキャンセルになっても文句を言うファンはいませんでした。

それでもYUKIさんは予定通りに武道館でのファイナル公演を完走したのです。

ライブのMCではでYUKIさんは、

「息子を精一杯愛しました」

「彼の分までしっかり生きていこうと思います」

と亡くなったばかりの息子に対する気持ちをファンに伝えました。

ライブの終盤、アンコールで「ティンカーベル」を演奏した際はファンたちがYUKIさんを支えるような大合唱が起きたそうです。

YUKIさんは最後、

「各地でファンが暖かく応援してくれて、本当に幸せ。感謝してます。」

とファンに感謝の言葉を残しました。

Yukiさんは最後、ずっと号泣していたそうです。

YUKIの「長い夢」「同じ手」「AIR WAVE」は亡くなった長男のための作られた曲?

2005年3月に第一子の長男を1歳11ヶ月で亡くしてしまったYUKIさん。

長男が亡くなって以降、YUKIさんが発表した曲の中に、長男のために作った曲があると度々考察されています。

主に言われているのが、2004年に発表された「AIR  WAVE」、2005年に発表された「長い夢」、2010年に発表された「同じ手」の3曲です。

曲名 発売日 理由
AIR WAVE 2004年8月18日 優しいイントロ。母性的な歌詞。
長い夢 2005年4月27日 本人の言及。子供に語りかけるような歌詞。幼児好みのMVアニメ。
同じ手 2010年3月10日 歌詞の内容。長男の死後に発売。収録アルバムリリース時のYUKIの発言。

実際にはリリースが亡くなった時期が近かっただけや、亡くなる前に作った曲が後になって間違った解釈をされるなど、誤解が多いのです。

「AIR  WAVE」は息子が生きてる時に発売されていた

長男がまだ生きていた2004年8月18日に発売された「AIR WAVE」は、母性を含めた楽曲ではありますが、亡くなる前に発売している曲で死とは無関係です。

死後に数年経ってから、時系列を知らない人が後追いで「AIR WAVE」を亡くなった息子と関連付けしてしまったのです。

歌詞の「私の声は風に乗り あなたの部屋に届くから 今日も泣いてる人達も 窓際で 笑いあえるはずだから」と言う部分が意味ありげに聞こえることが大きな理由のようです。

ちなみに「AIR  WAVE」の他にも、「砂漠に咲いた花」は長男を妊娠した時に作った曲とされ、妊娠中と出産後にも長男を想って作った曲は複数存在します。

長男が亡くなった1ヶ月後に発売された「長い夢」は生きてる時に作曲

亡くなった長男に向けた曲として最も言われているのが、2005年4月にリリースした「長い夢」です。

「長い夢」の歌詞には、

「夢で会えたら何を話そう」

「そこに行くにはどうすれば良いの?」

「寂しがり屋はどこだ?胸で暖めてあげようか?」

との歌詞があり、あたかも亡くなった息子に対する想いのように感じます。

しかし、この曲が完成したのは息子が生きていた時期で、発売されたのは息子が亡くなった3月から1ヶ月後の4月と、ツアーの日程などを考慮しても死後に作曲してレコーディングまでするには時間が足りません。

子供のために作った曲であることは本人の言及から事実ではありますが、亡くなったことへの想いは込められておらず、歌詞の内容が意味ありげに聞こえるのは偶然でありました。

むしろ、当時予定されていたタイトル「バイバイ」を発売直前で「長い夢」に変更するなど、極力子供の死とは無関係であることを強調しています。

2010年の「同じ手」こそが長男の死を意識して作った曲?

長男が亡くなってちょうど5年後の2010年3月に発売されたアルバム「うれしくって抱き合うよ」に収録されている「同じ手」こそが長男の為に作られた曲との声が多いです。

そもそも、YUKIさんは2005年に長男を失った後も明るくポップなキャラを強く保ち、楽曲に私生活の悲しみを反映させることを避けていました。

しかし、2010年に「同じ手」を収録した「うれしくって抱き合うよ」をリリースした際にYUKIさんは「私はもう自分自身の血や肉を作品に入れ込む覚悟を決めた」と宣言しています。

そうして作られたアルバムに収録された「同じ手」の歌詞には、

「私の涙は乾く間もない」

「君と過ごした時間は永遠だ」

「早くおいでよって聞こえてる」

悲しい別れをした相手のことを想っているかのような歌詞があり、亡くなった長男を連想させます。

YUKIさんは「同じ手」と言う曲について、「今まで私を支えてくれたたくさんの温かい手をイメージした」と発言していたことから、長男の他にも多く人の手も含まれていることが分かります。

「同じ手」の他にも「歓びの種」も長男を想って作ったのでは?など、ファンそれぞれで解釈が異なります。

おすすめの記事