夫婦の男女ディオとして知られるハンバートハンバート。
ハンバートの佐藤良成さんは早稲大学出身の高学歴であり、夫婦ディオという珍しい形と共にネットで「何者?」と注目を浴びることが多いです。
今日は佐藤良成さんの学生時代の話など、わかる範囲で整理してみたいと思います。
ハンバートの佐藤良成は幼少期からバイオリンを習う
佐藤良成さんは1978年10月21日に神奈川に誕生しました。
子供の頃から両親が若い頃に聴いていたレコードが家にあり、主にジョン・デンバー、サイモン&ガーファンクル、赤い鳥を聴いて育ちました。
4歳の頃には10歳上の従兄のギターを見て早くも憧れ、両親におねだりしていたそう。

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音楽一家というわけではありませんが、7歳にはバイオリン、9歳にはピアノを習わされ、当初は熱心ではなかったものの、この経験がフィドル演奏など現在の音楽性を支える重要な基礎になりました。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 佐藤 良成(さとう りょうせい) |
| 生年月日 | 1978年10月21日 |
| 出身地 | 神奈川県 |
| 血液型 | O型(公表情報) |
| 学歴 | 和光高等学校卒業、早稲田大学第一文学部卒業 |
| 所属 | ハンバート ハンバート |
| 結成 | 1998年に佐野遊穂さんとデュオを結成 |
| 担当 | ボーカル、ギター、フィドル(バイオリン)、ピアノ、バンジョー、マンドリン、ウクレレなど |
| 主な役割 | 作詞・作曲・編曲、ほぼすべての楽曲制作を担当 |
| 配偶者 | 佐野遊穂(ユニットの相方) |
| 子ども | 3人(本人たちがインタビューなどで公表) |
| 音楽のルーツ | フォーク、カントリー、アイリッシュ音楽、日本の民謡 |
中学でフォークグループを結成し和光高等学校ではロックもコピー
佐藤良成さんは中学3年の頃に、ようやく念願だったフォークギターを親に買ってもらいます。
ボブ・ディランや吉田拓郎さん、高田渡さんなど流行りを過ぎたフォーク中心にカバー。
当時から”主流にはいかない”という天邪鬼精神があったそうです。
中学生にして3人組のフォークグループを結成するなど、フォークミュージックにのめり込んでいきました。
高校は東京都町田市にある自由な校風が有名な「和光高等学校」に進学します。
和光高校でも3人組のフォークグループ「プランクトン」を結成し音楽活動。※今となっては”プランクトン”の名前が恥ずかしいようです
16歳になった頃には作曲にも挑戦。
フォークだけでなく、ローリング・ストーンズやレッド・ツェッペリンなどのロックのコピーバンドも掛け持ちするなど、ギターの腕を磨いていきます。
大学は早稲田大学を受験、受験の際は難関大学ということで、音楽活動を中断させていたそうです。
その甲斐あって、無事に早稲田大学に現役合格し進学することとなりました。
佐藤良成の早稲田大学時代。佐野遊穂とハンバートを結成
佐藤良成さんは早稲田大学に進学すると、高校時代に一緒にフォークをコピーしていた仲間らとバンドを結成。
バンド名はナボコフの小説『ロリータ』の男性主人公「ハンバート・ハンバート」からバンド名を採り、現在までに至ります。
バンドには小柄な女性ボーカルがいた方がお洒落だと考え、和光大学の文化祭で出会った音楽未経験であった佐野遊穂さんを誘いました。

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早稲田大学ではモダンジャズ研究会に入ります。※同サークルはかつてはタモリさんも加入していた有名サークル。
ジャズサークルでは、これまでフォークやロックをやっていた佐藤さんはジャンルに違いになかなかついていけず苦戦。
一方で、結成したハンバートは渋谷や恵比寿、吉祥寺などのライブハウスや路上演奏などを積極的に行い、プロを目指して音楽活動を本格化させました。
早稲田大学では講義にしっかり参加し文武両道
大学でハンバートを結成した佐藤良成さんですが、学業と音楽活動を両立。
第一文学部では、文学や哲学、歴史、芸術など幅広い教養科目を学べる環境にあり、本や詩、昔話、民話などに親しんでいたことが、後の歌詞づくりにも影響を与えました。
当時から自分には音楽しかないと感じながらも、しっかりと講義にも参加していようです。
演出家の鴻上尚史さんは、SNSにて大学講師をしていた時に佐藤さんが自分の授業を取っていたことを明かしていました。

印象的な良い生徒で、佐藤さんに授業を取ってもらったことを鴻上尚史さんは誇らしげに綴っていました。
それでも大学時代は授業の合間や放課後に楽器を演奏、曲作り、大学が終わればライブハウスや路上で演奏など、「半分ミュージシャン」のような大学生活を送っていたようです。
大学では幅広いジャンルの音楽や楽器の魅力を吸収
大学時代は世界中の音楽や楽器を学んでいたようです。
特に興味を持っていたのは、アイリッシュ・トラッド、アメリカン・フォーク、ブルーグラス、日本の民謡、戦前の流行歌などです。
中古レコード店を巡ったり、図書館で資料を調べたりしながら、自分の音楽の引き出しを増やしていったそうです。
楽器もギターだけでなく、
- フィドル(バイオリン)
- バンジョー
- マンドリン
- アコーディオン
- ウクレレ
なども積極的に触れました。
大学時代には音楽性の土台を築き、現在のハンバート特有の「懐かしいけれど新しい」サウンドは、この頃の音楽研究の影響が大きいとされています。
大学在学中にメンバーらが就活で脱退し佐野と2人きりになる
佐藤良成さんは大学在学中からミュージシャンになる以外の選択肢はありませんでしが、他メンバーらは現実的でした。
メンバーらは大学卒業後に備えて早くも就活を始め、脱退。
結果、残ったのは佐野遊穂さんだけとなり、2人組ディオという形になりました。

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佐藤さんは後輩や知り合いにサポートをしてもらいながら同じ編成でハンバートの活動を続け、デモテープを作ってはライブハウスに持ち込むなど諦めませんでした。
大学4年の頃にレコード会社の社長と出会い、卒業間近にも関わらず就活もせずに社長にデモテープを渡すため卒業ギリギリまで曲を作りに没頭。
特にデビューを前提にした話ではありませんでしたが、完成したデモを社長に聴いてもらうと気に入ってもらい、その曲群がそのままデビュー作品となりました。
卒業後も音楽活動を続けられる希望の光となり、2001年頃からプロとして本格的に活動を展開。
相方の佐野さんは大学卒業後に編集プロダクションに就職し、仕事と音楽を両立を目指しましたが半年で退職。
結果的に休みやすい仕事を選び、ハンバートと掛け持ちをすることとなりました。
長い時間をかけてゆっくりと大成
ハンバートはしばらくインディーズ界隈で地道なライブ活動を続け、2003年にメジャーデビュー。
2008年に小田急線のタイアップから話題になり、全国展開していき2010年にはアセロラドリンクのCMにて「アセロラ体操」がバズり、徐々に名前が売れていきます。
私生活では佐野遊穂さんと結婚し3人の男児が誕生。
2025年に「笑ったり転んだり」がNHKドラマの主題歌になり、同年の紅白歌合戦に出場し、20年以上の時間を掛けてよくやく全国区と言える立ち位置に辿り着きました。
長い時間を掛けてゆっくりと世の中に気付かれていったというストーリーが音楽性と相まって主人公感を増幅させます。
苦労は感じますが不幸に見えないのが佐藤良成さんの素敵なところですね。








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